2019年11月30日

五反百姓出ず入らず


五反百姓出ず入らず(ごたんびゃくしょうでずいらず)、

という諺がある(臼田甚五郎監修『ことわざ辞典』)。手元のことわざ辞典にも載らないが、

五反歩の耕地をもっている百姓は、金が残りもせず、借金もせず、また他人の手も使わず内輪の手で足り、恰度とんとんの経営であると言う事、

とあるhttp://the-kotowaza.seesaa.net/search?keyword=%E4%BA%94%E5%8F%8D

反(段)、

とは、

三百歩(坪)、

で、約千(991.7)平方メートル。十反で一町、約百(99.17)アールである。

江戸時代の農村.jpg



寛政六年(一七九四)の『地方凡例録(じかたはんれいろく)』(大石久敬)「作徳凡勘定之事」では、

「農夫作徳(サクトク)の儀ハ、賦税の高下、土地の善悪、米穀并に肥養價(ヒヨウアタヒ)の尊卑、用水掛引の損益等にて、国々村々一定せずして作徳の多少ハ悉く差(タガヒ)あり……一概の勘定ハ會て成りがたしといへども、国政に携ハる人は此大旨を知ずんばあるべからず、故に此概略(アラマシ)を左に記す。仮令バ上州群馬郡(グンバゴホリ)辺両毛作の場所に小百姓壱軒ありて、此家内を五人暮しとなし、其内老幼不用のもの弐人、耕作の働等をなすもの三人としたる凡そ積りの勘定左の如し」

として、以下のように、田畑五反五畝歩の農家の収支試算をしている。

 収入は、
中田四反歩-米六石七斗二升、此代金八両。麦六石四斗、此代金四両一分二朱永四十二文七分。
中畑一反五畝歩-麦二石四斗、此代金一両二分永百文。雑穀類等(大豆・稗・粟・小豆・芋)、此代金一両三分二朱永二十二文五分(他に菜・大根・茄子・大角豆の類の収穫があるが計算外)。
合計金十五両三分二朱永三十九文三分
 支出は、
年貢、作方諸雑用費(雇人夫・雇馬・肥料代)、合計金七両永六十七文一分。
 差引残金八両三分永九十七文二分。
 作徳の分
  此遣方
 金八両一分永十文(麦十二石三斗九升)
 一家五人の一人平均一日七合宛の一年間の食用分
 金二両 一家五人の塩・味噌・薪・衣帯・農具修復等の諸雑費
 合計金十両三分永十文

 とし、差引不足が一両一分二朱永三十七文八分としている(飯野亮一「地方書による近世農民の食生活」)。

この不足について、久敬は、

「右の作徳勘定ハ不足立て、百姓世話に引合がたしと雖も、夫食(ブジキ)の儀は麦計り食するにもあらず、粟(アハ)・稗(ヒエ)・菜物・木葉・草根をも加へ、又は米拵への砕(クダケ)・粃(シイナ)の落溢(ヲチアブ)れも取集めて食するこ
となれバ、前書積(ツモ)り丈の夫食(ブジキ)入用ハ掛らず」

と、麦に粟や稗などを混ぜた雑穀食を食べることにより、この不足分は補えるとしている。また、諸雑費二両については、

「家内五人暮しの者の諸雑用(ショゾウヨウ)ハ金弐両にては不足なれども、何国(イヅク)にても農業の外に少し充(ヅヽ)の稼(カセギ)ハあるものなり、分て上州ハ蚕飼(カイコ)あり煙草作(サク)あり、又何れの村々にても縞木綿(シマモメン)を織出し、自分の着用にもし、又売出す処もあり、或ハ筵(ムシロ)を織り縄を綯(ナ)ひ、山方ハ材木を伐(キリ)出し炭薪(スミタキギ)を出し、海川附の村々は漁猟(ギョレウ)をもいたし、都合の近里(キンリ)ハ菜園を重に作りて売出し、其外農業の間(イトマ)男女とも其処に仕馴たる相応の稼(カセギ)ありて、少々の助成(ジョセイ)を以て取つづくことなり」

と説明している、とある(仝上)。随分な言いようであるが、田畑五反五畝歩で、この体たらくである。ぎりぎりの分水嶺である。

五反百姓出ず入らず、

の、トントンとはこの程度を指す。ちなみに、

地方凡例録(じかたはんれいろく)、

は、高崎藩主松平輝和(てるやす)の命令を受けた郡奉行大石久敬が著した地方書(じかたしょ)。つまり(地方(じかた)支配(所領支配)に関する手引書である。内容は、

総論から始まり、石高・検地・新田開発・度量衡・義倉など、領主及びその代官・役人が地方(領地)支配を行うにあたって重要な事柄についての解説がほぼ網羅されている、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%87%A1%E4%BE%8B%E9%8C%B2

作徳(さくとく)、

とは、年貢を支払った後に手元に残る分の意。夫食(ぶじき)は、農民の食料一般をさす。夫食は米以外の雑穀が中心で、芋やこんにゃくを主食とした地方もある。中田、中畑とあるのは、土地の等級が、田だと、上田、中田、下田、荒田、畑なら、上畑、中畑、下畑、とある中の「中等」の意。

「近世では一人前の男が一年に消費する米の量は一石(玄米で一五〇キロキグラム)から二石、また夫婦と子供・親の五人から六人の家族が自らを自力で維持していくことのできる標準的な規模は、裏作も可能な田畑を合わせて五反五畝程度、石高にして八石前後の所持であった。表作の米は年貢・諸役(貢租)として徴収され、裏作の麦を主食としながら、である。麦は米とほぼ同じ収量を期待できるから、五反以上の高持百姓は再生産が可能で、上手くやれば、いくらかの蓄積も可能なる。但し、これは裏作の不可能な地域では通用しない。
それに反して、五反(約八石)以下の百姓はかなり苦しい。五反が家族を含めた自給自足の限度、再生産経営の一般的基準である」

とあるが(渡邊忠司『近世社会と百姓成立―構造論的研究』)、たとえば、江戸時代初期、田5反、畑5反の小農。家族は夫婦と子供1人、下男の構成で、

収入
田(5反) 米 7.5石
畑(5反) 雑穀 15.0石
 収入合計 22.5石
支出
年貢 4.5石 三ツ取(三公七民として)
飯料 12.0石 馬1匹分2石を含む
衣類、下人給金、馬損料、農具・馬具その他の雑費 6.0石 金4両相当
支出合計 22.5石 差し引きなし

という例があるhttp://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J071.htm。これでトントンだが、四ツ取(6石)とすると1.5石の不足になる。何かあれば、窮する状態である。

「高持百姓である以上、所持高の多少に関わりなく年貢や諸役の負担がある」のである。高持百姓、つまり、

本百姓、

とは、

高請地(たかうけち)、つまり、

検地帳に登録され年貢賦課の対象とされた耕地(田畑)および屋敷地、

を所持し、検地帳に登録された農民は、江戸時代中・後期になると、商品経済の波にのまれ、このレベルでさえ、かつかつである。しかもこれ以上は少数派、過半は、三反、四反以下、飢饉がくればひとたまりもない。ましてそれ以下、無高百姓、水飲百姓の窮乏は目を覆うばかりである。

高持百姓http://ppnetwork.seesaa.net/article/464612794.htmlで触れたように、

「不勝手之百姓ハ例年質物ヲ置諸色廻仕候」

と,

「春には冬の衣類・家財を質に置いて借金をして稲や綿の植え付けをし,秋の収穫で補填して質からだし,年貢納入やその他の不足分や生活費用の補填は再度夏の衣類から,種籾まで質に入れて年越しをして,また春になればその逆をするという状態にあった」

のであり、つまり、

「零細小高持百姓の経営は危機的であった」(仝上)

のである。摂津国を例にしているが,寒冷地では,もっと厳しい状態で,近世慢性的に飢饉が頻発した背景が窺い知れるのである。

近世の飢饉http://ppnetwork.seesaa.net/article/462848761.html

についてはすでに触れた。

参考文献;
臼田甚五郎監修『ことわざ辞典』http://the-kotowaza.seesaa.net/article/448845714.html
渡邊忠司『近世社会と百姓成立―構造論的研究 』(佛教大学研究叢書)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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