「煎餅」は,
せんべい,
と訓ませるが,中国語で,
餅を焼きたるもの,
とあり(字源),我が国では,
うどん粉に砂糖ををまぜ,種々の型に入れて薄く焼きたる菓子,
をいう(仝上)。やっかいなことに,「煎餅」は,
小麦粉,
粳米,
もち米,
と材料が異なり,地域によって,「煎餅」という言葉で,イメージするものが異なる。広辞苑は,
塩せんべいのこと,
と載せ,その上で,
干菓子のの一種。小麦粉,または粳米(うるちまい)・糯米(もちごめ)の粉に砂糖などを加えて種を作り,鉄製の焼き型に入れて焼いたもの,
という意味を載せる。
(亀の甲せんべい http://www.shimonoseki-edokin.com/shouhin01.phpより)
「煎餅」の「煎」(せん)は,
「会意兼形声。前の刂を除いた部分は,『止(足)+舟』の会意文字。前は,それに,刀印を加えた会意兼形声文字で,もとそろえて切ること,剪(セン)の原字。表面をそろえる意を含む。煎は『火+音符前』で,火力を平均にそろえて,なべの上の物をいちように熱すること」
で(漢字源),「煎る」意である。「煎」は,
「火去汁也」
と註し,汁の乾くまで煮詰める意である。「餅」(漢音ヘイ,呉音ヒョウ)は,
「会意兼形声。『食+音符并(ヘイ 表面を平らにならす)』で,表面がうすく平らである意」
で(仝上),「小麦粉をこねて焼いてつくった丸くて平らな食品」の意で,「もち」の意はない。だから,
「奈良朝時代に中国から唐菓子の一つとして伝来した煎餅は,小麦粉を薄紙のようにのばし,これを油で揚げたものであった」
という(たべもの語源辞典)。和名抄には,「煎餅」を,
世間云如字,
とあり,和訓されておらず音訓みされていたようで,,どうやら,
せんへい→せんべい,
という転訛していったもののようである。いまの「煎餅」の嚆矢は,
「空海が中国で順公皇帝に召され,供せられたものに龜甲型の煎餅があったが,これは油で揚げてない淡泊な煎餅であった。空海は帰朝して,山城国葛野郡嵯峨小倉の里の住人和三郎にこの製法を伝えた。和三郎は,これを作り,亀の子煎餅と名づけて嵯峨天皇に献上したところ『嵯峨御菓子御用』を命ぜられた。彼は亀屋和泉藤原政重と号し,諸人にその製法を伝授した」
とある(仝上)。日本語源大辞典は,こう書いている。
「『天平十一年伊豆国正税帳』には,『煎餅』『阿久良形』『麦形』などをつくるために胡麻油を用意したことが記されており,『天平九年但馬国正税帳』には,『伊利毛知比』の語がことなどから,奈良時代に唐菓子の一種である煎餅があって,『いりもちひ』と呼ばれていたことがうかがえる」
この場合,小麦粉の「煎餅」と思われる。
江戸時代になると,関東では,
瓦煎餅,
龜甲煎餅,
味噌煎餅,
小豆煎餅,
玉子煎餅,
カステラ煎餅,
と多様化し,関西では,
切煎餅,
豆煎餅,
千筋煎餅,
靑海煎餅,
半月煎餅,
小形五色煎餅,
胡麻煎餅,
短冊煎餅,
木の葉煎餅,
等々が作られた,という(仝上)。これらはみな,「小麦粉を用いたもので,瓦煎餅系」である。これとは別に,
「糯(もち)米粉や粳(うるち)米粉を用いた煎餅があった。丸輪の塩煎餅系である」
とある。広辞苑が「煎餅」の意に,塩煎餅としたのは,この故である。
この「煎餅」の由来は,どうやら別で,似たものは,
「すりつぶした栗や芋類(サトイモ、ヤマイモなど)などを同様に一口大程度に平たく押しつぶして焼いた物が、縄文遺跡の住居跡からも出土している。
吉野ヶ里遺跡や登呂遺跡の住居跡から、一口大程度に平たく潰し焼いた穀物製の餅が出土しており、既に弥生時代には煎餅に近い物が食されていたのではないかと考えられている」
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%8E%E9%A4%85),
「元来、日本では糯(もち)、うるちを問わず、米を蒸したものを『飯』と呼び、今の『強飯』でこれが昔の常食でした。これを搗(つ)きつぶしたものをもち(餅)といいました。餅には生餅と、乾餅(ほしもち)があり、乾餅は別名『堅餅(かたもち)』とも呼ばれて、焼いて食べる保存食として重宝がられました。
そのため、戦陣に携行する兵糧でもありました。後世、この中に豆や胡麻をついて入れたり、塩味をつける製法が好まれました。これが『塩堅餅』で、これを焼いたものが後の『塩せんべい』で、草加せんべいの源流となっていきます」
とされるのも故がある(https://sokasenbei.com/origin.html)。因みに,草加せんべいは,
「江戸時代、利根川沿岸で醤油が造られるようになると、焼せんべいに醤油を塗るようになりました。草加では、専らこの醤油せんべいが売れるので、従来の塩せんべいは醤油せんべいに代わりましたが、名前は古くからの塩せんべいと言われつづけてきました」
ということらしい(仝上)。和漢三才図絵(1712年)には,「煎餅」の,
「製法は小麦粉に糖密を加えて練り、それを蒸して平たくのばす。適当な大きさにまとめ鉄の『皿範(かたち)』であぶる、とある。このころまでは、せんべいは小麦粉食品という本来の形を守っている。」
とある。で,米の「煎餅」が意識的につくられたのは,文化・文政(1804~29)期らしく,
「江戸で日本人の創作による米を使った丸形の塩せんべいが流行し、江戸っ子はこちらの方を『せんべい』と呼ぶようになった。一方関西では依然として小麦粉せんべいがせんべいであり、米せんべいを『おかき』とか『かきもち』と呼んで区別した。」
とある(https://style.nikkei.com/article/DGXMZO17176370R00C17A6000000/)。こんな流れで,小麦粉由来も,粳米・糯米由来も,ひっくるめて「煎餅」と言っているので,「あられ」や「おかき」との線引きがむつかしいが,いちおう,「あられ」は,
「餅を煎るときに音を立てて跳ね,霰に似ているから付いた名で,小さいもの」
「おかき」は,
「鏡餅を手や鎚で欠き割ったことから『欠き餅』と呼ばれ,女房詞で『おかき』になったもので,霰に比べて大きい」
とされるらしい(https://chigai-allguide.com/%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%B9%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%82%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A8%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%81%8D/)。
(日本の米を原料とする煎餅 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%8E%E9%A4%85より)
笑える国語辞典は,こうまとめている。
「煎餅(せんべい)とは、小麦粉や米粉を原料とした焼き菓子。関西方面では、小麦粉に砂糖、卵などを混ぜ、型に入れて焼く瓦煎餅が多く、関東地方では、水で溶いた米粉を薄くのばして焼き、しょう油などで味付けしたものが主である。固い菓子であり、歯が弱くなって固いものがかめなくなった年寄りのところへ持参するいやみなお土産として適している。
ところで中国や台湾で『煎餅』というと、以前は水に溶かした小麦粉やコーリャン粉を鍋などに薄くのばして焼いたもの、つまりクレープの皮みたいなものを言ったようだが、いまではパンケーキのことを主に言うらしい。」
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:煎餅