「あからさま」は,
偸閑,
白地,
とも当てるらしい(広辞苑)。
たちまち,急,
一時的であるさま,ちよっと,
の意と,
あからさまにも,
と表記して,否定語を伴って,
かりそめにも,
の意,さらに,
隠さず,ありのまま,
の意もある。どうも,由来の異なる語が交じりあっているように思えてならない。
岩波古語辞典は,
「アカラはアカレ(散)の古形。サマは漠然と方向を示す。(本来の居所から)ちょっと離れて,あらぬ方へというのが原義。そこから,ついちょっととか,ちょっとかりそめになどの意に転じた」
とする。たしかに,
ちょっとの間,
とか
さしあたり,
とか,
ほんのちょっと,
とか
軽率,
という意味(岩波古語辞典)は,その原義から推測できる。しかし,岩波古語辞典も載せる,
あらわ,
むきだし,
という意味は,その外延にありそうにない。「あかれ(散れ・分れ)」は,確かに,
「ひと所に集まっていた人が,そこから散り散りになる意」
である(岩波古語辞典)が,「あからさま」とつながる意味は見えてこない。むしろ「あからめ(傍目)」という言葉があり,
「アカラはアカレ(散)の古形」
とあり,
わき見,
ちょっと他に心を移すこと,
の意味で,この方が,「あからさま」の原義とつながる。
あからめ(傍目)さし,
は,
ちょっと目をそらす間に,急に身を見えなくする,
忽然と姿をくらます,
意である。大言海は,「あからさまに」を二項に分け,ひとつに,「あからめ(傍目)」とつながるような,
倏忽,
と当て,
傍視(あからめ)のアカラなり,倏忽(ニハカニ)の意となる。…サマニは,状になり」
とし,「あからめ(傍視)」の項で,
「離(あか)れ目の轉(細波(サザレナミ),さざらなみ。疏疏松原(アララまつばら),あられ松原)。…目が外へ離るる意」
とし,離れ散る意の「あかる(離散)」とつながるとする。これは,
わき見→急に→ちょっと→さしあたり,
という意味の繋がりと通じる。大言海が「あからさまに」で立てた,もう一項は,
明白,
と当て,
「明状(アカラサマ)の義。此語に白地(ハクチ)の字を記せるは,前條の語と混じりたるべけれど,語原,全く相異なり,此語古くは見えぬやうなり。和訓栞,アカラサマ『後世,白地をアカセサマと訓めり,こは,ありのままに,打出し明す意なれば,明様の義なるべし』」
とする。つまり,「あきららかに」の意は,どこかで,
明からさま,
と誤って当てたために混じり合ったのではないか,ということなのである。
「時代がくだってから(ありのまま,あからさまの)用法が出てくるが,これは『明から様』と意識したことによると考えられる」
とする(日本語源大辞典)のは,そのせいである。その意味で,
明から様,
を語源とする説(日本語源広辞典)は,解釈を誤っている。
あかれ(散れ・分れ)→あからめ(傍目)→あからさま,
という,本来,
よそ見,
の状態表現から,時間として,不意に目を転ずる意から,「急に」,その時間幅から,「ちょっとの間」「さしあたり」になり,更に,価値表現としての「軽率」の意までが原義のようである。「明から様」と当てて,今日主として,
ありのままで,
あらわなさま,
明白なさま,
の意として使われ,今日ほぼ,「あからさま」は,束の間のいよりは,こちらの意に転じている。
「『あから』は元来『物事の急におこるさま』『物事のはげしいさま』を表わすが、次第に『にわか・急』『ついちょっと・かりそめ』などの意に転じていった。しかし、『にわか・急』の意には『すみやか』『にはか』『たちまち』などの語が用いられるため、『あからさま』は『ついちょっと・かりそめ』の意に固定していったと考えられる。時代が下ってから(あらわなさまの意の)用法が出て来るが、これは『明から様』と意識したことによると考えられる。」
とまとめる通りである(精選版 日本国語大辞典)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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