2019年02月10日

徒士


「かち」に,

徒士,

と当てると,

徒士侍,
徒侍,
御徒(おかち),

の意である。今駅名に残る,御徒町は,この「御徒」に由来する。つまり,「徒士」は,

江戸時代,幕府・諸藩とも御目見得以下の,騎馬を許されぬ軽輩の武士,

を指すが,

御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来する,

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%BE%92%E7%94%BA)。

「江戸幕府における徒歩組(かちぐみ)は、徳川家康が慶長8年(1603年)に9組をもって成立した。以後、人員・組数を増やし、幕府安定期には20組が徒歩頭(徒頭とも。若年寄管轄)の下にあり、各組毎に2人の組頭(徒組頭とも)が、その下に各組28人の徒歩衆がいた。徒歩衆は、蔵米取りの御家人で、俸禄は70俵5人扶持。礼服は熨斗目・白帷子、平服は黒縮緬の羽織・無紋の袴。家格は当初抱席(かかえぜき)だったが、文久2年(1862年)に譜代となった。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E5%A3%AB)。この地名は城下町であればどこにでもある地名でもある,とか。

「徒士」つまり,徒歩の侍は,鎌倉・室町時代の,

走衆(はしりしゅう),

に由来する。

「将軍出行の際,徒歩で随行して,警固および諸雑用にあたる下級の職。徒士衆(かちしゆう),歩走(かちはしり)ともいい,…鎌倉将軍の上洛や出行などの供衆の行列の中に,しばしば〈歩走〉〈歩行衆〉とみえ,すでに鎌倉期の将軍出行に,徒歩で従う警固の士の存在がうかがわれるが,室町期になると幕府職制として成立し,職掌も定まった。将軍の外出に際しては護衛として供奉(ぐぶ)し,つねにその身辺を警戒して狼藉(ろうぜき)者を取り締まる。」

とあり(『世界大百科事典 第2版』),室町期になると幕府職制として成立し,職掌も定まった,という。

「走衆」は,

徒士衆,
歩衆,

とも言い,

「歩とは江戸時代に徒士と書き,江戸幕府では将軍直属の歩兵隊員で,御譜代格の下級武士であるから御家人といい直参の総称に含まれる。安土桃山時代の各大名も用いている大名直属の歩兵隊員で,長柄組・鉄砲組・弓組と同格でありながら,矢張り直属という重みで待遇,格を異にする」

とある(『武家戦陣資料事典』)。要は,「徒士」は,

「主人直属の歩卒。歩衆は常に旗本にあって、警衛雑用を務める。室町幕府の走衆は、戦時に主君の旗本に備え、平時には行列供方(ともがた)の先導や主人の身辺警固にあたった。」

という(仝上)。この統率者を徒士頭、歩頭(ほがしら)という。これは,

「歩頭は物見使番の役たるべし。…歩者を預かる人は第一に物見、第二に伏、第三に夜討の心懸けあるべし、或は御馬のあたりを心掛け、退口、或は馬の不及(およばぬ)所をも、自由に働き潔し、されは歩(ほ)の衆といふ」

とある(軍侍用集)。伏(ふせ)は、伏兵。伏隠、待伏の意。

「近代軍制でいうと、馬上の資格がある侍(馬廻組以上)が士官に相当し、徒士は下士官に相当する。徒士は士分に含まれ、士分格を持たない足軽とは峻別される。戦場では主君の前駆をなし、平時は城内の護衛(徒士組)や中間管理職的な行政職(徒目付、勘定奉行の配下など)に従事した。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E5%A3%AB)。足軽とは区別される。
足軽(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462895514.html)については触れた。

武士の身分,士分は,

「『侍』と『徒士(かち)』に分けられる。これは南北朝時代以降、戦場への動員人数が激増して徒歩での集団戦が主体となり、騎馬戦闘を行う戦闘局面が比較的限定されるようになっても、本来の武士であるか否かは騎馬戦闘を家業とする層か否かという基準での線引きが後世まで保持されていったためである。」

「侍」は,

「本来の武士であり、所領(知行)を持ち、戦のときは馬に乗る者で『御目見え』の資格を持つ。江戸時代の記録には騎士と表記され、これは徒士との比較語である。また、上士とも呼ばれる。『徒士』は扶持米をもらい、徒歩で戦うもので、『御目見え』の資格を持たない。下士、軽輩、無足などとも呼ばれる。」

という区別である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB)。

「『侍』の内、1000石程度以上の者は大身(たいしん)、人持ちと呼ばれることがあり、戦のときは備の侍大将となり、平時は奉行職等を歴任し、抜擢されて側用人や仕置き家老となることもある。それ以下の『侍』は平侍(ひらざむらい)、平士、馬乗りなどと呼ばれる。」

諸藩は多く、騎士(上士)・徒士(かち)(下士)・足軽(卒)と藩士を分け、

将・士・卒,

という言い方をするが,将とは,

上士,

を指し,


下士,

が,「徒士」に当たる。

卒,

は足軽で,足軽以下は軽輩と呼ばれ、士分とは見なされない。たとえば,

幕府の旗本は「侍」、御家人は「徒士」,
幕府の役所で,与力は本来は寄騎、つまり戦のたびに臨時の主従関係を結ぶ武士に由来する騎馬戦士身分で「侍」、同心は「徒士」,
代官所の下役である手付は「侍」、手代は「徒士」,

等々である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB)。この差は,維新後も,

一門以下平士ニ至ル迄総テ士族ト可称事,

とし,足軽以下は,

卒族,

とされた。それ以下は,

平民,

である。

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(長州藩(萩藩)の13代藩主毛利敬親の参勤交代行列を描いた錦絵。総勢1,000人といわれる行列が、江戸高輪付近を通る様子を表す。https://oyakochoco.jp/blog-entry-1359.htmlより)


参考文献;
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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