「てんぷら」は、
天麩羅、
天婦羅、
と当てる。広辞苑は、「テンプラ」を、
têmporas ポルトガル語、
とし、
斎時の意、tempero(調味料)からともいう、
とする。同じくポルトガル語の調味料とするものに、
調理の意のポルトガル語temperoから(話の大事典=日置昌一・すらんぐ=暉峻康隆・上方語源辞典=前田勇・外来語辞典=荒川惣兵衛)、
がある。日本語源広辞典も、
ポルトガル語temperp(調理)
の意とする。「斎日」に関しては、
「斎日」には、肉食が禁じられ魚料理を食べたことから、「斎日」を意味するポルトガル語のテンポラスtemporasからきたのだ、
とする説もある。それを、スペイン語・イタリア語とする、
天上の日の意のスペイン語・イタリア語のtemplaから。この日には獣鶏肉は食わないで、魚肉・鶏卵を食したところから、魚料理の名となったものか(大言海)
との説もある。天上の日とは、金曜日の祭りの日(大言海)、らしい。そのほか、
油を天(あ)麩(ぶ)羅(ら)と書いて音読したもの(外来語辞典=楳垣実)、
とする説や、
イタリア人画家が使用したテンペラという絵具は、スペイン語でテンプラ、ラテン語の混合物、あるいは攪拌する意で、昔スペイン人が日本人のかきあげを見て、うどん粉に魚類を混合するもの、攪拌する、かき混ぜて揚げるものの意、
とするもの(たべもの語源辞典)等々もある。たべもの語源辞典は、
「テンプラの語源は、テンプラリの略称であると思われる」
と断定するが、「南蛮語であろう」とするだけで、特定していない。ただ「てんぷら」に当てた、
天麩羅、
は、
麩(うどんこ)の羅(うすもの)を填めたるなり、
という意(大言海)だが、この字を当てたのは、山東京伝とされる(日本語源広辞典は付会の説とするが)。大言海は、
「天ぷらノ始リ、天明ノ初年、云々、大坂ニテつけあげト云物、江戸ニテハ胡麻揚ゲトテ辻賣アレド、イマダ魚肉アゲ物ハ見エズ、云々、利介曰、是ヲ夜見世ニ賣ランニ、ソノ行燈ニ、胡麻揚ト記スハ、何トヤラン物遠シ、云々、先生名ヲ付ケテ賜ハレト云ヒケルニ、亡兄(京傳)少シ考ヘ、天麩羅ト書キテ見セケレバ、利介、不審ノ顔ニテ、てんぷらトハ如何ナル謂レニヤト云フ、亡兄ウチ笑ミツツ、足下ハ今、天竺浪人也、フラリト江戸ヘ来テ賣始メル物故、てんぷら也。てんハ天竺ノ天、即チ揚ゲル也。ぷらニ麩羅ノ二字を用ヰタルハ、小麦ノ粉ノウス物ヲカクルト云フ義ナリト、云々、見世ヲ出ス時、行燈ヲ持チ来リテ、字ヲ乞ヒケル故、亡兄、余ニ字ヲ書カシメ給ヘリ、コハ己レ十二三頃ニテ、今(文化三年(1806))ヨリ六十年ノ昔ナリ、今ハ天麩羅ノ字モ、海内ニ流伝スレドモ、亡兄京傳翁ガ名付親ニテ、予ガ天麩羅ノ行燈ノ書始メ、利介が賣リ弘メシトハ、知ル人アルベカラズ(此説實ニ侍リ、我幼キ頃ハ、行燈ニ、モト胡麻揚トアリシ也)」
と引く(岩瀬京山「蜘蛛の糸巻」(文化))。利介とは、京伝の所に出入りしていたものらしい。もちろん、「てんぷら」という言葉は既にあったので、
「京伝が考えたのは、『てんぷら』を『天麩羅』と当て字した面白さである」
ということ(たべもの語源辞典)だろう。「天婦羅」は、「天麩羅」の当て字を換えたものと思われる(語源由来辞典)。その十年後、
「天明の初、何者か、天麩羅揚と、行燈看板に万葉仮名にて書けり」
とあり(嬉遊笑覧)、浄瑠璃昔唄今物語(天明元年)にも、
天麩羅、
とあり(大言海)、すでに「天麩羅」が膾炙している。
「てんぷら」という言葉自体は、奈良・平安時代に中国から伝来したものとして、米粉などを衣にしたものがあったらしいが、「てんふら」という名称で文献上に初めて登場するのは、江戸時代前期の1669年(寛文9年)刊『食道記』らしい。ただ、
「『素材に衣をつけて油で揚げる』という料理法は既に精進料理や卓袱料理などによって日本で確立されていたため、それらの揚げ物料理と天ぷらの混同によって古くから起源・語源に混同が見られる経緯もあり、今でも西日本では魚のすり身を素揚げしたもの(揚げかまぼこのじゃこ天や薩摩揚げなど)を指す地域が広い。江戸時代の料理書では、これらの両方を『てんぷら』と称していた」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E3%81%B7%E3%82%89)。更に、
「16世紀には、南蛮料理を祖とする『長崎天ぷら』が誕生している。これは衣に砂糖、塩、酒を加えラードで揚げるもので、味の強い衣であるため何もつけずに食するものであった。これが17世紀に関西に渡り、野菜を中心としたタネをラードに代わりごま油などの植物油で揚げる『つけ揚げ』に発展する。そして、江戸幕府開府とともに天ぷらは江戸に進出、日本橋の魚河岸で商われる魚介類をごま油で揚げる『ゴマ揚げ』として庶民のあいだに浸透していったといわれている」
ので、この胡麻揚げに「天麩羅」と当てたものと、思われる。
家康が、鯛を油で揚げて食し(國師日記「家康ノ鯛ノてんぷらヲ食ス」)、にわかに発病したらしい(元和二年(1616))が、これが「てんぷら」との記述はない。しかし、後年の寛文一二年(1672)の『料理献立集』には、
「きじ、てんぷらり」
と載る(たべもの語源辞典)。更に、寛延元年(1748)の『歌仙の組糸』には、
「長皿、きくの葉てんぷら、結びそうめん、油あげ」
「茶碗、鯛切身てんぷら、かけしほ、とうからし」
「てんぷらは何魚にても、うどん粉まぶして油に揚げるなり」
等々とあり、
「菊の葉てんぷら又牛蒡蓮根長いも其外何にてもてんぷらにせん時は、うどん粉を水醤油ときぬりつけて揚るなり」
とある(たべもの語源辞典)、とか。この十三年後、京伝が「天婦羅」と当てたことになる。
嬉遊笑覧(文政一三年(1830))には、「てんぷら」について、
「蕃語ナルベシ。小麦粉ヲ練リテ、魚物ナドニツケテ油揚ゲニスルモノヲモ云フ、(てんぷらは)其形、同ジケレバ也、云々、元文三年、千前軒ガ小栗判官ノ浄瑠璃、波羅門組ト云フ悪党ノ名ニ、てんぷら長九郎ト云フアリ、然レバ、其ヨリ先、長崎ナドニハ、魚物ノ油揚ヲ然云ヘリト見ユ」
とある(大言海)。『守貞謾稿』(嘉永六年(1853))には、魚介類を揚げたものが、てんぷらで、野菜を揚げたものはてんぷらとは言わないで、「あげもの」というとし、
「京坂の天ぷらは半平の油揚げをいう。江戸の天麩羅は、アナゴ・芝えび・こはだ・貝の柱・するめ。右の類、惣じて魚類に温沌粉をゆるくときて、ころもとなし、しかる後に油揚げにしたるをいう。蔬菜の油揚げは江戸にてもてんぷらとはいはず、「あげもの」というなり」
とあるらしい(https://wheatbaku.exblog.jp/22446076/)。どうやら、
「江戸時代前期には、天ぷらは『天ぷら屋』と呼ぶ屋台において、揚げたての品を串に刺して立ち食いする江戸庶民の食べ物あった」
らしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E3%81%B7%E3%82%89)。
(江戸時代の天ぷら屋台。鍬形蕙斎 「近世職人尽絵巻」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E3%81%B7%E3%82%89より)
「てんぷら」屋台は、「そば」「すし」と並んで,
江戸の三味、
と呼ばれたとか。このきっかけは、明暦の大火(1657年)で、江戸の3分の2が焼けたため,大勢の職人が集まって,復興に当たった。彼らは単身赴任の男性なので,食事に困り,屋台に人気が集まった。満腹しては仕事にならないので,軽食,おやつ的な献立が好まれた。後には,男女に関係なく,生活を豊かにするおやつとして,食べ物の屋台は,江戸の街に定着していくことになる(http://www.abura.gr.jp/contents/shiryoukan/rekishi/rekish40.html)とか。その食べ方は、
「屋台の天ぷらは,天つゆと大根おろしで食べた。手が汚れないように,串に刺して出した。種には,江戸前のあなご,芝海老,こはだ,貝札するめなどが使われた。技術の向上で江戸湾からの魚介類の漁獲が増えたことも,天ぷら文化の普及に貢献した」
だったらしい(http://www.abura.gr.jp/contents/shiryoukan/rekishi/rekish40.html)。
ところで、関東と関西では使用する油が違うらししい。
「関東では卵入りの衣をごま油で揚げることで、キツネ色に揚がる。一方関西では卵は使わず、衣をつけて菜種油で揚げるので仕上がりは白い。どうも関西で広まった天ぷらは野菜中心だったために、自然の味を損ねないように菜種油で揚げて塩をつけて食べていたようだ。それが関東、というより江戸に伝わり日本橋の魚河岸で水揚げされた魚介をごま油で揚げるようになった。ごま油は魚の臭みが抑えられるためだ」
とある(https://kusanomido.com/study/life/food/22861/)。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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