「めし」は、
飯、
と当てる。「飯」(漢音ハン、呉音ボン)は、
「会意兼形声。『食+音符反(バラバラになる→ふやける、ふくれる)』で、米粒がふやけてばらばらに煮えた玄米のめし」
とある(漢字源)。
米を炊いたもの、
の意から、
時を定めてする食事、
の意に広げて使う。「めし」にあたる同意のことばには、
「ごはん・ごぜん・おぜん・こご・やわら・まま・まんま・いい・ひいめし・おだい(御台)・だいばん・おもの・ぐご(供御)・ごれう(御料)・おほみけ(大御飯)」
等々がある(たべもの語源辞典)。
(漆器のお椀に盛りつけた御飯 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AFより)
万葉集にも、
家にあれば笥(け)に盛るいひを草枕旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る、
と歌われている「めし」は、
「『食ふ(食う)』の敬語のうち尊敬語である『召す』に由来する。日本語に継続的に生じている『敬語のインフレーション』(初めは尊敬を込めた表現でも、長く使っているとありがたみが薄れて普通またはそれ以下の表現になる)という現象により、現在はややぞんざいな表現になった。敬語のうちの丁寧語では『御飯』(ごはん)。幼児語は『まんま』。老人語は『まま』。」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF)。大言海は、
「聞食物(キコシメシモノ)の略。何によらず、身に受け納めるるをメスと云ふ。飯は其第一にて、人の尊びて云ひししに起こる」
と書く。
「室町時代にそれまでのイヒに代わって現れた。語源には諸説あるが、動詞メス(召す)の名詞化という説が有力である。『召す』は『呼び寄せる』『着る』『食べる』『乗る』など複数の用法を持っていたが、名詞としてはそれらの意味を共存させず、『呼び寄せること』の意味から『食べるけもの=飯』の意へと交替した」
とあり(日本語源大辞典)、本来「メス」は、
「『見(ミ)』スの尊敬語」
であった(岩波古語辞典・大言海)が、
「室町後期にはすでにオメシのようにオ(御)を冠した形も認められる」(日本語源大辞典)
と敬語の意識がなくなっていたらしい。上述のように、「めし」の語源は、「召す」とする説が大勢だが、
「中国の漢字から考えると、飯とはかならず蒸したものである」(たべもの語源辞典)
と考えると、
ムシ(蒸)の義、
とする説も、ちょっとムシ(無視)できない気がする。
ところで、日本人が米の飯を食べたのは弥生時代だが、米の飯を炊く初めは、此花開耶姫(このはなさくやひめ)が浪田(なだ、沼田)の稲を用いて飯をつくったのが最も古いことになっている(たべもの語源辞典)が、中国では、『周書』に、
黄帝が穀を蒸して飯となすとか、穀を烹(に)て粥となす、
とある(仝上)。
「穀類を煮たり蒸したりすることを古くは〈炊(かし)ぐ〉といい,のち〈炊(た)く〉というようになった。〈たく〉は燃料をたいて加熱する意と思われる。飯の炊き方には煮る方法と蒸す方法とがあり,古く日本では甑(こしき)で蒸した強飯(こわめし)を飯(いい)と呼び,水を入れて煮たものを粥(かゆ)といった。粥はその固さによって固粥(かたがゆ)と汁粥(しるかゆ)に分けられた。」(世界大百科事典)
とあり、
「飯を固粥(かたかゆ)または粥強(かゆこわ)とよび、今日の粥を汁粥(しるかゆ)といった。また固粥は姫飯(ひめいひ)とも称した。蒸した飯は強飯(こわいい)である」
とある(たべもの語源辞典)ように、飯は、
甑(こしき)、
を用いて蒸してつくられた(たべもの語源辞典)。伊勢物語に、
「飯をけこ(ざる・かご)の器物に盛ってたべるとある」
が、蒸した強(こわ)い飯であったことがわかる(たべもの語源辞典)、とある。
「甑(こしき)は古代中国を発祥とする米などを蒸すための土器。需とも。竹や木などで造られた同目的のものは一般に蒸籠と呼称される。 日本各地の遺跡で発見されており、弥生時代には米を蒸すための調理道具として使われていたと考えられる」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%91)。
「昔かなえ(鼎)の上に甑をのせて飯をかしいだことが『空穂物語』にある。室町時代になると、かなえを『かま』とよんだ。飯はかしぐといい、粥は煮るというが、かしぐとは甑をつかうからであろう」
とある(たべもの語源辞典)ので、
ちょうど「こしき」が「かま」に転じるころ、「いひ」が「めし」に転換した時期のようである。
「いい(ひ)」(飯)は、
イフ(言ふ)と同根、
とあり(岩波古語辞典)、「言ふ」は、
口に出し、言葉にする意、
だが、さらに、
食(い)ふ、
とも当て、
口にする意でもある(仝上)。「イヒ」の語源には諸説あり、大言海は、
忌火(イムヒ)に縁のある語か、
と、少し曖昧だが、その説をとるのは、
イミヒ(忌火)の義(名言通)、
その他、
イは接頭語、ヒは胎芽を意味する原語(日本古語大辞典=松岡静雄)、
イは発語、ヒは良しの意(東雅)、
イヒ(息霊)の義、息をつなぎとめるヒ(霊)というが、ヒは実の義であろう(日本語源=賀茂百樹)、
煮ることから、ユヒ(燖)の転(言元梯)、
ユイ(湯稲)の転後(柴門和語類集)、
「粒」の別音ipがihiに転じた語(日本語原学=与謝野寛、日本語源広辞典)
等々あるが、言ふ、食ふ、イヒ(飯)、と関連させる語源に魅力がある。言葉の音から辿るのは、語呂合わせになるきらいがある。
現在は「めし」も広く使われているが、「ごはん」という呼び方が一般的である。「ごはん」は、
「漢文の影響のうかがわれる軍記や室町時代の物語から用例」
が現れ始め(日本語源大辞典)、
「やがて女房ことばとしてこれに『お(御)』を加えた『おばん(御飯)』という語が現れる。そしてこれが広まり、江戸時代末期には『お』を『ご』に替えた」
とあり(https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=393)、『ごはん』の形になるのは、近世末期のようである(日本語源大辞典)。
「『飯』の呼び方の変遷は、イヒからメシへ、メシからゴハンへと、意識の上でより丁寧な言い方を指向した」
ようである(仝上)。「めし」が日常語として用いられるのは江戸時代以後のことである。『召す』は尊敬の動詞であるから、『めし』にも敬語意識が伴っていたと考えられる(語源由来辞典)。「めし」が位置を落として後も、確かに、「ごはん」という言い方には、なにがしか丁寧な語感がある。
「ゴハンは16世紀前半に例が見られるが、『飯』を音読したハン(日葡辞書)に、敬語の接頭語「御」をつけた語と考えられる。ゴハンは現在でも、メシに比べて上品な表現と考えられている」
とある(暮らしのことば新語源辞典)。
ところで、「めし」の、
「メという字は、芽・妻(め)・目・群(め)を意味している。また、メは未来の意を表す助辞でもある。芽はめぐむ、妻は孕むもの、目はめがでる、群はものが聚(あつ)まるという意味。シは、汝(シ)・己(シ)・其(シ)で、汝と己(おのれ)であり、指示するときに出る声である。『めし』という音には未来の喜びを示すものがある」
とある(たべもの語源辞典)。これと関連すれば、「いひ」が、
言ふ、
食ふ、
とつながるのもありえるのではないか。なお、
こめ(http://ppnetwork.seesaa.net/article/454757401.html)、
いね(http://ppnetwork.seesaa.net/article/454779702.html)、
については、それぞれ触れた。
参考文献;
山口佳紀編『暮らしのことば新語源辞典』(講談社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95