2019年05月14日


「紙」は,中国で発明された紙の製法が,推古天皇18年(610)に高句麗(朝鮮)の僧曇徴(どんちょう)により日本に伝えられたといわれるが,それ以前に製紙技術が伝来していた可能性もある。『日本書紀』推古天皇18年に,

「春三月に高麗(こま)から曇徴(どんちょう)、法定(ほうてい)という2人の僧が来日したが、曇徴は中国古典に通じていたうえに、絵の具や紙、墨をつくる名人であり、また日本で初めて水力で臼(うす)を動かした」

とある。

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(中国放馬灘で発掘された初期の紙の断片科(地図らしい) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99より)


「世界最古の紙は現在、1986年に中国甘粛省の放馬灘(ほうばたん)から出土したものだとされている。この紙は、前漢時代の地図が書かれており、紀元前150年頃のものだと推定される。次いで古いのは、紀元前140年~87年頃のものとされる灞橋紙(はきょうし)である。灞橋紙は陝西省西安市灞橋鎮で出土した。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99)。さらに,史書の記録では,

「『後漢書』105年に蔡倫が樹皮やアサのぼろから紙を作り和帝に献上したという内容の記述がある。」

とか(仝上)。

「黄門蔡倫,造意用樹皮及敝布漁網作紙」(漢紀)

とある(字源)。

「樹や繭をあらった上ずみや,漁網などをまぜですき,平らに乾かしてつくった」

ということ(漢字源)らしい。もっとも,蔡倫は紙の改良者らしいが,

「蔡倫による『蔡侯紙』 は軽くかさばらないため、記録用媒体として、従来の木簡や竹簡、絹布に代わって普及した。」

という。

「紙(帋)」(シ)の字は,

「会意兼形声。氏は匙(シ さじ)と同じで,薄く平らなさじを描いた象形文字。紙は『糸(繊維)+音符氏』で,繊維をすいて薄く平らにしたかみ」

とある(漢字源)。

「簡の字音kanにiを添えたkaniの転という」(岩波古語辞典),

「簡(カヌ)の字音の,カヌ,カニ,カミと轉じたるものなり。爾雅,釋器,疏『簡,竹簡也,古未有紙,載文字于簡,謂之簡札』。推古天皇の御代に,高麗僧来朝して,始めて紙を造れり。貞丈雑記,九の書札の條に,手紙は書簡(シュカン)をテカンと讀み,又,テガミと讀みたがへたるなるべしと云へり(手段(しゅだん),てだん)」(大言海),

「カム(簡。文字を書きしるす竹の札)はカミ(紙)に転音した」(日本語の語源)

「語源は,『簡』を語源とする説が,有力で,kam+i っまり,カンに母音iが加わったものです竹のフダを,竹簡,木のフダを木簡といいました。紙の発明されていない時代の言葉ですが,漢字『簡』と紙の現物と,ほぼ同時に日本へ入ってきたのでしょう」(日本語源広辞典)

と,ほぼ「簡」由来とする説が大勢で,ネットでも,

「木簡などの『簡』が語源ではないかという。そうだとすると、kan に i が付加されるときに、n が m に変化し、『かみ』となったと考えられる。」(https://blog.ousaan.com/index.cgi/language/20070103.html

といった具合である。文字をもたない祖先にとって,紙は意味を成さない。万葉仮名のような,漢字を借りて文字表現をするようになって,初めてその重要性に気付いたはずである。

とすると,

「漢字『簡』と紙の現物と,ほぼ同時に日本へ入ってきた」

というのは的を射ている。たしか,日本でも木簡が発見された。中国では竹に文字を書いた竹簡が主流であるらしいが,日本では,木簡が大量に発見されている。既に,紙も入っている時期である。

「日本最古の木簡は、640年代までにさかのぼり、この段階で文字使用が珍しくなかった」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%B0%A1)。

「日本に文字が入ってきたとき、中国では既に紙が普及しつつあり、紙と木簡・竹簡が併用されていた。日本もそれを踏襲し、比較的短い文書についてだけ木簡を使った。すべての文書に紙を使わなかったのは、当時まだ紙が高価だったためでもあるが、簡単に壊れない木の耐久性を活用した面もある。」

とか(仝上)。文字を手にいれたら書きたくなる。この時代に文字が,少なくとも支配者層には当たり前であったとすると,文字の入ってきたのは,これよりかなり古い。三世紀前半卑弥呼が魏に使節を遣わし,生口 (奴婢) や布を献じた時,国書を携えたはずで,すでに文字を手に入れていたとみられる(漢文だが)。

さて,「簡」説が大勢だが,別にそれで確定したわけではない。もし「紙」と「簡」が一緒に入ってきたら,「紙」と「簡」は区別したはずである。文字を手に入れたとき,主流が「簡」なら,「簡」に書かれた形で入ってきたはずである。あるいは,それ以前なら,帛書(はくしょ)に書かれていたかもしれない。帛書は,

「帛と呼ばれた絹布に書かれた書」

で,春秋戦国時代から漢代まで使われた。

「中国研究者の馬衡は著書『中国書籍制度変遷之研究』にて『絹帛は、前五~四世紀から五~六世紀頃まで。竹簡・木簡は、上古から三~四世紀頃まで。紙は、前二世紀から現代まで。』と推定使用年代を述べている」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9B%E6%9B%B8)。古くは,帛(はく)を介して,文字が伝わったかもしれない。軽々に,簡(kan)→紙(kami)と断ずることはできない。

高麗の方言からか,あるいはカウゾ(楮)を原料にして造ったので,その樹名から(東雅),
コウゾの木の皮で造るところから(和句解),
コウゾの木の皮の間にある皮をいうカハミ(皮身)の義(関秘録),
カチ(楮)の義(言元梯),

等々楮由来説は,

「奈良時代には写経に要する莫大な紙が図書寮造紙所(ずしょりょうぞうしじょ)で漉かれ、文献によれば710~772年(和銅3~宝亀3)までの62年間だけでも『一切経(いっさいきょう)』が21部写され、一部を3500巻、1巻の用紙を150枚として、総計約1102万5000枚の紙が漉かれたことになる。舶来の唐紙は麻紙(まし)がほとんどであったが、国産の場合は楮紙(こうぞがみ)や斐紙(ひし)のほかに多くの植物繊維を補助的に混合した紙も使用された。これらの原料を有効に利用してじょうぶな紙を多量に生産するための合理的な方法として、奈良時代後期に、世界の製紙史上画期的な技法である『流し漉き』が生まれ、和紙を特色づけることになった。」

という「和紙」の来歴を見ると(日本大百科全書(ニッポニカ)),ありかえるかも知れない気がする。すでに,舶来の紙は,

唐紙(とうし),

と呼ばれていた。「紙」の文字は入っている。

「各種の原料繊維のなかでもとくに日本特産の雁皮(がんぴ)類(ジンチョウゲ科)の繊維の粘質性が、斐紙の抄造中の特異な性格としてみいだされ、研究された結果であった。」
「奈良時代の紙に関する情報は『正倉院文書』に詳細にみられ、紙名は、原料、用途、染色などの加工法により230以上も数えられ、実物がそのまま現存している。また770年(宝亀1)に完成した現存する世界最古の印刷物といわれる『百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)』も、当時の製紙能力を示す記念物である。」

というところ(仝上)から見ると,無理筋かもしれないが,

皮(kaha)→紙(kami),

も捨てがたい。あるいは,

漉種を兼ね合わせて編みすいたというところから,カネアミ(兼編)の略(紙魚室雑記),

という製造プロセス由来もありえる。しかし,製紙法が渡来して以来,

「トロロアオイの根やノリウツギの樹皮からとれる粘液を利用して繊維をむらなく攪拌する日本独自の技術『ねり』が考案され,江戸時代には土佐,美濃,越前など全国各地で,すき方や技法に特色のあるものがつくられるようになった。ガンピ,ミツマタ,コウゾなどの靭皮繊維を原料とする和紙は独特の色沢と地合いをもち,じょうぶで変質しにくい特長をもつ。」

とあり(ブリタニカ国際大百科事典),原料は楮だけではない。音だけからいえば,

カンピ(kannpi)→紙(kami)

だってある。語源は定められないが,「簡」→「紙」説とは断定しきれまい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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コトバの辞典;
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