よもすがら
「よもすがら」は、
夜もすがら、
終夜、
等々と当てる。
日暮れから夜明けまで、
夜通し、
の意味である。
夢ぢにも露やおくらむよもすがらかよへる袖のひちてかわかぬ、
という歌もある(古今集)。
「夜」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/442052834.html)で触れたように、上代には、昼を中心にした時間の言い方と、夜を中心とした時間の言い方とがあり、
昼を中心にした時間の区分、アサ→ヒル→ユフ、
夜を中心にした時間の区分、ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、
と、呼び方が分けられている(岩波古語辞典)。前者がヒル、後者がヨル、ということになる。つまり、夜の時間区分は、
ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、
となる。
「夜もすがら」の「すがら」は、「しな、すがり、すがら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/420311540.html)で触れたように、道すがら、の「すがら」、
途切れることなくずっと、
という時間経過を示していて、
名月や池をめぐりと夜もすがら、
で、それが空間的に転用されと、
道すがら、
になったと、考えられる、大言海は、「よもすがら」を、
夜も盡(すがら)の意、ひねもすの対、
とする。「ひねもす」は、「ひねもす」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/445249637.html)で触れたように、
終日、
と当て、
朝から晩まで、
一日中、
という意味で、
ひもすがら、
とも言う。まさに、
アサ→ヒル→ユフ、
の昼間を指す。日本語の語源は、
「ヨモスガラ(夜も過がら。終夜)に対してヒルモスガラ(昼も過がら。終日)といった。その省略形のヒルモス(昼も過)は、『ル』が子音交替(rn)をとげてヒヌモスになり、さらに母音交替(ue)をとげてヒネモス(終日)になった。〈ヒネモスに見ともあくべき浦にあらなくに(見あきるような海ではない)〉(万葉)。
ヒネモスはさらに『ネ』が子音交替(um)をとげてヒメモス(終日)になった。〈中門のわきに、ヒメモスにかがみゐたりつる〉(宇治拾遺)。」
と解している。
「ひもすがら」「よもすがら」の「すがら」は、副詞と接尾語の二用があり、岩波古語辞典は、副詞は、
「スギ(過)と同根」
として、
途切れることなくずっと、
という意味とし、接尾語は、
「時間的連続が空間的にも使われるようになったもの」
として、
…の間中ずっと、
…の途中で、
という意味とする(岩波古語辞典)。しかし大言海は、「すがら」を、語源を異にする二項を別々に立て、いずれも接尾語として、ひとつは、
「スガは、盡(すぐ)るより転ず」
とし、意味は、
盡(すぎ)るるまで、通して、
とし、いまひとつは、
「直従(すぐから)の約か」
として、
ながら、ついでに、そのままに、
の意味とする。これだと、「よもすがら」は、
夜通し、
ではなく、
夜のついでに、
の意味になる。デジタル大辞泉は、
[名](多く「に」を伴って副詞的に用いる)始めから終わりまでとぎれることがないこと。
[接尾]名詞などに付く。
1 始めから終わりまで、…の間ずっと、などの意を表す。「夜もすがら」
2 何かをするその途中で、…のついでに、などの意を表す。「道すがら」
3 そのものだけで、ほかに付属しているものがないという意を表す。…のまま。「身すがら」
とし、広辞苑が同じ解釈である。
「一説に、スガは『過ぐ』と同源、ラは状態を表す接尾語という」
と注記して、名詞として、
(多く『に』をともなって、副詞的に用いる)始めから終わりまで、途切れることなく通すこと、
接尾語として、
(名詞につく)始めから終わりまでの意を表す(「夜すがら虫の音をのみぞ鳴く」)、
ついでにの意を表す(「みちすがら遊びものども参る」)、
そのままの意を表す(「親もなし叔父持たず、身すがらの太兵衛と名をとった男」)、
と挙げる。どうやら、「過ぎ」が原意とすると、時間経過の、
通して、
の意味と同時に、動作の並行の意味を含み、
…しながら、
という意味があり、それは、
ついでに、
の意味にずれやすい。しかし、
身すがら、
は、『大言海』の言うように、「過ぎ」ではなく、由来の違う、
直従(すぐから)の約、
なのではないか。その意味は、だから、『大言海』が、両方載せるように、
ながら、
の意味と、
ついでに、
の意味と、
そのままに、
の意味が重なり、ダブってしまった。
「すがら」の意味の幅は、上記のようだが、「よもすがら」は、用例から見ても、
夜通し、
の、
途切れることなくずっと、
の意味とみられる。語源も、
夜も+スガラ(過ら)で、夜の間ずっとの意(日本語源広辞典)、
ヨモスグサラ(夜亦直更)の義(日本語原学=林甕臣)、
ヨモツギアル(夜次有)の義(名言通)、
ヨモスカラ(夜過間)の義(言元梯)、
夜の去り果てるの義(名語記)、
等々と、夜通しの含意とみられる。しかし、「すがら」の意味の幅から見れば、
時間的な流れ、
の意と共に、
夜もすがら一人み山の真木の葉にくもるもすめる有明の月(新古今和歌集)
と、
通して、
の意味と同時に、動作の並行の意味を含み、
…しながら、
の含意があるとみると、意味が深みを増す気がするのは、気のせいだろうか。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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