2019年03月16日
正念場
「しょうねんば」は,
正念場,
とともに,
性念場,
とも当てる。
「歌舞伎・浄瑠璃で,主人公がその役の性根を発揮させる最も重要な場面。性念場,性根場」
とあり,転じて,
ここぞという大事な場面,局面,
の意となった,とある(『広辞苑第5版』)。しかし,たとえば,
「正念場は『性根場』とも書き、本来『正念』は仏教語で、悟りにいたるまでの基本的な 実践目得『八正道(はっしょうどう)』のひとつ。『八正道』にある『正念』を除いた残り七つ は、『正見』『正思惟』『正語』『正業』『正命』『正精進』『正定』という。正念とは、雑念を 払い仏道を思い念ずることで、正しい真理を思うことを意味し、修行の邪魔となる雑念に乱れない信心も意味する。そこから、『正しい心』『正気』が必要な場面を『正念場』というようになった。また、正念場は歌舞伎や浄瑠璃名などで、主人公が役柄の神髄を見せる最も重要な場面をいう語でもあるが、それらから『正念場』の語が生まれたわけではなく、仏教語が演劇の中で用いられたため、一般にも広く用いられるようになったものである。」
という(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/si/syounenba.html)説が結構ある。例えば,
「正念場は歌舞伎なのだが、正念は仏教なのである。(中略)ちなみに歌舞伎では正念場のことを『性根場』(しょうねば)ともいうらしい。しかしこの『性根』も、じつはもともとは仏教の用語なのである。」
としている。『舞台・演劇用語』でも,
「歌舞伎や浄瑠璃で、その役の『性根』を最もよく発揮する場面、または1曲・1場のうち、最も大切な場面のことを『性根場(しょうねば)』、もしくは『性念場(しょうねんば)』と言ったそうです。『性根』を表す『場』ということですね。これが転じて、『ここぞ!』という大切な場面を表すことを『正念場』と言い、広く一般になっていったと言われています。」
としている(http://www.moon-light.ne.jp/termi-nology/meaning/shounenba.htm)。
しかし,本当だろうか。
まず,仏教由来とされる「性根」(しょうね)だが,確かに,
正念の轉,
とする説もある(『岩波古語辞典』)。
根本的な心の持ち方,根性,
正気
の意から,それをメタファに,
物事の根元,
という意味になる。しかし『大言海』は,「性根」の,
「ネは,根(コン)を和訓したるものか」
とし,
根性,
の意と同じとする。ただ,「根性」は,
「『根』は力があって強いはたらきをもつもの。『性』は性質」
の意の 仏語。
仏の教えを受ける者としての性質や資質,
を指す(真如観(鎌倉初)「但し根性(コンジャウ)の勝劣に随ふに」 〔説無垢称経‐二〕)。そして,
「本来は仏教語で、好悪いずれの感じをも伴っていなかったが、中世になると、(生まれつきの性質。多く、好ましくない人の性質についていう。こころね。しょうね)のように次第に悪い意味を伴った形で用いられることが多くなる。近世の浄瑠璃や川柳などでは悪い意が主となり、それが現代にまで続き『盗人根性』『野次馬根性』『根性悪(わる)』などとも用いられる。」
とある(『精選版 日本国語大辞典』)が,「性根」は,「正念」の転訛よりは,
「ショウ(本性)+ネ(根)」,人間の根源的な性質,根性(コンジョウ),本性(ホンショウ)も同源(『日本語源広辞典』),
シウネン(執念)の義か(嗚呼矣草(おこたりぐさ)),
セイコン(性根)に由来するすか,あるいは正念に由来するか,両者の混淆も考えられる(角川古語大辞典),
という他説もある。
「正念」は,
八正道(はっしょうどう),
の一つとされる(詳しくは,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93に譲る)。仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目,
正しい見解 (正見) ,
正しい思惟 (正思) ,
正しい言語行為 (正語) ,
正しい行為 (正業) ,
正しい生活 (正命) ,
正しい努力 (正精進) ,
正しい想念 (正念) ,
の1つである。
「釈迦(しゃか)の教説のうち、おそらく最初にこの『八正道』が確立し、それに基づいて『四諦(したい)』説が成立すると、その第四の『道諦(どうたい)』(苦の滅を実現する道に関する真理)はかならず『八正道』を内容とした。逆にいえば、八正道から道諦へ、そして四諦説が導かれた。」
とかで(『ブリタニカ国際大百科事典』),「四諦(したい)」とは,
四聖諦(ししょうたい),
を,略して四諦 (したい) という。即ち,
「真理を4種の方面から考察したもの。釈尊が最初の説法で説いた仏教の根本教説であるといわれる。(1) 苦諦 (この現実世界は苦であるという真理),(2) 集諦 (じったい。苦の原因は迷妄と執着にあるという真理),(3) 滅諦 (迷妄を離れ,執着を断ち切ることが,悟りの境界にいたることであるという真理),(4) 道諦 (悟りの境界にいたる具体的な実践方法は,八正道であるという真理) の4種。」
とある(仝上)。要は,「正念」とは,
「四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいることが『正念』である。」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93)。
意識が常に注がれている状態,
がマインドフルネスであるとすると,どこか正念場とは合わない気がする。もちろん,気力充実している状態はわかるか,
正念場,
とは別ではあるまいか。『日本語源広辞典』のいう,
「『性根+場』で,なまってショウネンバです。劇中重要な見せ場,聞かせどころをいいます。失敗を許されない場面です。正念場を当てますが,これは仏教語で雑念を払った正しい心です。本来は別語です」
が正確だと思う。
なお性根(http://ppnetwork.seesaa.net/article/407707212.html)は触れたことがある。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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