2018年12月29日

城郭


西ケ谷恭弘『城郭』を読む。

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「城」の由来は,「城」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463204819.html)で触れたように,本書の主張する,

「城は,貯蔵機能をもち垣檣(えんしょう)で区画した空間であった。すなわち憑(より)シロ(招代)・ヤシロ(家シロ・屋シロ・社)・苗シロ・松シロ・杉シロなどにみられるようにシロは,場所・区画であり,宿り,集まり,集置の粮所の区域をいう。シロはシルシスナワチ標(しるし)が語源であるとされる」

という説が, 『岩波古語辞典』が,

「シリ(領)の古い名詞形か。領有して他人に立ち入らせない一定の区域」

や, 『日本語源広辞典』の,

「知る・領るの名詞形のシロ(国見をする場所)」

であり,

「シロは,場所で,まつたけのシロ,ナワシロ,ヤシロなどのシロと同源」

と重なる。その「シロ」について,『日本書紀』の

葛城,
稲城,

から,幕末の,

五稜郭,

までを辿る。「はしがき」で,

「城のイメージである天空に聳える天守・櫓や石垣・堀が,いかにも近世に忽然と出現したかのような」

従来の城郭史の点と線を繋ぐ,具体的な,感状山城,一乗谷,山中城などの壮大な城郭群によって,

「中世から近世への空白を埋める城郭形態の変遷(編年)」

を描けた,とするように,本書は,城郭の歴史である。

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(神籠石式山・御所ヶ谷神籠石(福岡県行橋市)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B1%A0%E7%9F%B3


弥生期の,高地性山城,大和王権下の神籠石式山城(こうごいししきやまじろ),朝鮮式山城,蝦夷対策の城柵,武士の登場から,悪党の山城,守護大名,国人領主の築城から戦国時代の城郭への大きな流れを辿りつつ,安土城が,城郭史のエポックとなる。そのプロセスの変化を細かく辿る。

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(戦国期の山城を描いた絵図(春日山城・越後国) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%9F%8E

正確な数ははっきりしないが,元和一国一城令で,城割り(城の破壊)が進んだとはいえ,なお残った城もあり,

260以上の城郭が明治維新時に存在した,

とされる。しかし,廃城令,その後のずさんな管理によって,破壊されたもの,荒廃したもの等々によって,存置城郭は58となり,結局,20城のみ残り,その後,戦災などによって,現在天主のみ残るものを含めて,松本城,犬山城,姫路城,等々12城しかない(その写真は,http://heiwa-ga-ichiban.jp/oshiro/index.htmlに詳しい)。明治期,興福寺の国宝級の仏像が路傍に放りだされていたという作為の廃仏毀釈にしろ,この貴重な城々を廃棄した廃城令にしろ,文化というものにほとんど斟酌しなかった,明治政権の作為・不作為の暴虐ぶりがよくうかがえる。

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参考文献;
西ケ谷恭弘『城郭』(近藤出版社)


ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:城郭 西ケ谷恭弘
posted by Toshi at 05:39| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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