「ある」は,
有る,
在る,
と当てる。しかし,「ある」は,
生る,
現る,
とも当てる。漢字を当てはめる以外,この区別はなく,「ある」であった。
「在」(呉音ザイ,漢音サイ)の字は,
「会意兼形声。才の原字は,川の流れをとめるせきを描いた象形文字で,その全形は形を変えて災(成長進行を止める支障)などに含まれる。才はそのせきの形だけをとって描いた象形文字で,切り止める意を含む。在は『土+音符才』で,土でふさいで水流を切り止めること,転じて,じっと止まる意となる。」
とある(漢字源)。別に,
「会意兼形声文字です(士+才)。『まさかり(斧)』の象形と『川の氾濫をせきとめる為に建てられた良質の木』の象形から、災害から人を守る為に存在するものを意味し、そこから、『ある』を意味する『在』という漢字が成り立ちました。」
とある(https://okjiten.jp/kanji861.html)。堰き止める気から出たもののように思われる。「在」は,
~にある,
~にいる,
意である。
(「在」の字,殷・甲骨文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%A8より)
「有」(ユウ)の字は,
「会意兼形声。又(ユウ)は,手でわくを構えたさま。有は『肉+印符又』で,わくを構えた手に肉をかかえころむさま。空間中に一定の形を画することから,事物が形をなしてあることや,わくの中にかかえこむことを意味する」
とある(漢字源)。別に,
「会意兼形声文字です(月(肉)+又)。『右手』の象形と『肉』の象形から肉を『もつ』、『ある』を意味する『有』という漢字が成り立ちました。甲骨文では『右手』だけでしたが、金文になり、『肉』がつきました。」
とある(https://okjiten.jp/kanji545.html)。このほうがわかりやすい。
(「有」の字,殷・甲骨文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%89より)
「有」は,
空間の中にある形をなして存在している,
意である。「在」と「有」の使い分けは,
「有」は,無に対して用ふ,
「在」は,没または去と対す,
とあり,
有の字の下は,物なり,
在の字の下は,居處なり,
として,
市有人,人有市
死生命有,富貴在天,
とする(字源)。この区別は,「ある」にはない。
「空間的時間的に存在し持続する意が根本で,それから転じて,…ニアリ,…トアリの形で,…であるという陳述を表す点では英語のbe動詞に似ている。ニアリは後に指定の動詞ナリとなり,トアリは指定の助動詞タリとなった。また完了を表すツの連用形テとアリの結合から助動詞タリ,動詞連用形にアリが結合して(例えば,咲キアリ→咲ケリ)完了・持続の助動詞リ,またナリ・ナシ(鳴)の語幹ナ(音)とアリの結合によって伝聞の助動詞ナリが派生した。」
とあり(岩波古語辞典),「ある」は,有無の「有」,在没の「在」の意味をともに持っていたことになる。当然,「ある」は,
「語形上,アレ(生)・アラハレ(現)などと関係があり,それらと共通なarという語幹を持つ。arは出生・出現を意味する語根。日本人の物の考え方では物の存在することを,成り出る,出現するという意味でとらえる傾向が古代にさかのぼるほど強いので,アリの語根も,そのarであろうと考えられ,朝鮮語のal(卵)という語と,関係があると考えられる。」
と,朝鮮語云々はともかく,「在」の意味と重なるように思われる。となれば,
生る,
顕(現)れる,
の意味とつながるのは当然に思われる。日本語源広辞典に,
「arに,出現の意を持つのがアルの語源です。出現している,存在している,所有している意です。アル(生),アラワル(出現・露・現),またナリ(生・成)などと関連があると思われます。ひいて,存在する意になったのでしょう。日本語では所有のアルと存在のアルを区別できません」
とあるのも,同趣旨と考えられる。「ある」は「有」よりも「在」に近く,「ある」は,
なる(生・成),
とも区別を付けない。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95