2019年08月25日

濫觴


「濫觴(らんしょう)」は,

物の始まり,
物事の起源,

の意である。広辞苑には,こう載る。

荀子(子道)『其源可以濫觴』(長江も水源にさかのぼれば觴(さかずき)を濫(うか)べるほどの,または觴に濫(あふ)れるほどの小さな流れである意),

と。出典は荀子である。「觴」は「さかずき」の意だが,「濫」の解釈が,

あふれる,

意と,

うかべる,

意とに分かれる。「濫」(ラン)は,

「会意兼形声。監は『うつ向いた目+水をはった皿』の会意文字で,人がうつむいて水鏡に顔をうつすさま。その枠の中におさまるようにして,よく見る意を含む。鑑の原字。檻(和句解をはめて出ぬようにするおり)と同系のことば。濫は『水+音符監』で,外へ出ないように押さえたわくを越えて,水がはみ出ること」

とある(漢字源)。「あふれる」意であるが,「うかべる」意もある。

濫溢(らんいつ),
泛濫(氾濫),

は「あふれる」だが,

濫觴(らんしょう),

は,「うかぶ」の例として,

「孔子曰子路曰,夫江始出岷山,其源可以濫觴及至江津,不舫楫,不可以渉」(孔子家語,三恕),

と載る(字源)。また「ひたす」意,

物の表面が水面と同じくらいの高さになるようにひたす,

意の例としても,「濫觴」が載る(漢字源)。孔子の言葉は,載せるもので多少の違いがあるが,

昔者江出於岷山、其始出也、其源可以濫觴。及其至江之津也、不放舟不避風、則不可渉也。非唯下流水多邪(むかし江は岷山(びんざん)より出いで、其の始めて出ずるや、其の源は以て觴(さかずき)を濫(うか)ぶべし。其の江の津に至いたるに及よんでや、舟に放(よ)らず、風を避ざれば、則ち渉るべからず。下流水多きを唯てに非ずや)

とあり,意味は同じである(https://kanbun.info/koji/ransho.html)。

似た言葉に,

嚆矢(こうし),

がある。「嚆矢」は,

かぶらや(鏑矢),
鳴箭(めいせん)。

の意である。

矢の先端付近の鏃の根元に位置するように鏑が取り付けられた矢のこと。射放つと音響が生じることから戦場における合図として合戦開始等の通知に用いられた,

もので(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%91%E7%9F%A2),

「古く中国で開戦のしるしに『かぶらや』を敵陣に向けて射掛けた」

ことから,

始まり,

の意で用いる。「嚆」(漢音コウ,呉音キョウ)は,

「形声。『口+音符蒿(コウ)』で,うなる音を表す擬声語」

で,

矢のうなる音,

そのものを指す。出典は荘子,

「焉知曾(曾參)史(史鰌)之不為桀(夏桀王)跖(盗跖)嚆矢也,故曰,絶聖棄知,而天下大治」(在宥篇)

ここで初めて,「始まり」の意で使われたとされる。

しかし,

濫觴,

嚆矢,

は,始まりの意に違いはないが,あえて言えば,「嚆矢」は,

始める,

であり,「濫觴」は,

始まる,

であり,微妙に意味が異なる気がする。鏑矢で,

開始する,

のと,川の源流が,

始まる,

のとではちょっと異なる。敢えて,言うなら,「嚆矢」は,

開始,
創始,

であり,「濫觴」は,

始原,
発端,
淵源,

である。

参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:濫觴 嚆矢
posted by Toshi at 03:58| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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