「会釈」は,大言海に,
会得して,心の中に釈然と解き得ること,又,打ちとけ語らふこと,
仏教にては,法門の難義を会得解釈すること,
うなづくこと,
転じて,礼すること,あいさつ,
とある。おそらくこの順で,意味が転じたものと想像される。岩波古語辞典には,
理解し解釈すること,
相手の気持ちなどをしはかり思いやること,
挨拶,
とある。広辞苑には,
(仏語)和会(わえ)通釈の意。前後相違してみえる内容を互いに照合し,意義の通じるようにすること,会通(えつう),
前後の事情をのみこんで理会すること,
相手の心をおしはかって,応対すること,
おもいやり,
にこやかにうなづくこと,
の意味が載る。「釋(釈)」(漢音シャク,呉音セキ)の字は,
「会意兼形声。睪(エキ)は『目+幸(刑具)』から成り,手かせをはめた罪人を,ひとりつずつ並べて面通しすること。釋はそれを音符とし,釆(ばらばらにわける)を加えた字で,しこりをばらばらにほぐし,ひとつずつにわけて,一本の線に連ねること。釈は,音符を尺に換えた略字」
とある。「釋」は,「とく」意で,
「しめて固めたものを,ひとつひとつ解きほぐす,分からない部分やしこりをときほぐす」
意で,「釈然」「氷釈」等々という使い,そこから,「いましめをとく」意を転じ,「ゆるす」意となる。
「會(会)」(漢音カイ,呉音エ)の字は,
「会意。『△印(あわせる)+會(増の略体 ふえる)』で,多ぐの人が寄り集まって話をすること」
とある(漢字源)。「あう」とか「あつまる」意だが,物事に「であう」意でもある。
これらを考えると,「会釈」は,一般には,
「会釈は、仏教用語『和会通釈(わえつうしゃく)』の略である。 和会通釈とは、一見矛盾 する教義どうしを照合し、根本にある共通する真実の意味を明らかにすることである。」(語源由来辞典)
とされるが,もともと,
会得して,心の中に釈然と解き得ること,
と
打ちとけ語らふこと,
の意味があったものと思われる。それを仏語に転用し,
和会通釈(わえつうしゃく)の略語,
として,
会通(えつう),和会,融会(ゆうえ),
ともいい,
仏典の二律背反(相互に自己矛盾する教説)を照合し、矛盾のない解釈を導き出すこと。転じて他者相互の矛盾を解消する意,
として用いられたと思う。しかし,「会釈」には,
打ち解けあう,
意があり,そこから,
前後の事情をのみこんで理会すること,
相手の心をおしはかって,応対すること,
の意が,意味の外延としてあり得る。日葡辞書(1603‐04)には,
「Yexacuno(エシャクノ) ヨイ ヒト」
と,
好意を示す応対、態度,愛想,
の意で使われている。それが,
にこやかにうなづくこと,
愛想,
に転じ,
挨拶,
へと転じたが,その含意には,両者が打ち解けている関係あることが前提と思う。ちょっとした知り合いに会釈するのは,ある意に,知っていますよ,という合図のように思える。それが,逆転し,
挨拶,
となったとき,その会釈は,融和の形式に化している。江戸語大辞典では,「会釈」は,
軽くお辞儀する,
転じて,
差し控える,遠慮する,
意になっている。両者の距離の確認に代わっている。この意味は,今日はなくなって,
軽くお辞儀する,
意になっている。今日,ビジネスマナーでは,
「3段階あるお辞儀の仕方のうち1番軽いお辞儀で、社内で上司や外部の方とすれ違うとき、入退出時、お客さまの前に出たり下がったりするときに用いる。角度は15度が目安とされ、頭だけでなく、背筋を伸ばして腰から上体を折り、前方に視線を落とすのが基本とされている。」
とある(ビジネス基本用語集)。下らないことを商売の種にして,日本のビジネスの停滞と堕落を持たらしている見本にしか思えない。お辞儀の三段階とは,
お辞儀の種類①:会釈(角度15°)
•角度は上体を腰から15度くらい前へ傾ける
•視線は3mくらい先に
•基本は朝夕の挨拶、通路等での軽いおじぎ、お客様をお迎えするときのお辞儀
お辞儀の種類②:敬礼(角度30°)
・角度は背筋を伸ばして腰から30度上体を折り、足下の少し前方に視線を落とすのが基本
・お客さまや目上の人に対して敬意をもって行うお辞儀
・会釈よりもやや角度を深くする
お辞儀の種類③:最敬礼(角度45°)
・3段階あるお辞儀の仕方のうち最も深いお辞儀。お詫びをするとき、深い感謝を表すとき、重要なお客さまをお見送りするときなどに用いる。角度が最も深く、神前での儀式や高貴な方に対する礼に用いる。
・角度は45度が目安とされ、背筋を伸ばして腰から上体を深く折り曲げ、真下よりやや前方に視線を落とすのが基本
とある(tps://careerpark.jp/692)。これが付加価値を産むことになるのかどうか,僕には馬鹿馬鹿しくて,付いていけない。挨拶は不可欠だが,形式化したとき,会釈の持つ含意は忘れられている。心が解けることとは無縁である。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:会釈