「心中」は,
しんちゅう,
と訓ませば,
心の中,
胸中,
の意である。
しんじゅう,
と訓ませれば,今日,
相愛の男女が一緒に自殺する,
という意の,
情死,
の意であるが,それが広がって,
一家心中,
のように,
複数の人間が一緒に死ぬ,
意である。それを比喩に,
会社と心中する,
というように,
打ち込んでいる仕事や組織などと運命を共にする
意で使ったりする。「情死」の意の前に載る意味は,
人に対して義理を立てる,
相愛の男女がその真実を相手に示す証拠,放爪,入墨,断髪,切指の類,
とあり,それがと転じて,
男女の相対死,
の意になったようである(広辞苑)。
本来,「心中」は,漢字では,
意中,
の意であり,ただ「心の中の考え」というだけの意味にすぎない。
心中有心,
というと,
心をもって心を制する,
意であり(管子「治之者心也,安之者心也,心以蔵心」),
心中人,
というと,
わが思う人,
の意である。この用例を見ると,「意中」の意は,ニュートラルではなさそうで,価値表現を含んでいるように思われるが,それ以外の意味は,我が国だけの用例らしい(字源)。だから,「しんぢう(しんじゅう)」と訓ませる場合も,
心,考え,
の意が元であり,それが,
心中立て,
の略として使われたところから,「心中」の意味が変化したもののようである。大言海は,「しんぢゅう」の項で,
互いに心中立(しんぢゅだて)する意,
としている。「心中立」とは,
心中を立ててとほす意。忠義立て,男だて同趣,
とある(大言海)。つまり,
心中(しんちゅう)→心中立(しんぢうだて)→心中(しんじゅう),
と,心の中の誓いや義理の話が,外へ出て,証を示すことになり,さらには,究極共に,その証として死ぬ,ということになった,という意味の流れに見える。日本語源広辞典の,
「中国語の,『心中(心の中の誠実)』が語源です。転じて,二人以上が同時に自殺することをいいます」
は説明に飛躍がある。
「『心中』は本来『しんちゅう』と読み、『まことの心意、まごころ』を意味する言葉だが、それが転じて『他人に対して義理立てをする』意味から、『心中立』(しんじゅうだて)とされ、特に男女が愛情を守り通すこと、男女の相愛をいうようになった。また、相愛の男女がその愛の変わらぬ証として、髪を切ったり、切指や爪を抜いたり、誓紙を交わす等、の行為もいうようになる。そして、究極の形として相愛の男女の相対死(あいたいじに)を指すようになり、それが現代にいたり、家族や友人までの範囲をも指すようになった」
という説明が正確である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E4%B8%AD)。
(鳥居清長・美南見十二候九月の遊女 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E5%A5%B3より)
「元々は,遊廓の遊女が客に、心をこめる箱を意味する心中箱を渡す風習があった。これが、心中の前身であったと言われる。初期には心中箱に爪などを入れるが、しだいに断髪を入れるようになり、さらには遊女が20代後半になると引退ということになり、客に最後にわたす意味で、指を切って渡した。当時の心中が文学作品の影響や、情死を美化する日本独自の来世思想(男女が情死すると、来世で結ばれる)から、遊廓を逃亡した遊女などが気に入った客と情死する=心中するという意味に移行するに至った」
という説(仝上)があり,究極,
「自らの命をも捧げる事が義理立ての最高の証と考えられたことから、現在の心中の意味になった」
とされる(仝上)。情死を賛美する風潮も現れ、遊廓で遊女と心中する等の心中事件が増加して,
「江戸幕府は『心中は漢字の「忠」に通じる』としてこの言葉の使用を禁止し、『相対死』(あいたいじに)と呼んだ。心中した男女を不義密通の罪人扱いとし、死んだ場合は『遺骸取捨』として葬儀、埋葬を禁止し、一方が死に、一方が死ななかった場合は生き残ったほうを死罪とし、また両者とも死ねなかった場合は非人身分に落とした」
という(仝上)。「心中」を,
しんちゅう→しんぢう→しんじゅう,
と濁らせたについては,
「遊里おいてに,起請文(相愛の男女がその愛情の互いに変わらないことを誓うために書いたもの)の意で(心中は)用いられ,原義との区別を清濁で示すようになった。元禄頃になると,男女の真情の極端な発現として情死という意味に限定される」
ようになったものとある(日本語源大辞典)。思えば,遊里であるからこそ,
起請文,
がいる。というより,それも客寄せの手段だったのかもしれない。しかし,思い詰めて行けば,行き着くところは,
情死,
になるのも,相手が遊女だったからなのかもしれない。
「そもそも男女が愛情の証しとして指や髪を切ることを言ったが、それだけではお互いを信用しきれない疑い深い連中が手段をエスカレートさせた結果、この究極の約束の方法にたどりついた。確かに心中が成功すれば約束が破られることはないが、往々にして片方だけが生き残り、そうなるとこれも究極の約束破りとなる」
とある(笑える国語辞典)のが笑えないのは,現に多かったのである。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95