2019年12月28日

コンブ


「コンブ」については、「わかめ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472818173.html?1577306789で、「布の字を用ゐること」について、大言海が、「昆布」を、

「蝦夷(アイヌ)の語、Kombuの音訳字なり、夷布(えびすめ)と云ふも、それなり。海藻類に、荒布(あらめ)、若布(わかめ)、搗布(かちす)など、布の字を用ゐるも、昆布より移れるならむ。支那の本草に、昆布を挙げたり、然れども、東海に生ず、とあれば、此方より移りたるなるべし。コブと云ふは、コンブの約なり(勘解由(カンゲユ)、かげゆ。見参(ゲンザン)、げざん)」

としている、と触れた。岩波古語辞典も、

アイヌ語kombu、

とするなど、アイヌ語由来とする説がある。『続日本紀』に、

「霊亀元年十月『蝦夷、須賀君古麻比留等言、先祖以来貢献昆布、常採此地、年時不闕、云々、請於閉村、便達郡家、同於百姓、共率親族、永不闕貢』(熟蝦夷(にぎえみし)なり。陸奥、牡鹿郡邊の地ならむ、金華山以北には、昆布あり、今の陸中の閉伊郡とは懸隔セリ)」

とあり、アイヌと関わることは確かである。倭名抄には、

「本草云、昆布、生東海、和名比呂米、一名、衣比須女」

とあり、字類抄には、

「昆布、エビスメ、ヒロメ、コブ」

とある。本草和名には

「昆布、一名綸布(かんぽ)。和名比呂女、一名衣比須女」

ともあり、古くは、

ヒロメ(広布)、
エビスメ、

等々と呼んだ。

「ひろめ」は幅の広いことに(すなわち広布)、「えびすめ」は蝦夷の地から来たことに(すなわち夷布)由来する、

と考えられるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%96

「メ(布)」というのは、

「海藻類が布のように幅広であるところからいわれた。アラメ(荒布)・ワカメ(若布)というように、海藻にはメという名が付いた」

ということのようである(たべもの語源辞典)。

この「広布」を、

音読みした「こうぶ」からコンブになった、

とする説もある(仝上)。「コンブ」というようになったのは、平安朝の頃からで、

「『色葉字類抄』(1177-81年)に『コンフ』、『伊呂波字類抄』に『コフ』という訓が確認できる」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%96

「コンブ」の語源は、上記のように、アイヌ説があるが、漢名「昆布」の音読みであるとする説もある(和訓栞他)。

「漢名自体は、日本ではすでに正倉院文書や『続日本紀』(797年)に確認でき、さらに古くは中国の本草書『呉普本草』(3世紀前半)にまで遡ることができる。李時珍の『本草綱目』(1596年)には次のようにある。
 考えてみると、『呉普本草』には『綸布、またの名を昆布』とある。ならば、『爾雅』で言われている『綸(という発音で呼ばれているもの)は綸に似ている。これは東海にある』というものは昆布のことである。『綸』の発音は『関 (gūan)』で、『青糸の綬(ひも)』を意味するが、訛って『昆(kūn)』となった。」

というものである(仝上)。しかし、

「中国でいう『昆布』は、文献によってさまざまに記述されており、実際にはどの海藻を指していたのか同定が難しい。たとえば陳藏器は『昆布は南海で産出し、その葉は手のようで、大きさは薄(ススキ)や葦ほど、赤紫色をしている。その葉の細いものが海藻である』と記しており、アラメ、カジメ、ワカメ、クロメといったものを想起させる。昆布は、少なくとも当時は、東海(東シナ海)でも南海(南シナ海)でも採れるものではなかった。また、李時珍も掌禹錫(11世紀)に倣い、『昆布』と『海帯』(後者は、現代中国語で昆布を指す)を別種のものとして記述している」

とある(仝上)。字源を見ても、「昆布」は、

海藻の名、狭きものを海帯と云ふ、

としかない。本草には、

高麗如捲麻、黄黒色、柔韌可食、今海苔紫菜皆似綸、恐即是也

とあり、

「『爾雅』(紀元前3世紀〜2世紀ころ)には、『綸似綸、組似組、東海有之。』「綸(という発音で呼ばれているもの)は綸に似ている。組(という発音で呼ばれているもの)は組に似ている。これは東海にある」と書かれており、『呉普本草』(3世紀前半〜中葉)には綸布の別名が昆布であるとする。また、陶弘景(456-536年)は、『昆布』が食べられることを記している。ただし、前述のように、この『昆布』が日本で言う昆布と同じものなのかは定かでない。」

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%96。東海にあるという以上、昆布は、どうも中国では採れない。その意味で、

「縄文時代の末期、中国の江南地方から船上生活をしながら日本にやって来た人々が、昆布を食用としたり、大陸との交易や支配者への献上品としていたのではないかと言われています。昆布という名の由来は、はっきりしませんが、アイヌ人がコンプと呼び、これが中国に入って、再び外来語として日本に逆輸入されたと言われています」

という説https://kombu.or.jp/power/history.htmlが現実味を帯びる気がする。たべもの語源辞典は、

「中国の『呉晋本草』に、『綸布(かんぽ)一名昆布』とある…。綸は、リンまたカンとよみ、糸である。青色のひもという意味もある。このキカンポが訛って昆布(コンポ)となった」

という説を採っているが、その元が、アイヌ語かもしれないのである。

「鎌倉中期以降になると、昆布の交易船が北海道の松前と本州の間を、盛んに行き交うようになりました。昆布が庶民の口に入るようになったのは、そのころからです。海上交通がさかんになった江戸時代には、北前船を使い、下関から瀬戸内海を通る西廻り航路で、直接、商業の中心地である『天下の台所』大阪まで運ばれるようになりました。昆布を運んだ航路の総称を『こんぶロード』と言います。こんぶロードは江戸、九州、琉球王国(沖縄県)、清(中国)へとのびていきました。特に、琉球王国は薩摩藩(鹿児島県)と清とのこんぶ貿易の中継地として、重要な役割を果たしました。」

とありhttps://kombu.or.jp/power/history.html、中国は昆布の輸入国なのである。

コンブ.jpg



参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:コンブ 昆布
posted by Toshi at 05:36| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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