2019年01月25日

凡下


「凡下(ぼんげ)」は,『大言海』には,ずばり,

おとりたること,平凡なること,
普通の人,凡人,

とある。要は,

身分なき人,

を指す。『広辞苑第5版』には,

令制上位を持たない人,
主として鎌倉幕府法に見える身分階層上の呼称,侍に属さない一般庶民,

を指した,とある。

甲乙人。

と同じ意である。

A_peasant1.JPG

(農民(『和漢三才図会』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%AE%B6より)


「鎌倉~室町時代の身分呼称。甲乙人ともいった。主として鎌倉幕府法において,侍身分に属さない一般庶民をさしていった言葉。刑法その他の面で,侍とは厳重に区別されていた。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

とあるので,身分として侍に属さぬものを指したとみていい。

「凡」(呉音ボン,漢音ハン)の字は,

「象形。広い面積をもって全体をおお板,または布を描いたもの。」

とあり(『漢字源』),

一般的,

を意味する。つまり,「武家社会」にとって,

当たり前の人間より下,

という意味なのだろうか。『孟子』の

待文王而後興者,凡民也(文王を待ちて後に興る者は凡民なり)

が,引かれている。これは,

文王を待ちて後に興る者は、凡民なり,
夫の豪傑の士の若きは、文王無しと雖も猶興る。

と続く。勝手な妄想だが,こんなイメージで,「凡下」といったのではないか。しかし,所詮,侍も,農民である。そのことは,すでに触れた(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461149238.html)。武家の棟梁とは,

「在地領主の開発した私領,とくに本領は,『名字地』と呼ばれ,領主の『本宅』が置かれ,『本宅』を安堵された惣領が一族の中核となって,武力をもち,武士団を形成した。中小名主層の中には,領主の郎等となり,領主の一族とともにその戦力を構成した。武士の中に,荘官・官人級の大領主と名主出身の中小領主の二階層が生まれたのも,このころからである。武門の棟梁と呼ばれるような豪族は,荘官や在庁官人の中でもっとも勢を振るったものであった。」

であった。

「甲乙人(こうおつにん)」というのは,

誰と限らずすべての人,あの人この人,
名をあげるまでもない者,一般の人,

の意である。「甲乙」とは,

甲某(たれがし)乙某(それがし)の義,

と『大言海』にある。つまり,

誰彼の人々,但し,武家の家人,武士ならぬ雑人の称なりしが如し,

とある。『大言海』に,村の制札を引き,

「軍勢甲乙人,還住之百姓家,不可陣取事」

に,「松屋筆記」は,

「甲は武士,乙は雑人也」

と注記している。誰彼の意味である。

この背景は,

「『甲』『乙』などの表現は、現代日本における『A』『B』や『ア』『イ』などと同じように特定の固有名詞に代わって表現するための記号に相当し、現代において不特定の人あるいは無関係な第三者を指すために『Aさん』『Bさん』『Cさん』と表現するところを、中世日本では『甲人』『乙人』『丙人』といった表現したのである。
そこから、転じて正当な資格や権利を持たず、当該利害関係とは無関係な第三者として排除された人々を指すようになった。特に所領・所職を知行する正当な器量(資格・能力)を持たない人が売買譲与などによって知行することを非難する際に用いられた。例えば、将軍から恩地として与えられた御家人領が御家人役を負担する能力および義務(主従関係)を持たない者が知行した場合、それが公家や寺院であったとしても『非器の甲乙人』による知行であるとして禁止の対象となった。同様に神社の神領が各種の負担義務のない者が知行した場合、それが御家人であったとしても同様の理由によって非難の対象となった。」

と歴史的な説明がされている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E4%B9%99%E4%BA%BA)。通行人Aというように,誰彼でもいい人,という意味である。あくまで武家社会を中心に見ての,その埒外の人,という意味になる。で,

「『凡下百姓』または『雑人』と称せられた一般庶民は、無条件で所領・所職を知行する正当な器量を持たない人々、すなわち『非器の甲乙人』の典型であるとされており、そのため鎌倉時代中期には“甲乙人”という言葉は転じて『甲乙人トハ凡下百姓等事也』(『沙汰未練書』)などのように一般庶民を指す呼称としても用いられた。」

となる(仝上)。

「甲乙人に成候ふべき」
「甲乙人に成候ては」

という文言が見受けられるが,それは侍身分としての正当な資格を失う意でもある。だから,

「武士・侍身分においては、“甲乙人”と呼ばれることは自己の身分を否定される(=庶民扱いされる)侮辱的行為と考えられるようになり、悪口の罪として告発の対象とされるようになっていった。」

とある(仝上)。

これと似た言葉に,「地下」「地下人」がある。「甲乙人」の説明(『精選版 日本国語大辞典』)に,

「誰と限らずすべての人。貴賤上下の人。また、名をあげるまでもない一般庶民、雑人、地下人(じげにん)、凡下の者などをいう。」

とあり,凡下,甲乙人,地下人はほぼ意味が重なる。

「地下人」も身分制度から来ている。『大言海』に,

堂上,殿上に対して,五位以下の未だ清涼殿の殿上に,昇殿を聴(ゆるさ)れざる官人の称,

とあり,それが転じて,

禁裏に仕ふる公家衆よりして,其以外の人を云ふ称,

となり,

庶民,

となり,室町末期の『日葡辞典』には,

土着の人,

の意となる。本来五位以下を指したが,そこにも至らぬ公家以外を指し,対に,庶民を指すようになった。武家も,公家から見れば,地下である。しかし武家の隆盛とともに,地下は,

土着の人,

つまり,

地元の人,

という意になった。

「平安時代,殿上人に対して,昇殿の許されなかった官人をいった。地下人ともいい,また,殿上人を『うえびと』というのに対して,『しもびと』とも呼んだ。元来,昇殿は機能または官職によって許されるものであったため,公卿でも地下公卿,地下上達部 (かんだちめ) のような昇殿しない人や,四位,五位の地下の諸大夫もいたが,普通は六位以下の官人をさした。近世になると家格が一定し,家柄によって堂上,地下と分れた。その他,広く宮中に仕える者以外の人,農民を中心に庶民を地下と呼ぶ場合もあった。」

ということ(『ブリタニカ国際大百科事典』)らしい。

いまや,「地下人」「甲乙人」「凡下」は,死語である。とかく,身分を際立たせようとするところから生まれた語にすぎない。ま,そういう呼称のなくなった社会ではあるが,今日,日本では,かえって,貧乏か富裕かが,境界線らしい。何だか,貧しい社会である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:35| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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