2019年11月15日

証言者


大岡昇平・埴谷雄高『二つの同時代史』を読む。

二つの同時代史.jpg


戦後派の巨人二人の、1982年の一年余にわたる対談である。当時、埴谷雄高は72歳、大岡昇平は九ヶ月年長の73歳。いわゆる文士という言葉が当てはまる最後の世代である。すでに、椎名麟三、武田泰淳、竹内好もないが、まだ『死霊』を書き継ぐ埴谷、森鴎外の『堺事件』に対する批判の『堺港攘夷始末』を始めようとしている大岡昇平と、七十を過ぎてなお、現役であり続けていた二人の対談は、埴谷自身が、

「後世の史家からいえば、とにかく日本が近代化していく過程においてインテリゲンチャがどういう境遇に上以降まれ、そのなかでどういうことを考えてきたかということがこの対談のなかに象徴的に反映しているのではないかと思う」

というように、戦前、戦中、戦後と、文学者がどう生き抜いてきたか、の証言者となっている。

一人は、刑務所に、一人は捕虜収容所に、それを「ゼロ時点」として、それぞれの文学的スタートとしたという意味で、面白い企画の対談である。

小林秀雄に近く、鎌倉派にいたはずの大岡が、戦後、いつのまにか左翼の埴谷と近い位置になるほど、日本が右傾化し、大岡が左翼と目されるほどに、社会が変化した流れは、今日もっとひどくなり、いまやいっしょくたにパヨクとひとくくりにされる時代になっているのを見ると、戦後一貫した時代の右傾化の中で、今日の位置があることに、改めて気づかされる。日本は、戦後から、終始一貫して、戦前回帰をめざしてきた、と。

時代の証言者としての面で面白いのは、記録の中だけではわからない体験談だ。たとえば、埴谷が、「新経済」という雑誌を作った経緯が面白い。

「昭和十六年に……偶然、経済連盟の調査課長をしていた帆足計が統制会というものを作ろうと言い始めたんだよ。彼は郷誠之助の子分みたいなもんだが、やはり旧左翼だよ。その彼が『統制会の理論と実際』という本を書いた。それが『新経済』社の最初の出版物で、あたかも『新経済』社は統制会の宣伝機関みたいになったわけだ。われわれもそれなら統制会の応援をしようというんで、初めは会と二人三脚のようにして出発したんだよ。唐島基智三、帆足計、郷司浩平、島田晋作、奥村綱雄、工藤昭四郎、野田信夫などが『新経済』社の顧問だった。また木村禧八郎も顧問だったことがある。その九人の顧問のうち、奥村綱雄は、戦後野村證券の社長兼会長になったし、工藤昭四郎は都民銀行の頭取、郷司浩平は生産性本部の親玉になったから、要するに、半分は戦後、資本主義の主要人物になったわけだ。それから帆足計と島田晋作と木村禧八郎は、戦後社会党の代議士になったし、野田信夫は成蹊大学の学長、唐島基智三は政治評論家になったから、もう半分は幾分社会党系といってもいいかもしれない。とにかく自由派も社会派も全員厭戦家だった」

その彼らは、「経済」を隠れ蓑に、外務省の短波情報を得て、スターリングラードの攻防の結果や、ノルマンディ上陸成功、アトミック・ボム投下の情報をも、的確につかんでいた。終戦の詔勅については、

「木原(通雄)が書いたんだよ。あれは安岡正篤が後で見たんだけど、原文は木原が書いている。彼は国民新聞にいて、おれたちの『新経済』の顧問だった唐島基智三のすぐ下のきれものの部下だった」

とも語っている。さらに、戦後のGHQの検閲についても、埴谷は、『近代文学』に掲載予定の原民喜『夏の花』の事前検閲をめぐって、こう証言している。

「GHQといったって内閣も検閲もアメリカ人が読むわけじゃないんだよ。GHQの下には日本人の事実上の検閲係がいて、それで、読んだあと、こんな原子爆弾のことを書いたらとうていだめだって、返されちゃった。日本人が日本の作品を『自己規制』してるんだよ。アメリカの占領方針をすっかり自分が体しているつもりになっているんだが、日本人は茶坊主型が実に多いんだよ。あとで問題が起きたとき責任が自分にかからないように、これはアメリカの占領方針に反するだろうと、できるだけ拡大解釈して、ほんとに小さなことでもチェックして、これはだめだと返してくる。そして、上のアメリカ人に尤もらしく報告するんだな。仮に、日本がアメリカを占領して、アメリカの新聞や雑誌を検閲するためにアメリカ人を使ったとしても、その使われたアメリカ人が、占領軍の方針を勝手に忖度し拡大解釈して『上官の日本人の気にいられる報告』ばかりこれほど出そうとはおそらくしないと思うな。おれは、権力者に対する茶坊主ぶりでは、日本人は世界のベストテンのなかにはいると思っているよ」

まさに「忖度」とは、茶坊主の心性ということだ。七十年たっても変わっていないのである。

文学者の証言でも、なかなか鋭いものが随所にある。たとえば、大岡は、梅崎春生をめぐって、

「梅崎も武田(泰淳)も吉本隆明や高橋和巳と同じ伏目なんだよ。ぼくはそういうのを全部、“伏目族”と名付けている(笑)。“伏目族”は本来全部弱者で、その弱者であることによって逆に強者になるというタイプなんだよ。
 つまり全部見るのはいやだけれども、見た瞬間にその見た瞬間にその見たものの何か本質をつかまなくちゃいけないという感じになるらしいんだな。この弱者が強者に転化するいちばんいい例は、武田の例の『風媒花』で、竹内毛沢東に対して、自分は人民裁判にかけられる小毛で、武田小毛はせいぜい小毛なりに精一杯生きている、何も竹内毛沢東だけが偉いんじゃないんだというふうに言って、武田は最底辺の弱者を頂上にいるもの以上の強者に転化させたわけだ」

と語る。その鋭い観察に敬服する。

また酔っぱらうと「バカヤロー」が口癖の石川淳のエピソードも笑える。

「(中薗英助が)石川淳が『バカヤロー』といったとき、『あのバカヤローといったジジイをおれがやっつけてやる』といって石川淳の前に座って、『わたしはどうですか』っていったんだよ。そうしたら石川淳は『おまえもバカヤローだ』といった。そこで中薗が『きさまもバカヤローだ』って怒鳴ったとたん、石川淳はぱっと立ち上がってサーッと玄関へ出ていっちゃった。あわてて送っていった安部公房がびっくりして『ああ、石川さんはけんかがうまい、逃げるのが』といっていたね。中薗が怒鳴った途端にサッと立ち上がると、靴をはいてスーッと出て帰っちゃった。すごいもんだよ」

と。小柄の石川淳の逃走姿が、目に見えるようで可笑しい。

政治的な発言も随所にあるが、こんなやり取りもある。

大岡 …日本という国は韓国とも中国とも接し、ソ連とも接している。海はいまはなんでもないから、アメリカとも接しているんで、こういう国は珍しいんだ。ここで第九条というSF的な理想を掲げて永遠に貫くのはいいと思うよ。
埴谷 それはいい。これは自縄自縛に役立っている。ただ僕は必ずしも憲法改正に反対ではないんだよ。僕は天皇制を廃止するというのをまず入れた憲法にする改正なら大賛成なんだ。そういう廃止をやってもらいたい。ロベスピエールがフランス革命のときにつくったのは、『政府が人民の諸権利を侵害した場合、蜂起は人民にとって、また人民の各部分にとって、その諸権利のうちもっとも神聖な権利、その諸義務のうちもっとも不可避なぎむである』という憲法なんですよ。」

硬骨な二人は、

大岡 人間はだいたい二十五までに考えいたことからでられない、とベルグソンがずっと前に言っているな。
埴谷 着想は全部そうだ。
大岡 それを仕上げるのに一生かかっても足りないという。われわれは随分長く、七十何年も生きて来た。むかしより平均寿命が延びているから、やりとげられるさ」

と言い合った通り、埴谷は1997年、八十七歳まで生き、『死霊』を曲がりなりにも完成させて往った。大岡は、その十年前1987年に亡くなっているが、『堺港攘夷始末』をほぼ完成させて往った。成し遂げていったのである。

二人が終始嘆いていた、「時代がどんどん悪くなる」は、もはやティッピングポイントを越えてしまった。この現状にお二人はどんな顔をしておられるやら。

参考文献;
大岡昇平・埴谷雄高『二つの同時代史』(岩波書店)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:56| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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