2019年09月27日
歴史小説
大岡昇平他編『歴史への視点(全集現代文学の発見・12巻)』を読む。
本書は、
現代文学の発見,
と題された全16巻の一冊としてまとめられたものだ。この全集は過去の文学作品を発掘・位置づけ直し,テーマごとに作品を配置するという意欲的なアンソロジーになっている。本書は、
歴史への視点,
と題された「歴史小説」を収録している。収録されているのは、
江馬修『山の民』(蜂起)、
井伏鱒二『さざ波軍記』
中山義秀『土佐兵の勇敢な話』
中島敦『李陵』
坂口安吾『二流の人』
田宮虎彦『落城』
井上靖『楼蘭』
杉浦明平『秘事法門』
大原富江『婉という女』
である。世情、歴史小説は、歴史小説とは区別されている。歴史小説は、
主要な登場人物が歴史上実在した人物で、主要な部分はほぼ史実の通りに進められる、
のに対して、時代小説は、
架空の人物(例えば銭形平次)を登場させるか、実在の人物を使っても史実と違った展開をし(例えば水戸黄門)、。史実と照らし合わせるとかなり荒唐無稽である、
とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%B0%8F%E8%AA%AC0)。いわゆる、
史伝小説、
も、
歴史上の事実に基づいて書かれた伝記、
で、歴史小説に入る。本書で「歴史小説論」を解説として書く大岡昇平は、歴史小説は、
題材を歴史に取った小説、
であると同時に、
歴史感覚、或いは歴史意識というものが、作品を支えているか、どうか、どうかというところを一応の目安としたい、
と述べ、
「ただ面白い話を語り、現代では不可能な刺激的シチュエーションを作る便法としたり、過去の王侯貴族の生活に対するスノッブ的郷愁に溺れたり、既成の通念を、小説家の自由によって引っくりかえす、スキャンダル趣味に頼ったり、なんらかの政治的先入見によって宣伝的な効果をねらう、という特徴を持つもの」
は対象外、としている。そのうえで、
「歴史小説には歴史それ自身としての評価と、文学作品の芸術的価値の二つの軸」
で、評価し、本巻収録の中で、
「二つの価値の調和という観点から」
山の民、
が最も欠陥のない作品と結論付けている。鴎外が、
述べて作らず、
という孔子の言を引き、
史実の作者の恣意による変更を述べていたが、鴎外のたどり着いたのは、世情、
史伝、
の範疇に入れている、
澀江抽斎、
以後の伝記物において、
史伝を書くことを書く、
というメタ化によって、「述べる」ことと「作る」ことの二項対立を解決し、石川淳の言う、
「小説概念を変更するような新課題」
を提出したのである。
「澀江抽斎」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/457109903.html)で触れたように、それを石川淳は,
「作者はまず筆を取って,小説とはどうして書くものかと考え,そう考えたことを書くことからはじめている。ということは,頭脳を既成の小説概念から清潔に洗っていることである。(中略)前もってたくらんでいたらしいものはなに一つ持ちこまない。…味もそっけも無いようなはなしである。…しかし『追儺』は小説というものの,小説はどうして書くかということの,単純な見本である。これが鷗外四十八歳にして初めて書いた小説である。」
と評していた(森鴎外)。
しかし、もはやこれは歴史小説ではなく、小説とは何かについての模索そのものである。
鴎外が、「述べて作らす」について、煩悶し、「阿部一族」「大塩平八郎」などから史伝といわれるものに移ったような、「述べることと」「作る」ことを、中島敦は、『李陵』の中で、司馬遷に仮託して、こう書く。
「彼も孔子に倣って、述べて作らぬ方針を執ったが、しかし、孔子のそれとは多分に内容を異にした述而不作である。司馬遷にとって、単なる編年体の事件列挙は未だ『述べる』の中にはいらぬものだったし、又、後世人の事実そのものを知ることを妨げる様な、余りにも道義的な新案は、寧ろ『作る』の部類に入るように思われた」
そして、
「初めの五帝本紀から夏殷周秦本紀あたり迄は、彼も、材料を塩梅して記述の正確厳密を期する一人の技師に過ぎなかったのだが、始皇帝を経て、項羽本紀に入る頃から、その技術家の冷静さが怪しくなって来た。ともすれば、項羽が彼に、或いは彼が項羽にのり移りかねないのである。
項王則チ夜起キテ帳中ニ飲ス。美人有り。名は虞。常ニ幸セラレテ従フ。駿馬名ハ騅、常ニ之ニ騎ス。是ニ於テ項王乃チ悲歌慷慨シ自ラ詩ヲ為リて曰ク『力山ヲ抜キ気世ヲ蓋フ、時利アラズ、騅逝カズ、騅逝カズ奈何スベキ、虞ヤ虞ヤ若奈何ニセン』ト。歌フコト数闋、美人之ニ和ス。項王泣数行下ル、左右皆泣キ、能ク仰ギ視ルモノ莫シ…。
これでいいのか? と司馬遷は疑う。こんな熱に浮かされた様な書きっぷりでいいものだろうか? 彼は『作ル』ことを極度に警戒した。自分の仕事は『述ベル』ことに尽きる。(中略)彼は時に『作ル』ことを恐れるの余り、すでに書いた部分を読返して見て、それがある為に史上の人物が現実の人物の如くに躍動すると思われる字句を削る。すると確かにその人物はハツラツたる呼吸活動を止める。之で、『作ル』ことになる心配はない訳である。しかし、(と司馬遷が思うに)之では項羽が項羽ではなくなるのではないか。項羽も始皇帝も楚の荘王もみな同じ人間になってしまう。違った人間を同じ人間として記述することが、何が『述ベル』だ? 『述ベル』とは、違った人間は違った人間として述べることではないか。そう考えてくると、やはり彼は削った字句を再び生かさない訳にはいかない。元通りに直して、さて一読して見て、彼はやっと落ち着く」
と書く。「述べる」ことと「作る」ことの葛藤は、そのまま『李陵』という作品に向き合う中島敦の心の動きでもある。これだけで、僕は『李陵』を推す。
かつて述べたことだが、基本的に、何かを「述べる」ことは、それ自体、なにがしか「作る」ほかない。いや、「述べる」ことは、「作る」ことなしには成り立たない(孔子の春秋自体がその例証である)。そう考えれば、あとは、それが、
文学作品の芸術的価値、
があるかどうかではあるまいか。僕は、小説は、
何を書くか、
ではなく、
どう書くか、
にのみ焦点があると思っている。大岡昇平の言う、
歴史感覚、或いは歴史意識、
はどちらかというと、「何を書くか」の側の問題ではあるまいか。近松門左衛門の、
虚実皮膜、
は、歴史小説にも当てはまる。
参考文献;
大岡昇平他編『歴史への視点(全集現代文学の発見・12巻)』(學藝出版)
石川淳『森鷗外』(ちくま学芸文庫)
http://ppnetwork.c.ooco.jp/prod0924.htm#%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0%E3%81%A8%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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