「愚痴」は,
愚癡,
とも当てる。「愚」(グ)は,
「会意兼形声。禺(グウ)は,おろかな物まねざるのこと。愚は『心+音符禺』で,おろかで鈍い心のこと」
とあり(漢字源),「智」や「賢」の対。「痴(癡)」(チ)は,
「会意。疑は,とまどって動かないこと。癡は『疒+疑』で,何かにつかえて知恵の働かないこと」
で,「慧」「聡」の対。「痴」は,「癡」の俗字で,「疒+音符知」の形声文字。
「愚痴」は,
言っても仕方のないことを言って嘆くこと,
の意で使うが,もとは,三毒の一つ,
理非の区別のつかないおろかさ,
を言う。
「原語は一般にサンスクリット語のモーハmohaがあてられ、莫迦(ばか)(のちに馬鹿)の語源とされている。仏教用語では、真理に暗く、無知なこと。道理に暗くて適確な判断を下せず、迷い悩む心の働きをいう。根本煩悩である貪欲(とんよく)(むさぼり)と瞋恚(しんに)(怒り)に愚痴を加えた三つを三毒(さんどく)といって、人々の心を悩ます根源と考えた。また、心愚かにも、言ってもしかたのないことを言い立てることを、俗に『愚痴をこぼす』などと用いるようになった」
とある(日本大百科全書)。「莫迦(ばか)(のちに馬鹿)」との関係は,
「モーハは、中国語に翻訳された時に、『愚痴』と訳された場合と、『莫訶』あるいは『馬鹿』と訳された場合がありました。ですから『馬鹿』という言葉も元をただせば、『愚痴』と同じだった」
ということのようである(http://www.housenji-zen.jp/rensai/rensai_406.html)。意味が転じたのは,江戸期らしく,
「江戸時代になって、愚かなことを口にするという用法になり、さらに、江戸時代中期ごろからは現在と同様の意味に変化した」
とある(由来・語源辞典)。「三毒」とは,
仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩,
貪欲(とんよく),
瞋恚(しんに),
愚癡(ぐち),
を指す。「貪欲」は,
貪(とん),
むさぼり(必要以上に)求める心。一般的な用語では「欲」・「ものおしみ」・「むさぼり」と表現する,
「瞋恚」は,
瞋(しん),
怒りの心。「いかり」・「にくい」と表現する,
「愚癡」は,
癡(ち),
真理に対する無知の心。「おろか」と表現する,
と説明される(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%92)。
(動物に擬せられた三毒(画像中央)。鶏は貪、蛇は瞋、豚は癡の象徴である https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%92より)
最古の経典と推定される南伝パーリ語のスッタニパータに、貪・瞋・癡を克服すべきことが述べられている,という(仝上)。
愚痴邪見,
と表現されることがある。「邪見」は,
よこしまな見方,誤った考え,
の意だが,これも仏教の,
因果の道理を無視する妄見,
で,
五見・十惑,
の一つとされる。仏教用語の「見」は,
哲学的な見解のこと,
正しい「見」は,「正見」(しょうけん)であり,間違った見解(悪見)は,
身見(自我の執着,自分はいつでも自分であると自分に執らわれる考え),
辺見(人間は死によって無に帰すとするのは断見,何かが残って続いてゆくとするのは常見である。このような一方的な考え方),
邪見(善因楽果,悪因苦果は仏教の根本である。この根本である因果の理を認めないで,それを否定し,偶然論を唱える説),
見取見(持勝見とも。間違った考え方を誤って勝れた考え方であると、それに執着する。有身見、辺見、邪見の三見は、見取見の初めの見となる),
戒禁取見(かいごんじゅけん 戒禁〈かいごん〉されたものを勝れた正しいものと誤って執着する考え方),
で(http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%82%E3%81%8F%E3%81%91%E3%82%93),
邪見,
は,その一つとされる。「十惑」は,煩悩の根源は,三毒の,
貪(とん),
瞋(しん),
痴(ち)
に(三惑),
慢(まん 自らを高くみるおごり),
疑(ぎ 仏教の真理を疑うこと),
を加え,五見の,
有身見,
辺執見,
邪見,
見取見,
戒禁取見,
を加えたもの。根本煩悩ともいう(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%85%A9%E6%82%A9)。
「年寄りの愚痴は聞いてやれと言われるが、愚痴の聞き手はストレスがたまり、他の他人に愚痴をこぼしてストレスを解消する。つまり、愚痴は飛沫感染の伝染病である」
とある(笑える国語辞典)が,マイナスのエネルギーは,人の気力・やる気をそぐ効果はある。本人だって,吐き出した分,別の愚癡が充填されるだけで,碌なことはない。言っても解決しないことは,言うよりは,動くことかもしれない。
窮すれば変じ,変ずれば通ず,
である。
参考文献;
高田真治・後藤基巳訳『易経』(岩波文庫)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95