「ホウホケキョ」は、
ホウホケキョウ、
ホーホケギョー、
とも表記する、
ウグイスの鳴き声、
を表す擬音語である。大言海は、
ほうほけき、
と表記している。
ウグイス(http://ppnetwork.seesaa.net/article/459382881.html)で触れたように、
「宇武加比売命(うむがひめのみこと) 法吉鳥(ほほきどり)と化(な)りて、飛び度り、此処に静まりましき。故(かれ)、法吉(ほほき)といふ」(出雲風土記‐嶋根)
とある(http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000rxv.html)、
法吉鳥、
は「鶯」とみなされるが、この「ホホキ」も「ホーホケキョ」とつながる。さらに、蓮如上人は、最期の時に、
空善クレ候ウクヒスノ声ニナク
サミタリ コノウクヒスハ 法
ホキヽヨ トナク也、
と仰せられた(第八祖御物語 空善聞書)とある(仝上)。蓮如上人には「法を聞け」と聞こえたのである。それ以前,
「平安時代は,鶯の声を『ひとく』と聞いた。『梅の花 見にこそ來つれ 鶯のひとくひとくと厭ひしもをる』(古今和歌集)。『ひとく(人が来る)』の意味に掛けて用いられる。『ひとく』は江戸時代まで用いられ続けた。鎌倉室町時代には,鶯を飼ってよい声で囀るように躾けることが流行った。『つきひはし(月日星)』と聞こえるように鳴く鶯が最高であった。躾けてもうまく鳴けずに『ひつきはし』『こけふじ』と聞こえるように鳴いてしまう鶯もいた。それらの鶯は、鳴きぞこないと言われ値打ちが下がった。江戸時代になると,『ほーほけきょー』と写され,『法華経』の意味を掛けて聞いた。仏教の隆盛とあいまって、『慈悲心も仏法僧も一声のほう法華経にしくものぞなき』(狂歌蜀山百種)と言われるほど、鶯の声は尊ばれた」
とあり(擬音語・擬態語辞典)、江戸初期から、
鶯の声にはだれもほれげ経(毛吹草1645年)、
鶯のほう法花経や朝づとめ(犬子(えのこ)集1633年)、
と法華経と絡め、『本朝食鑑』(1697年)にもその鳴声を、
宝法華経、皆声調によっての言なり
と記しているが、ようやく江戸後期になると、鶯の鳴き声は「ホーホケキョ」が定着し、小林一茶は、
今の世も鳥はほけ経鳴(なき)にけり(おらが春1819年)
と詠んでいる(http://www.cluster.jp/hp/?p=14460)。
「江戸時代から、鳴き声を楽しむために飼われ、夜間も照明を与えることにより、さえずりの始まる時期を早めて正月に鳴かせる『夜飼い』、米糠(こめぬか)、大豆粉、魚粉を混合したものを水で練って、ウグイスなどの食虫性の小鳥の飼養を容易にした『擂餌(すりえ)』などの技術を発達させてきた。また、さまざまな変わった鳴き声を競わせることも広く行われてきた」
とあり(日本大百科全書)、「鳴き合せ」といった。「なきあはせ」(鳴合・啼合)の項で、大言海は、
「なきあはせくわいの略。うぐいすあはせ、うぐいす會。衆人、飼鶯を持寄りて、其啼聲を聞き分けて、優劣を定むこと(嚮に東京にては、毎年四月、下谷の根岸の地などに行はれき)。元、啼聲の最優なるを江戸一と称せしが、嘗て、薩州候、江戸一の名鳥を買はれたるに、翌年の啼合會にて、又別の名鳥に其称を附せしを、候家より咎められて後、最優なるに、准の一と命ずるを、習慣とせしが、明治以後、正の一と云ふを立て、最上とすと云ふ。名鳥の傍らに雛を置きて、其聲を学ばしむるを、音附(ねつけ)と云ひ、其鳥を附子(つけこ)と称す。今世は、文字口(もじくち)と云ふを最優とす。上音(うはね)、ヒイホケケコ、中音、ホウホフフコ、下音、ホホホホホホケコ。節廻し艶さへあるもの。昔は、月日星と聞きて、三光の囀るが如しと」
と書く。「三光」とは、
「鳴声の1節を律、中、呂の3段に分ける。律音をタカネ、またアゲ、中音をナカネ、呂音をサゲという。3段を日月星に比して三光と称し、三つ音とも称し、その鳴声の長短、節調の完全なものが優鳥とされた」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%82%B9)。明治維新ですたれたが、かつては、
「正月下旬、2月の計2回、江戸、京都、大坂の三都に持ち寄って、品評会を開き、「鶯品定めの会」と称した。会場は江戸では向島牛島の旗亭梅本と定め、期日が決定したら、数日前から牛島を中心に小梅、洲崎の各村の農家に頼んで出品する各自の鳥を預ける。当日、審査員格の飼鳥屋が梅本に集まり、家々を何回となく回って鳴声を手帳に書留め、衆議の上で決定した。第一の優鳥を順の一という位に置き、以下、東の一、西の一、三幅対の右、三幅対の中、三幅対の左、というように品位を決め、品にはいったものは大高檀紙に鳥名と位を書き、江戸鳥屋中として白木の三宝に載せ、水引を掛けた末広扇1対を添え、飼主に贈り、飼主からは身分に応じて相当の謝儀があった。その謝儀をもって品定め会の費用を弁じた。本郷の味噌屋某の飼鳥が順の一を得た時には、同時に出品した加賀の太守前田侯の飼鳥を顔色なからしめ、得意のあまり、『鴬や百万石も何のその』と一句をものしたという挿話がある」
という(仝上)。もちろん今日、鳥獣保護法により捕獲・飼育が禁止されている。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:ホウホケキョ