「ゆゆし(い)」は,
由由し(い),
忌忌し(い),
と当てる。『広辞苑第5版』には,
「神聖または不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ちを表すのが原義」
とある。で,
神聖であるから触れてはならない,畏れ多くて憚られる,
↓
言葉に出すのも畏れ多い,
↓
穢れがあるので触れてはならない,
↓
不吉である,縁起が悪い,
↓
うとましい,いやだ,
↓
恐ろしい, 気懸りである,
↓
空恐ろしいほどに優れている,
↓
物事の程度が甚だしい,容易でない,
↓
豪勢である,すばらしい,
↓
勇ましい,立派である,
等々と,「いみじ」と似た意味の変化の流れを示す(『広辞苑第5版』『岩波古語辞典』による)。
「いみじ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463306081.html?1545337411)で触れたのと重なるが,『岩波古語辞典』は,
「イ(忌)の形容詞形。神聖,不浄,穢れであるから,決して触れてはならないと感じられる意。転じて,極度に甚だしい意」
とし,「ゆゆし」と関連づけ,「ゆゆし」は,
「(ゆゆしの)ユはユニハ(斎庭)・ユダネ(斎種)などのユ。神聖あるいは不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ち。転じて,良し悪しにつけて甚だしい意。」
とする。「いみじ」が,
避ける,
ニュアンスとすると,
「ゆゆし」は,
畏れ,
が強いが,その感情だけを抜き出せば,共に,
甚だし,
となり,その価値表現は,善悪同じである。『岩波古語辞典』は「忌む」で,
「イはユユシのユの母韻交替形。タブーの意。つまり,神聖なもの・死・穢れたものなど,古代人にとって,激しい威力を持つ,触れてはならないものの意。従ってイミは,タブーと思う,タブーとして対処する意」
とあり,
(口に出すことがタブーだから)決して言葉にしない,
(触れてはならぬと)避ける,
(ある定まった行為を)してはならないとする,
相容れないもの,受け入れがたいものとし嫌う,
という意味を並べた。
「いみじ」は「忌み避けなければならない」であり、
「ゆゆし」は「神聖で恐れ多い」です。
とするものがあった(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10119462580)が,「畏れ」と「避ける」は,グラデーションのように微妙に連なる。
『大言海』は,「ゆゆし」を,
斎斎し,
と,
忌忌し,
と二項分けるという,「ゆゆし」の言葉の意味から「忌」だけではない,意味の幅を捕える見識を示している。「斎」と「忌」は,裏表である。「斎斎し」について,
「ゆゆは斎斎(いみいみ)の轉。斎み慎む意」
で,「畏れ多く忌み憚るべくあり,忌忌(いまいま)し(恐(かしこ)みても,嫌ひても云ふ)」の意味とし,「忌忌し」は,
「忌忌(いみいみ)しの約」
で,
畏れ多く忌み憚るべくあり,
いまいまし,きびわろし,
殊の外にすぐれたり,殊の外なり,甚だし,いみじ,おそろし,えらい,すさまじ,
等々の意味を載せる。つまり,「ゆゆし」の意味の転換には,
斎斎し
↓
忌忌し,
と,漢字を当て替える段階があり,そこで,畏れから嫌いへ転じ,(良くも悪くも)甚だし,へと意味がシフトしたとみる。この見解が妥当だと僕には思える。漢字を当てるには,古代人は結構知識を駆使しているのだから,意味の変化に合わせて,「斎→忌」と当て替えた,その時点が意味の変化のテッピングポイントなのだと思われる。
だから,本来は,
「ゆ」(斎)を重ね、形容詞化したもの,
とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%86%E3%82%86%E3%81%97)のが妥当なのだろう。
『大言海』が,「いむ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463067059.html)で触れたように,
斎む,
忌む,
の二項に分ける見識を示したこととつながる。「斎む」は,
「斎(い)を活用す」
とし,
「凶穢(けがれ)を避けて,身を浄め慎む。神に事振るに云ふ」
とする。「忌む」は,
「斎むの轉。穢事を避け嫌ふ意より移る」
とし,
(禍事を)嫌ひ避く→憚る→憎み嫌ふ,
という意味の転化を示している。この「いむ」と「ゆゆし」は重なるのである。単に,
甚だしい,
大変だ,
意となって以降,
由々しい,
と当てたものと思われる。「由」(呉音ユ,漢音ユウ,慣音ユイ)の字は,
「象形。酒や汁を抜き出す口のついたつぼを描いたもの。また,~から出てくるの意を含み,ある事が何かから生じて来たその理由の意となった」
とある(『漢字源』)。「由来」「由縁」といった言葉との関連の中で,「ゆゆしい」の言葉が意味を反映している気がするのは錯覚か?
『日本語源広辞典』も,
「ユ(斎)+ユ(斎)+シ(形容詞化)」
とし,「ユは,神聖な霊力です。ユユシで『触れるのが恐ろしい』『触れると災いを招く』ところから「不吉だ」の意です」
とするのが妥当に思える。
『日本語源大辞典』は,「ゆゆし」の意味の変化を,
「ゆ(斎)を重ねて形容詞化したもので,手に触れたり,言葉に出したりしては恐れ多く,あるいはそれが不吉であることを表す。上代の用法は『ゆ(斎)』の意識が濃厚で,死んで井出恐れ多い場合と,縁起が悪く不吉なものを表す場合とがある。中古以降は,単に程度のはなはだしさを表す用法もみられるようになるが,その場合でも不吉さを含んだものがみられる。中世には,非常にすぐれているのような,プラスの意味の程度の甚だしさをいうようになる。」
とまとめている。ついでながら,「ゆゆしい」の今の使い方は,
『笑える国語辞典』
https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%86/%E7%94%B1%E7%94%B1%E3%81%97%E3%81%84-%E7%94%B1%E3%80%85%E3%81%97%E3%81%84-%E3%82%86%E3%82%86%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/
の,
「忌忌しい(由由しい)とは、ほうっておくととりかえしのつかない結果をまねきそうな、という意味。例えば、彼女とのデート中に、二股をかけている相手が向こうから歩いてくるような状況を『ゆゆしき事態』という。
ゆゆしいの『ゆ(斎)』は、神聖なものや不浄なものを畏怖する気持ちを表し、それを重ねた『ゆゆし』は、神聖なので(または不浄なので)触れるのは恐れ多い、触れてはいけない、言葉をかけてはいけない、という意味で用いられていた。二股をかけている彼女たちが道で出くわしてしまったようなとき、触れるなどはもってのほか、言葉を発するのもはばかられるのはいうまでもない。」
が笑える。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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