「田楽」は、「おでん」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/471576969.html?1573934882)で触れたように、
田楽豆腐、
の意だが、その由来は、平安時代中期に成立した、
田楽、
という芸能に由来する。
「もと、田遊び・田植祭など田の豊作を祈願する民俗から発展し、平安時代末期から室町にかけて盛行」
した(古語大辞典)という。豊作祈願の、
田舞、
が発展したもので、それを演ずる者を、
田楽法師、
といい、
「仏教や鼓吹と結びついて一定の格式を整え、芸能として洗練されていった。やがて専門家集団化した田楽座は在地領主とも結びつき、神社での流鏑馬や相撲、王の舞などとともに神事渡物の演目に組み入れられた」
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%A5%BD)、
田楽能、
と呼ばれたが、室町後期には、世阿弥による猿楽能に押された衰退した(古語大辞典)。
各地に、民俗芸能として伝わったが、その共通する要素は、
びんざさらを用いる
腰鼓など特徴的な太鼓を用いるが、楽器としてはあまり有効には使わない
風流笠など、華美・異形な被り物を着用する
踊り手の編隊が対向、円陣、入れ違いなどを見せる舞踊である
単純な緩慢な踊り、音曲である
神事であっても、行道のプロセスが重視される
王の舞、獅子舞など、一連の祭礼の一部を構成するものが多い
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%A5%BD)。
(びんざさら(こきりこささら) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%95%E3%82%89より)
「法師は神社の祭礼などにも出た。笠は飾りの藺笠で、風流(ふりゅう)といって蓬萊鶴亀等がつくられている。このようにつくり物をすることが、やがて後に、変化しながら祭礼に出る傘鉾や、つくり山にもなる」
とある(https://costume.iz2.or.jp/costume/510.html)が、江戸時代初期の笑話集『醒睡笑』には、
「田楽法師が下に白袴をつけ、上に色ある物をうちかけ、鷺足に乗って踊る姿が、白い豆腐に味噌を塗る形に似ている」
との記述(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%B3%E5%99%8C%E7%94%B0%E6%A5%BD#cite_note-3)があり、
「白い袴をはき、その上に色のついた上着をはおった田楽法師。彼らは単に踊るだけではありません。竹馬のような一本棒にのってピョンピョンはねたり踊ったりするのも中にはあったのです」
とか(http://www.tofu-as.com/tofu/history/15.html)、
「田植の田楽舞に、横木をつけた長い棒の上で演ずる鷺足(さぎあし)という芸がある。足の先から細い棒が出て、腰から下は白色、上衣は色変わりという取り合わせ」
とか(日本大百科全書)が、由来の説明としては、妥当のようである。
「おでん」で触れたように、この、
「白い袴をはき一本足の竹馬のような高足に乗って踊る」
恰好(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%B3%E5%99%8C%E7%94%B0%E6%A5%BD)が、
白い豆腐に変わりみそを塗った串焼き、
に似ているというので、「田楽」と名付けたのであった。
「田楽法師の鷺足に乗るに、白袴に色ある衣を着たるのに、豆腐に味噌を塗りたるが似たれば」
とある通りである(大言海)。たべもの語源辞典には、
「田楽法師が七尺(二・一メートル)ばかりの棒を付けたものに乗って踊るさま」
と具体的にある。
この「田楽」という名称は、
「もと南都興福寺と東大寺両寺の僧語」
である(仝上)。しかし、「田楽」の由来には、
田植えのときの楽であるところから(俚言集覧・芸能辞典)、
田はいやしい意で、正しく風雅な楽でないという意(貞丈雑記・安斎雑考・和訓栞)、
田野の学の義、また申楽の申が田の字に転じたものか(和訓栞)、
田舎の猿楽の義(能楽考)、
などの諸説があるけれども、
「田はいやしい意」
込めていることは確かのようである。しかし、猿楽より人気で、
「鎌倉時代にはいると、田楽に演劇的な要素が加わって田楽能と称されるようになった。鎌倉幕府の執権北条高時は田楽に耽溺したことが『太平記』に書かれており、室町幕府の4代将軍足利義持は増阿弥の芸を好んだことが知られる。田楽ないし田楽能は「能楽」の一源流であり、「能楽」の直接の母体である猿楽よりむしろ高い人気を得ていた時代もあった」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%A5%BD)。さらに、
「田楽は、大和猿楽の興隆とともに衰えていったが、現在の能(猿楽の能)の成立に強い影響を与えた。能を大成した世阿弥は、『当道の先祖』として田楽から一忠(本座)、喜阿弥(新座)の名を挙げている」
とある(仝上)。しかし、
田楽は 昔は目で見 今は食ひ
という川柳に残るほど、いつのまにか、「田楽」は、
田楽豆腐、
田楽焼、
となった。『宗長手記』(大永六年(1526)))に、
田楽、
田楽たうふ、
とある(仝上)、とか。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95