2018年12月20日

家紋


「家紋」は,日本固有の紋章で,「古くより出自といった自らの家系、血統、家柄・地位を表すために用いられてきた」が,

「241種、5116紋以上の家紋がある」

とか(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%B4%8B)で,2万近くの家紋があるとか。そもそも家紋の起こりは何か。

「『源平藤橘(げんぺいとうきつ)』と呼ばれる源氏、平氏、藤原氏、橘氏といった強力な氏族が最も名を馳せていた時代、地方に移り住んだ氏族の一部が他の同じ氏族の人間と区別を図るため土地の名前などを自分の家名(屋号)とし、それが後の名字となった。家紋は家の独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれ、名字を表す紋章としての要素が強い。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%B4%8B)のが一つの説明だが,似たのは,

「古くより家系や、家柄・地位を表すために用いられていた家紋。元々は同じ氏族の人間と区別を図るために、土地の名前などを自分の屋号として作り、それが後の名字になりました。」

という(http://db-shop.jp/magazine/2017/09/5528)のもそうだが,「家紋」の由来の説明にはなっていない。

Sekigahara_Kassen_Byōbu-zu_(Gifu_History_Museum).jpg

(合戦場を埋め尽くす家紋入りの幟 岐阜市歴史博物館蔵収蔵『関ヶ原合戦屏風』(江戸時代後期) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%B4%8Bより)


一つのヒントは,

「家紋は、もともと天皇や皇族が着物につけた柄から生まれ、 その柄を決まった紋様にし、自分の牛車につけたものが家紋の始まりといわれています。」

とあるのだろう(http://www.anniversarys.co.jp/page134.html)。そして,どうやら,牛車に付けたのは,

白河天皇の外祖父・藤原実季が「巴紋」を牛車に用いた,

のを嚆矢とするらしい。

「家紋の起源は、平安時代中期に遡る。『愚管抄』(1220年)に白河天皇の外祖父・藤原実季が「巴紋」を牛車に用いたと記されているのが最古の記録だ。自分の牛車を探す際の目印に用いたといわれ、ほかの貴族たちも真似て、独自の紋を作り、牛車や衣類などにつけるようになった。」

とある(https://www.news-postseven.com/archives/20140516_255939.html)。

しかし,すでに家紋があったから,それを牛車に付けたまでのことだ。では,「家紋」はどこから来たか。

『大言海』は,「紋」の項で

「其初めは衣,袴の織模様,染模様に,家々一定の形を用ゐたるに起こる。即ち,菊桐の御紋も,御衣の織模様に起これるなり。幕の紋,旗の紋より,車,鎧,衣服,諸調度,皆目標として着く(源平の戦の頃,幕,旗などに付けて目標としたるが如し)」

とある。つまり,最初は,家系ごとの織模様,染模様だったというのである。その文様は,

「文様の原型は大陸から伝来してきた文化・仏教の影響を色濃く受け、飛鳥時代にはすでに用いられており、平安時代にはすでに広く普及していたようです。家紋は文様の意匠を取り入れながら、身近な器物や花鳥風月といった写実的なものからスタートして、室町時代にはよりシンボル化された紋章へと変化していきました。」

ということらしい(http://kamondb.com/history.html)。たしかに,直垂のところで,文様について,

「格子,筋,引両等の染物から,忍摺,沢瀉摺,島摺,などの摺物,あるいは萩,竜胆,鶴丸等の各種の文様の織物」

と説明があり(『有職故実図典』),そこから家紋へと純化されていった,と思える。

「熊谷直実のしていた直垂模様に『鳩に寓生(ほや)』を出して,『家の紋なれば』(源平盛衰記)とした」

とある(『武家の家紋と旗印』)のは,その一例だろう。そこから,

「武将は、旗指物に大きく家紋を描き、戦場において敵見方の区別、 そして大将からは、どの武将がどれだけ活躍しているかの判断に使われました。」(仝上)

とあるが,源平合戦では,

「へいけのあかはた三十よながれ,大うち(内裏)にはげんじのしらはた二十よながれ」(『平治物語』)

と,赤旗,白旗が目印であった。武士が,明らかに,意識して用い始めているのは,土佐坊昌俊が源義経討伐のため,

「二文字に結雁(むすびかりがね)の旗をたまわりけりとかや」(源平盛衰記),

とか,

「武蔵…の児玉党を称した有力武士団の団扇じるしが『こ玉とうすとおぼしくて,うちわのはたさいたるものども十き(騎)ばかり』(平家物語)とでてくる」

という(仝上)のは,すでに旗印に用い始めている例である。で,

「西欧では家紋が先に整って,それを旗に拡大したパターンとして,髙く示す風から,旗印が展開した。日本は逆で,まず旗が働き出して,そこへつけた目印から,家紋へとエスカレートした」

とい見解になる(仝上)。それは,地方に蟠踞した地ばえの武士モドキにとって,おのれを顕示する格好のツールだったということだろう。とりわけ,戦の中でこそ,おのれを示す絶好の機会だから,旗で,おのれを自己アピールする絶好の機会でもあった。

「武将は、旗指物に大きく家紋を描き、戦場において敵見方の区別、 そして大将からは、どの武将がどれだけ活躍しているかの判断に使われました。」

ということだろう(http://www.anniversarys.co.jp/page134.html)。そこから,鎧,着物へと広がっていく。

我が家は,横木瓜らしいが,それは,

「胡瓜の切り口から案出されたという。が、本当は地上の鳥の巣をあらわしている。もっこうと 呼びならされてきたのは、多くの神社の御簾の帽額(もこう)に使われた文様だからという。この紋は鳥の巣であるから、 卵が増えて子孫が繁栄し、また神社で用いられる御簾から、神の加護があるというめでたい紋といえそうだ。」

とある(http://www.harimaya.com/o_kamon1/yurai/a_yurai/pack2/mokkou.html )。

参考文献;
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
高橋賢一『武家の家紋と旗印』(秋田書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:家紋
posted by Toshi at 05:25| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください