無粋な人間なので、
わび、
さび、
についてほとんど関心を持ったことがなかったが、
茶の湯は貧の真似(ひんのまね)、
ということわざがある。
「茶の道は『侘び』の心が基本にあるとされています。その心を理解できない者が、派手なことを嫌って貧乏の真似ごとをしているようだと例えたことわざです」
との説明(http://www.ocha.tv/words/ta_07/index.html)は、本当だろうか。むしろ、
「茶道は、わびを主として、はでなことをきらい、まるで貧乏の真似をしているのと同じようだ」
との解釈(故事ことわざの辞典)が的確に、その意を衝いているように思える。少なくとも、
「茶湯は貧の真似。但風雅の上盛也、可習嗜。併近奢侈故禁誡、実以座席飲食会釈无此上」
ともあり(譬喩尽(たとえづくし)、仝上)、それ自体が贅沢であったことに間違いはない。
「わび」は、
侘び、
と当てる。「わび」は、
「わぶ(貧しく暮らす)の連用形」
とある(日本語源広辞典)。しかし、「わぶ」(詫・侘)は、必ずしも、
不如意な生活をする、
貧しく暮らす、
という意味だけではない。
「失意・失望・困惑の情を態度・動作にあらわす意」
とし、
気落ちした様子を外に示す、落胆した様子を見せる、
困り切った気持ちを示す、
つらがって嘆く、
不如意な生活をする、貧しく暮らす、
世俗を遠ざかって淋しく貧しい暮らしに安んずる、閑雅を楽しむ、
(困惑のさまを示して)許しを乞う、あやまる、
(動詞連用形について)~する気力を失う、~しきれない、~しずらくなる、
といった意味を持つ(岩波古語辞典)。いわゆる「わび」は、
「貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識」(日本大百科全書)
「簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣。中世以降に形成された美意識、特に茶の湯で重視された」(デジタル大辞泉)
を指す一種の価値表現である。確か、定家が、
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
と歌った時、それまでの、花や紅葉とは別のところに、価値を見出したのと相通ずる。千利休の師匠、武野紹鴎は、この歌こそがわび茶の心であると評した(南方録)とされるのも、価値の転換を表現しているからである。
ある意味、マイナスな意味の「わぶ」に、プラスの価値を与えたということができる。それを、山上宗二は、
「上をそそうに、下を律儀に(表面は粗相であっても内面は丁寧に)」
と表現(山上宗二記)し、
「単に粗末であるというだけでなく質的に(美的に)優れたものであることを求める」
ようになる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E3%83%BB%E3%81%95%E3%81%B3)、とある。
侘び茶人、
を、
「一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条整うる者」(宗二記)
と記し、
「貧乏茶人」のこと、
とし、後の千宗旦の頃になると「侘」の一字で無一物の茶人を言い表すようになる(仝上)、とある。宗二は、
「宗易愚拙ニ密伝‥、コヒタ、タケタ、侘タ、愁タ、トウケタ、花ヤカニ、物知、作者、花車ニ、ツヨク、右十ヶ条ノ内、能意得タル仁ヲ上手ト云、但口五ヶ条ハ悪シ業初心ト如何」
とした。それは、
「『佗タ』は、数ある茶の湯のキーワードの一つに過ぎなかったし、初心者が目指すべき境地ではなく一通り茶を習い身に着けて初めて目指しうる境地とされていた」
のではないか、という見方もある(仝上)。「わび」は、
「茶の湯の中で理論化されたが、『わび茶』という言葉が出来るのも江戸時代である。特に室町時代の高価な『唐物』を尊ぶ風潮に対して、村田珠光はより粗末なありふれた道具を用いる茶の湯を方向付け、武野紹鴎や千利休に代表される堺の町衆が深化させた」
のである(仝上)。
「茶室はどんどん侘びた風情を強め、張付けだった壁は民家に倣って土壁になり藁すさを見せ、6尺の床の間は5尺、4尺と小さくなり塗りだった床ガマチも節つきの素木になった。紹鴎は備前焼や信楽焼きを好んだし、利休は楽茶碗を創出させた。日常雑器の中に新たな美を見つけ茶の湯に取り込もうと」
したものらしい。たとえば、京都六条堀川に作ったと伝えられる方丈の茶室、
珠光四畳半(じゅこうよじょうはん)
がある。
(東大寺の四聖坊に残る古図に「珠光好地蔵院囲ノ写」と書込みのある四畳半座敷 http://verdure.tyanoyu.net/cyasitu020401.htmlより)
(『茶湯次第書』に「珠光の座敷斗に有」と書込みのある「落縁」(おちえん)が描かれた四畳半図 http://verdure.tyanoyu.net/cyasitu020401.htmlより)
「四畳半座敷は珠光の作事也。真座敷とて鳥子紙の白張付、杉板のふちなし天井、小板ふき、宝形造、一間床なり。秘蔵の円悟の墨跡をかけ、台子をかざり給ふ。その後炉を切て弓台を置合られし也。大方、書院のかざり物を置かれ候へども、物数なども略ありしなり。床にも、二幅対のかけ絵、勿論、一幅の絵かけられしなり。前には卓に香炉、花入、あるひは小花瓶に一色立華、あるひは料紙、硯箱、短尺箱、文台、或は盆山、葉茶壷など、これらは専かざられしなり」
とある(南方録)。その形は古図に残されている。
「珠光四畳半は、東大寺の四聖坊に残る古図に「珠光好地蔵院囲ノ写」と書込みのある四畳半座敷が画かれ、それによると一間床で、檜角の床柱、勝手付間中に柱を立てて壁とし、勝手口は一間二本襖を建て、入口に縁が付き、縁に面して障子四枚があります。
珠光四畳半は、東京芸術大学所蔵の『茶湯次第書』に「珠光の座敷斗に有」と書込みのある「落縁」(おちえん)が描かれた四畳半図があり、その四畳半座敷は、一間床で、床框(とこがまち)は栗の四角、一尺七寸炉、勝手との間に襖二枚、壁は張付壁(はりつけかべ)で長押(なげし)が打たれ、天井は竹縁の蒲天井、入口に縁が付き、縁は半間幅で堅板張(たていたばり)、縁先に二ッ割りした竹を打並べた落縁がついたものです」
とある(http://verdure.tyanoyu.net/cyasitu020401.html)。宗二は、
「光かヽりは、北向右かつて、坪の内に大なる柳一本在、後に松原広し、松風計聞く、引拙は南向右勝手、道陳は東向右勝手、宗達右勝手、何も道具に有子細歟、又台子をすくか、将又紹鴎之流は悉く左勝手北向也、但し宗易計は南向左勝手をすく、当時右かつてはを不用と也、珠光は四帖半、引拙は六帖敷也」
と書き残している。それは、
「右勝手(逆勝手)の茶室で、隣接する部屋との関係で客の入口の位置は異なりますが、同じ間取りで、一間床、入口に縁が付き、縁に面して障子を建て、勝手口は二本襖、右勝手(逆勝手)となっていて初期の四畳半の形式を表している」
という(仝上)。貧しい家屋をただ真似ているだけではないことは確かである。そこには、珠光の美意識がある。しかし、それに贅を尽くす、財力を必要とすることは確かである。
一方、「さび」は、
寂び、
然び、
と当てる。「わび」は、「さぶ」の名詞形だが、
錆、
寂、荒、
と同源である。つまり、「さぶ」は、
「生気・活気が衰え、元の力や姿が傷つき、痛み、失われる」
意の「荒ぶ」「寂ぶ」と、
古びてさびてくる、
意の「錆」とが、同源であり(岩波古語辞典)、
然ぶ、
は、
「サは漠然と放校様子を示す語。ビは行為を人に示す意。カナシビ、ウレシビのビと同じ」
で、体言について、
そのものにふさわしい、
そのものらしい行為や様子をし、またそういう状態にあることを示す」
言葉で(仝上)、大言海は、
然帯(さお)ぶの訳なるべし、
とし、
都(みや)び、鄙(ひな)びも、都帯び、鄙帯びの約なり、
とする。「さぶ」も、
荒れる、荒涼たる様になる、
古くなる、古びる、
心が荒涼となる、
さびる、
古びて趣がある、
等々どちらかというとマイナスの意味の言葉である。それにプラスの価値を見出そうとする姿勢が、
不足の美を表現する新しい美意識、
老いや枯れの中に趣を見る、
という価値表現へと転換させた。だから、「然ぶ」と当てる意味について、
「本来は時間の経過によって劣化した様子を意味している。漢字の『寂』が当てられ、転じて『寂れる』というように人がいなくなって静かな状態も表すようになった。さびの本来の意味である『内部的本質』が『外部へと滲み出てくる』ことを表す為に『然』の字を用いる」
とする考え方もある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E3%83%BB%E3%81%95%E3%81%B3)。
で話をもとへ戻すなら、僕には、「わび」には、もともと、
貧を衒う、
ところがなくもなかった、と思えてならない。「衒う」は、
照らふの意、
とあり(広辞苑)、
輝くようにする、
見せびらかす、
含意が、もともと、なくもない。だから、
茶の湯は貧の真似(ひんのまね)、
という言い方には、ある意味、ただ貧を真似ているのではなく、そこに積極的な価値を見出したという点では、草創期には、「わび・さび」に確かな価値表現の意味があった。しかし、それが理論化され、権威化され、「わび茶」という言葉が出来た江戸時代、
「多くの茶書によって茶道の根本美意識と位置付けられるようになり、侘を『正直につつしみおごらぬ様』と規定する『紹鴎侘びの文』や、『清浄無垢の仏世界』とする『南方録』などの偽書も生み出された」(仝上)
とき、多くは、「茶の湯」は、大店の主や隠居の手慰みとなり、形式をなぞり、それを真似るだけの趣味に化し、落語『茶の湯』のように、どこか、
貧を衒う、
つまり、
貧者の真似、
としか見えない風情に堕していたのではないか。その限りで、必ずしも、
その心を理解できない者、
のたわ言とは言い切れない、ある種、そういう茶の湯を揶揄する面を持っていたのではないか、という気がしてならない。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95