西ヶ谷恭弘『復原 戦国の風景―戦国時代の衣・食・住 』を読む。
同じ著者(「城の西ヶ谷」といわれるらしい)の『城郭』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463419410.html)については触れたことがある。本書は,戦国時代を,
武器・戦術,
食文化,
服飾,
風俗・儀礼,
に分けて紹介する。しかし,「城」を外したのはわかるにしても,甲冑,小具足等々の「武具」についての言及がないのは,「戦国の風景」としては,いささか物足りない。それと,連載の寄せ集めらしく,大事なものが抜けていて,些末なところがページが割かれているアンバランスな感じが否めない。個人的には,この時代の地下の人びとの実態,例えば,まだ兵農未分化の時代の村落の,武士と農民の風俗や生活実態を知りたいと思ったが,ほとんど言及がないのは,落胆した。
(「槍」西周・金文 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%8E%97より)
(「槍」漢・説文 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A7%8Dより)
たとえば,「鑓」の項で,
「鑓は槍,鎗とも記すが,槍は縄文時代の骨角器に代表される狩猟道具として発達したもので,鑓とは異なる。槍はのちに棒術と呼ばれるものに相当する。鑓の祖素形は,長刀で,古代の鉾と中世の剣刀が改良されたものである。」
という記述がある。「槍」と「鎗」は違う,というのは読んだことがある。この記述だけでは消化不良を起こしそうである。別に,
「木篇を用いたのは木の柄のついた武器で,倉が音を表し突く意の衡からきている。鑓は本来は金属の触合う音から来ているから鎗鎗(錚鎗)などと表現したが,日本では槍と同じに用いられた。鑓は繰り出して遣の武器であるから金篇を用いた国字である。その『やり』の当字が『也利』『矢利』である」
とある(日本合戦武具事典)。かつて「槍」「鎗」は,「ほこ(鉾)」と訓ませていたようであるので,「槍」と「鑓」は別物ということになる。ただ,
「槍の本来の用法は鉾と同じで剣突が主であり,手鉾・薙刀のように両手で操作する。しかも突出し,手繰り寄せ,後世は柄が長いので,撲ったり払ったり」
した(仝上)。その鑓は,戦国時代,長柄鑓となる。
「竹鑓にて扣き合ひを御覧じ,兎角,鑓はみじかく候ては,悪しく候わんと仰せられ候て」(信長公記)
織田家では,
三間長柄,
三間半長柄,
が家風となったらしい。次第に戦力の主体が鑓となり,この長い鑓が城の構造も変える。
「谷を利用していない人工の堀幅は,八メートルから一四メートル平均である。(中略)これら空堀数値は,鑓の長さを意識しており,鉄炮はあまり考慮されていないと思える。というのは,籠城戦となった場合,守城軍は,攻城軍に打撃を充分に加えなければならず,堀幅を広くして,いたずらに攻撃をかわしていたならば,兵糧が尽きて陥落するからである。守城軍と攻城軍が相方ともに長柄鑓で穂先を突きあわす距離,鑓二本の長さが,空堀幅の数値と合致するのである。同様なことは,側壁高にもいえ,(中略)(逆井城本丸は)矩高は七・五メートルと長柄の長さで,,堀底に立つ人に攻撃を加える長さに合致するのである」
本書の中で面白いのは,酒に関する部分である。戦国期「柳」は,酒の代名詞であった。柳小路,柳ヶ瀬,柳川,と地名に残る。
「『柳』とは戦国時代には酒の代名詞であった。柳町とは酒の集まる街という意味,柳ヶ瀬とは,酒が陸揚げされる河岸のことである」
とし,この「柳」は,
「日本ではじめての商品名すなわち銘がつけられた『大柳』という酒に由来する」。
そして,著者は,
「この柳酒が清酒であった」
と推定しているのである。
「というのは,戦国期の城や館を発掘して,出土する盃に代表される器をみると,いわゆる濁酒では不必要な陶磁器の模様や,土器の雲母分が強調されて施されているからだ」
しかし,そこまでしか説明がない。「鑓」の説明と同じである。雲母文をまぜてキラキラさせるのは,縄文土器にも見られる。研究書でないにしても,着想をもう少し丁寧に展開してほしい。
参考文献;
西ヶ谷恭弘『復原 戦国の風景―戦国時代の衣・食・住 』(PHP研究所)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95