和語で「ち」という言葉に当てはまる漢字は,
血,
地,
池,
千,
値,
等々たくさんあるが,多くは漢字の音であり,「血」は,漢字では,「ち」とは発音しない。「血」(漢音ケツ,呉音ケチ)の字は,
「象形。深い皿に祭礼に捧げる血のかたまりを入れたさまを描いたもので,ぬるぬるとして,なめらかに全身を回る血」
とある(漢字源)が,
「祭りの時に神にささげる『いけにえ』の血を皿に盛ったかたちから『ち』を意味する『血』という漢字が成り立ちました。中国では殷(紀元前17世紀-紀元前1046年)の時代、人間が生贄として神に捧げられました。これを人身御供(ひとみごくう)と言います。古代社会では人命は災害によって簡単に失われる物であり、自然災害を引き起こす自然の神への最上級の奉仕が人を生贄として捧げる事だと考えられていた為、たくさんの人の命が神に捧げられました。」
との説明(https://okjiten.jp/kanji19.html)が分かりやすい。
(殷・甲骨文字「血」 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A1%80より)
「ち(血)」は,
「古形ツの転」
とある(岩波古語辞典)。「つ(血)」は,
「つぬ(血沼)などの複合語にれいがのこっている」
とある(仝上)。
血沼県主倭麻呂(つぬのあがたぬしやまとまろ),
という例が載る。この場合,
Tinu→tune,
と音韻変化しただけなのかもしれない。大言海は,
「トリの約,刺して取るの意。霊(チ)に通ずるか」
とする。「取る」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/444210858.html?1556407445)は,すでに触れたように,
「て(手)と同源」(広辞苑)
「手の活用」(大言海)
であり,
「タ(手)の母音交換形トを動詞化した語。ものに積極的に働きかけ,その物をしっかり握って自分の自由にする意。また接頭語としては,その動作を自分で手を下してしっかり行い,また,自分の方に取り込む意。類義語ツカミは,物を握りしめる意。モチ(持)は,対象を変化させずそのまま手の中に保つ意。」
である(岩波古語辞典)。つまり,
「手+る(動詞をつくる機能のル)」(日本語源広辞典)
となる。例えば,
ta→te→to→tu→ti,
という転訛があるかもしれないが,どうであろか。日本語源大辞典は,
「古形としてツ(血)が考えられる。身体内から出る液体として,チ・ツ(血),チ(乳),ツ(唾)に共通したtを認めることが出来るので,これらを同源とみることができる」
としているが,むしろ「ち(霊)」との関わりの方が,強く惹かれる。「ち(霊)」は,
いかづち(厳(いか)つ霊(ち)。つは連体助詞),
をろち(尾呂霊。大蛇),
のつち(野之霊。野槌),
ミヅチ(水霊)
等々の複合語に残る(広辞苑第5版),とある。だとすると,
「チは,生命のもと」
とし,
イノチ,
と同根,とする(日本語源広辞典)に通じる。「いのち」は,
息+内+霊(仝上),
イは息,チは勢力,したがって息の勢い(岩波古語辞典),
と通じる。
チ(霊)の転義。人体にチ(霊)が流れているという観念からでたものらしい(日本古語大辞典=松岡静雄),
との説もある。日本語源大辞典は,上記に付け加えて,
「また,血・乳とも,人(子供)・生命にとって重要な生命力の源であるからそれらを,さらにチ(霊)と同源と見なすことも可能であろう」
と,
血・乳・靈,
を同源とする。とすれば,
身から出るところから,また,乳は血からなると思われるところからチ(乳)の義(和句解),
皮の内にあるところから,ウチの上略(日本釈名),
イキウチ(生内)の上略(日本語原学=林甕臣),
も,当たらずと言えど,遠からず,というところか。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:血