「むやみやたら」は,
無闇矢鱈,
と当てる。当て字である。
むやみを強めていう語,
むちゃくちゃ,
の意とある(広辞苑)。
滅多矢鱈(めったやたら),
とも同義である。「無闇」は,
無暗,
とも当てる。「むやみ」自体が,
前後を考えないさま,理非を分別しないさま,
度を越すさま,
の意がある。「やたら」も,
みだり(に),
の意なので,重複させた意となる。江戸語大辞典には,
無闇を極める,
という言い回しが載り,
あとさきの考えもなくそのことをする,乱暴にきめつける,
と「むやみ」とほぼ重なる意味を載せる。「やたら」については,
すべて節度がないこと,
の意で,「に」「と」をつけて,副詞として,
むやみに,むちゃくちゃに,
という意味が載る。岩波古語辞典には「むやみ」も「やたら」も載らない。比較的新しい語のように思われる。
やたら縞,
やたら漬,
という言葉は,「やたら」を受けて成り立つ言葉に思える。
大言海は,「やたら」について,
彌足(やたら)の義。彌當(やつあたり)に縁ある語か
としている。「やつあたり」は,
八つ当たり,
八當,
彌當,
等々と当てる。大言海は,
ヤタラアタリの約,
とするし,江戸語大辞典は,
やつは弥(いや)つの意,
としている。このことは,後で繋がる。
「やたら」について,
雅楽の八多羅拍子( やたらびょうし),
が由来とする説がある(http://kotoba.livedoor.biz/archives/50304639.html)。日本語源広辞典も,
「雅楽用語。八多羅拍子」
説を採る。さらにその説を採るものは,
雅楽でいう「やたら拍子」からか,拍子が早くて調子があわないところから(和訓栞・松屋筆記・日本古語大辞典=金田一春彦・ことばの事典=日置昌一),
等々ある。しかし,江戸語大辞典にその由来に言及はなく,僕は俗説だと見なす。むしろ「やたら」という言葉に当てはまるものを探し当てたのではないか。
「やたら拍子」は,
八多良拍子,
夜多羅拍子,
八多羅拍子,
とも書く。
「日本の雅楽の唐楽曲(唐楽)の拍子のひとつ。2拍と3拍が交替反復する拍節,すなわち5拍子で,舞楽立(ぶがくだち)の《蘇莫者破(そまくしやのは)》(左方(さほう)),《陪臚破(ばいろのは)》《還城楽(げんじようらく)》《抜頭(ばとう)》(以上右方(うほう))が現行。《還城楽》と《抜頭》が,左方の舞楽に用いられる場合と管絃立(かんげんだち)で演奏される場合,および《蘇莫者破》と《陪臚破》が管絃立で演奏される場合は,いずれも早只拍子に転換される。」(世界大百科事典 第2版)
とある。ちなみに,「唐楽」は,
「奈良時代から平安時代初期にかけて,唐代の中国から伝来した合奏音楽で,唐朝の宮廷の娯楽音楽を中心とするが,このほか,中国を経て伝来したインドやベトナムの音楽,それらをまねて日本人が作曲した音楽が含まれる。伝来当初から寺院の供養音楽として,あるいは宮廷の儀式音楽として演奏され,さらに平安時代中期 (仁明天皇の頃) には,いわゆる平安朝の楽制改革によって,楽器編成や音楽理論,演奏様式などの統一がはかられ,朝鮮系の高麗 (こま) 楽に対する唐楽として形が整えられ,今日にいたっている」(ブリタニカ国際大百科事典)
とされる。「やたら拍子」はでたらめではない。雅楽(唐楽)の拍子には,
延拍子,
早拍子,
只拍子,
があり,只拍子から夜多羅拍子が生まれた。「やたら拍子」には,
夜多羅八拍子,
夜多羅四拍子,
があり,
「早只拍子の曲を右方の舞で舞うときの伴奏で、4分の2拍子と4分の3拍子を交互に連続して奏する。管絃のときと違って舞楽の伴奏となると曲ははずんでくるので、4分の4拍子の最後の1拍を捨ててしまって奏さない。そうすると曲は浮き浮きしてリズムに乗ってくる。」
とされる(http://www.terakoya.com/gonshiki/gagaku/kaisetsu.html)。当然ながら,拍子だから,でたらめであるはずはない。「やたら」の語義とは乖離がある。
八多羅拍子は二拍子と三拍子を組み合わせたテンポの速い拍子で乱れやすいことから,
という説明を,「やたら」の
節度のなさ,
につなげるのは牽強付会が過ぎるし,第一雅楽奏者に失礼である。むしろ,大言海の,
彌足(やたら),
のように,日常使っていた言葉の転訛で「やたら」となったと見るのが普通である。雅楽の言葉が一般の庶民の日常会話の言葉に流布するなどということが,現代ならともかく,近世以前にありえるとは思えない。その意味では,日本語の語源の,
「ムリ(無理)という語には①『強いて行うこと』。②『道理のないこと。理由のたたないこと』の二義がある。これを強めたムリイヤムリ(無理彌無理)は,イ・ムを落してムリヤリ(無理遣)になった。①の語義の強調表現である。
他方では,リ・イ・リを落してムヤム・ムヤミ(無闇)になった。②の語義の強調表現で,『前後を考えないさま。理非を分別しないさま』をいう。
無闇を強めてムヤミヤタラ(無闇矢鱈)というが,ヤタラの語源はイヤミダリ(彌妄)で,イ・ミを落したヤダリがヤタラ(矢鱈)に変化した。イタミダリナルメリ(甚妄りなるめり)からはデタラメ(出鱈目)が成立した。リナ[r(in)a]の縮約にともなう省略形のタダラメの変化である。
ヤラタを強めてヤタラムチャクチャ(矢鱈無茶苦茶)といったのが,語中のラムチャの部分を落してヤタクチャ・ヤタクタになった。『むやみやたら』の意の方言として尾張・岐阜県山形郡で用いる。
同じく,ヤタラヒタスラ(矢鱈只管)はスを落としてヤタラヒタラになった。埼玉県北葛飾郡で『むやみやたら』の意の方言として用いる。さらに,ヒが母交(母韻交替)[ie]をとげて,長野県南佐久郡ではヤタラヘータラという」
という音韻変化の方が,現実的である。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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