2020年01月08日
青春時代
大岡昇平他編『青春の屈折上(全集現代文学の発見第14巻)』を読む。
現代文学の発見、
と題された全16巻の一冊としてまとめられたものだ。この全集は過去の文学作品を発掘・位置づけ直し、テーマごとに作品を配置するという意欲的なアンソロジーになっている。本書は、
青春の屈折、
と題された、二分冊の前半である。収録されているのは、
梶井基次郎『冬の蠅』
中島敦『かめれおん日記』
堀辰雄『恢復期』
伊藤整『若い詩人の肖像』
中野重治『歌のわかれ』
高見順『故旧忘れ得べき』
坂口安吾『古都』『真珠』
太宰治『ダス・ゲマイネ』
檀一雄『花筐』
立原道造『萱草に寄す』
井上立士『編隊飛行』
田宮虎彦『琵琶湖疎水』
西原啓『焦土』
日本戦没学生の手記『きけわだつみの声」
である。時代の背景もあり、「わだつみの声」が掲載されているのが異色だ。
これを読みながら、ふと思い出したのは、「青春時代」という歌謡曲の、
青春時代が夢なんて
あとからほのぼの 想うもの
青春時代の 真ん中は
道に迷って いるばかり(作詞・阿久 悠、作曲・森田 公一)
というフレーズであった。
なぜなら、本巻のほとんどの作品が、何年、何十年たってから振り返る作品だからだ。
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう(「のちのおもひに」)
けふ 私のなかで
ひとつの意志が死に絶へた…
孤独な大きい風景が
弱々しい陽ざしにあたためられやうとする
しかし寂寥が風のやうに
私の眼の裏にうづたかく灰色の雲を積んで行く
やがてすべては諦めといふ絵のなかで
私を拒み 私の魂はひびわれるだらう(「初冬」)
二十五歳で死んだ立原道造は、まさに、青春の真っただ中で、しかし一言も「青春」を言わず、その心性を詠った。
解説の長田弘は、武田泰淳が、「かめれおん日記」の中島敦を、
「中島ははげしい狼疾をわずらってゐる。彼は指のために肩を失わんとしてゐる」
と、評したという。そひれは、まさに「道に迷っている」時代のただなかだということではあるまいか。
「何事に就いても之と同様で、竟には、失望しないために、初めから希望を有つまいと決心するようになった。落胆しないために初めから慾望をもたず、成功しないであろうとの予見から、てんで努力しようとせず、辱めを受けたり気まずい思いをし度くないために、人中へ出まいとし、自分が頼まれた場合の困惑を誇大に類推しては、自分から他人にものを依頼することが全然できなくなって了った。外へ向って展かれた器関を凡て閉じ、まるで堀上げられた冬の球根類のようになろうとした。それに触れると、どのような外からの愛情も、途端に冷たい氷滴となって凍りつくような石・となろうと、私は思った」(かめれおん日記)
は、中島敦(http://ppnetwork.seesaa.net/article/446642719.html)で触れたように、『李陵』の硬質施な文体と比べると、中国素材の作品が自分の素養である距離を取って書けているのに対して、自分を描くとき、自分との距離が定っていない。この違いは、作品と作家の向き合い方の差のように思われる。素養で書くというのは、漢文の素養で、自家薬篭中のものの如く書く、ということを意味する。そこに硬質の緊張感はある。それは、あるいは漢文というものの、独特の読み下し文の緊張感に依存する。しかし物語世界との距離は小さい『かめれおん日記』は、どこか自虐的というか、被虐的な翳がつきまとう。それが、ある意味、「指のために肩を失わんとしてゐる」ということなのではないか、と勝手に解釈する。
梶井基次郎『冬の蠅』は、自分の振幅、揺れ幅をきちんととらえている。だから、自虐的にも諧謔的にもならない。その視点がぶれていないからではないか、と思う。生き残っていた蠅がいなくなったことについて、
「私が鬱屈した部屋から逃げ出してわれとわが身を虐んでいた間に、彼等はほんとうに寒気と飢えで死んでしまったのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。私が彼等の死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私は其奴の幅広い背を見たように思った。」(『冬の蠅』)
視点のぶれない文章は、対象との距離をあやまたない。
後世に書かれた作品の中で、高見順『故旧忘れ得べき』は、自虐的に書くことで、その自分を許そうとするような甘ったれを感じた。この距離感は、太宰のそれとともに、僕はあまり好かない。
伊藤整『若い詩人の肖像』と中野重治『歌のわかれ』は、好対照に思える。『若い詩人の肖像』は、実名を出し、丹念に「若い詩人」としての自分を、一定の距離で、価値観、つまり、不当な卑下も傲慢にも堕さない、視点を保ち続けている。作品の結構は、十分に練り込まれ、作り込まれている。なのに、作為を感じさせない。他方、『歌のわかれ』は、穿ちすぎかもしれないが、最初から、「歌」との離別を考えられたものに見える。しかし、前半、自分との距離が保てず、自虐や諧謔に振れて来たのに、最後になって、
「彼は袖を振るようにしてうつむいて急ぎながら、なんとなくこれで短歌ともお別れだという気がしてならなかった。短歌とのお別れということは、このさいに彼には短歌的なものとの別れということでもあった。それが何を意味するかは彼にもわからなかった」(歌のわかれ)
という決意が、作為的に見えて仕方がなかった。
「きけわだつみの声」を読みながら、不意に、京五輪男子マラソン銅メダルの円谷幸吉の遺書、
父上様 母上様 三日とろゝ美味(おい)しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄 姉上様 おすし美味しうございました。
父上様 母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒(なにとぞ) お許し下さい。
を思い出していた。川端康成は、円谷の遺書について、
「相手ごと食べものごとに繰りかへされる〈美味しゆうございました〉といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」
と語ったという(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%90%89)。哀切な文章に違いないが、それは、遺書ということを知っているからだ。それがなければ、ありふれた日記ととらえてもいい。
原爆投下直後に、広島近くに動員されていた経験を描いた、西原啓『焦土』に、被爆して死んだ友人について、
「新井はもはや正視することができなかった。恐らく山崎が意識を失う以前に書いたと思われる数枚の大学ノートの切れはしが枕辺に散っていた。新井はあたりを憚りながらその一枚を手にしてみた。月見れば乳千々にものこそ悲しけれ わが身一つの傷にはあらねど。涙がとめどもなく新井の頬を流れ始めた。患部の痛みに苦しみぬいた山崎を想ったのではない。ついに死なねばならぬ山崎の無念を想ったのではない。他人の歌に自分の思いを託さねばならなかった山崎のエネルギーの衰弱が痛ましかったのだ」(『焦土』)
と書き、「山崎を単なる記憶に終わらせまいとする意志」が、この作品だ、というように読める。
自分の言葉で、自分を描くためには、自分に対する冷静な距離が必要なのかもしれない、と思いつつ、自分の言葉て、自分の思いを語り得る人間の能力に嫉妬した。
なお、太宰治(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451454488.html)については、触れたことがある。
参考文献;
大岡昇平他編大岡昇平他編『青春の屈折上(全集現代文学の発見第14巻)』(學藝書林)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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