2019年10月09日
鶏肋
「鶏肋(けいろく)」は、
鶏のあばら骨の意、
であるが、喩えに使われて有名になった。ひとつは、後漢書楊震伝附楊修伝、
「夫鶏肋、食之則無所得、棄之則如可惜(夫れ鶏肋は之を食には則ち得る所無し、之を棄つるには則ち惜しむべきか如し)」
からきている(故事ことわざの辞典)。初出は、他に、
『三国志』魏書「武帝紀」の注に引く『九州春秋』に記録がある、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%8F%E8%82%8B)、
曹操、
が言ったとされる。
「(少しは肉があるので捨てるには忍びないの意から)大して役に立たない影棄てるには惜しいもの」
の意で使われる。
「本来はスープなどの材料であるが、一般に骨についている肉は美味いので、昔はしゃぶって食べる事もあった。しかし、肉は僅かしかついていないので、出汁にはできても腹は満たされない。このことから『大して役に立たないが、捨てるには惜しいもの』を指して」
「鶏肋」というようになった、とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%8F%E8%82%8B)。
この経緯は、
「漢中郡をめぐる劉備(蜀の先主)との攻防戦において持久戦をとる劉備軍に曹操軍が苦戦を強いられた時、曹操が食事中無意識に発した『鶏肋』を伝令が触れ回り、誰もその意味を理解できない中で側近の楊修は撤退の準備をさせた」
周囲はその意がわからず、問われた楊修は、
夫鶏肋、食之則無所得、棄之則如可惜
と、上述の言葉を述べたものとされる。これだと少しわかりにくいが、
「曹操は漢中を制圧し、さらに蜀の劉備を討とうとしたが、攻めるにも守るにも困難なため、大度を決めかねて、一言『鶏肋のみ』と言った」
らしい。
「鶏肋(鶏のあばら骨)は、捨てるには惜しいが、食べても腹の足しになるほどの肉はついてない。すなわち、漢中郡は惜しいが、撤退するつもりだろう」
と楊修は解釈した。いわば、イソップの、
酸っぱいブドウ、
のような意味になる。負け惜しみと言えば負け惜しみである。
しかし、曹操は、勝手に撤退準備を始めた楊修を、軍規を乱したとして処刑したとされる。
三国志演義では、
曹操は夕食の最中も鶏湯を食べながら、進退を思案していた。そこへ夜の伝達事項を聞きに夏侯惇がやってくる。曹操は夏侯惇を前にしても上の空で、碗の中の鶏がらを見ながら『鶏肋、鶏肋…』と呟く。意図も分からぬまま夏侯惇が全軍に『鶏肋』と伝達すると、楊修はそそくさと撤退の準備を始める。(中略)曹操は、全軍が指図もないのに撤退準備をしていることに大いに驚き、楊修に対して「お前はどうして流言を広めて軍心を乱したのか」と激怒し、楊修を処刑し継戦を告げた」
が、結局劉備に再び敗れた撤退を決断する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%8F%E8%82%8B)、とある。しかし、楊修の処刑は、撤退後であり、曹操の後継者争いで世子の曹丕でなく庶子の曹植世子に味方したこと、母親が袁術と縁続きであったこと等々によるとされる。
「鶏肋」のもうひとつの出典は、晋書劉伶伝の、
「嘗酔、与俗人相忤、其人攘袂奮拳而往、伶徐曰、鶏肋不足以安尊拳、其人笑而止(嘗て酔い、俗人と相忤(とも)る、其の人袂を攘(はら)い拳を奮って往く、伶徐に曰く、鶏肋以て尊拳を安んずるに足らずと、其の人笑って止む)」
により、
体の弱く小さいことのたとえ、
として使われる。
どうも、「鶏肋」の喩えとしては、曹操の負け惜しみの言葉の方が、面白い。
参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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