「蒲焼」は、
ウナギ、ハモ、ドジョウ、アナゴなどを骨を取り、串に刺すなどして、蒸して、たれを付けながら焼いた料理、
であり、
関西では蒸さないで素焼きにしたものに、たれをつける、
とある(日本語源大辞典、広辞苑)。
「うなぎ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/455534185.html)については、すでに触れた。
「うなぎは、古名『むなぎ』が転じた 語で、『万葉集』などには『むなぎ』とある。 むなぎの語源は諸説あるが、『む』は『身』を、『なぎ』は『長し(長い)』の『なが』からとする説が有力とされる。この説では、『あなご』の『なご』とも語幹が共通する」
とあり(語源由来辞典)、
「①奈良・平安時代は『むなぎ』で、『万葉-十六・三八五三』『新撰字鏡』『和名抄』などに見られる。②『万葉-十六・三八五三』の家持歌に『石麻呂にわれ申す夏痩に良しといふ物ぞ武奈伎(むなぎ)取りめせ』があった、古来鰻が栄養価の高い食品とされたことがわかる。これ以降、伝統的な和歌に詠まれることはなく、俳諧狂言などに、庶民の食生活を描く素材として取り上げられる。③調理法としては、室町時代に酢(すし)や蒲焼きが行われるようになり、これらを『宇治丸』と称した。夏の土用の丑の日に鰻を食する習慣は、江戸時代の文化年間に始まったという。」
とあり(日本語源大辞典)、
「『時代別国語大辞典-上代編』では、ムナギのナギについて、琉球語のナギ・ノーガ(虹・蛇の意)と同じであるとする説を紹介している。」
ともある(仝上)。どうやら、
「『む』は『身』を、『なぎ』は『長し(長い)』の『なが』からとする説」
が有力で、
「『あなご』の『なご』とも語幹が共通する」
し(日本語の語源)、音韻変化から、
「ムナガキ(身長き)魚は、ガキ[g(ak)i]の縮約でムナギ(万葉集に武奈伎)に転音し、『ム』の子音[m]の脱落で、ウナギ(鰻)になった。」
としていた。
ウナギは新石器時代頃の遺跡から発見された魚の骨の中にウナギのものも含まれており、先史時代からウナギが食べられていたとされるが、調理方法は定かではない、という。『万葉集』には、大伴家持の、
痩(や)す痩すも 生けらばあらむを 将(はた)やはた (むなぎ)を漁(と)ると 河に流れな
石麻呂(いしまろ)に 吾れもの申す 夏痩せに よしといふものぞ 鰻(むなぎ)とり食(め)せ
という和歌が二首収められている(http://www5e.biglobe.ne.jp/~narara/newpage%2016-3853%20%203854.html)が、夏痩せ対策にウナギを食していたものの、美味しい食べ物ではなかった、らしい。
蒲焼が登場する以前のうなぎの食べ方は、ぶつ切りにしたウナギ、あるいは小さめのウナギを丸々1匹串に刺し、焼いて味噌や酢をつける(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E7%84%BC)、というものだったらしい。
大草家料理書(室町時代)には、
「丸にて炙りて、後に切る也」
とある(大言海)。どうやらここから、
「ウナギの口から尾まで竹串を指し通して塩焼きにした。この形が、蒲の穂に似ているので、蒲焼きといったものの転訛」
という説(たべもの語源辞典、広辞苑)が、有力とされる。大言海は、
「蒲鉾焼の略、形も、黒褐(こげちゃ)色なるも、似たり」
とするのは、「丸にて炙りて、後に切」った後の形をいっているのだろうか。
その色・形が樺皮に似ているから(雍州府志・本朝世事談綺)、
焼いている香りが早く伝わることからついたカバヤキ(香疾)の義(骨董集・本朝世事談綺)、
は、「蒲」の説明と、ウナギを捌かずそのまま串刺しする調理法とのつながりが解けていない気がする。江戸初期の黒川道祐(『雍州府志』)、江戸中期の菊岡沾涼(『本朝世事談綺』)が樺(カバノキ)の皮説を採っていて、「蒲穂」説を採っている、橘守部『俗語考』、喜田川守貞『守貞謾稿』、久松祐之『近世事物考』等々が。いずれも、江戸後期なのは気になるが、
「江戸時代の前半までは、蒲焼きは『うなぎの丸焼きのぶつ切りを串にさしたもの』で、塩焼きや味噌焼きにして食べるもので、その『姿形』が『蒲(がま)の穂』に似ており、その蒲(がま)が蒲(かば)に代わり『蒲焼き』とよばれた。また、そうした食べ物は、下賤の食べ物として、武士やそれなりの家の人間は食べなかった。」
というところで落着させておく(https://www.wikiwand.com/ja/%E8%92%B2%E7%84%BC)。
「ウナギが、多くの庶民の口に入り始めたのは、元禄期(1688-1707年)に流通しつつあった濃口醤油の『掛け焼き』からのようである。現在の鰻の蒲焼に近いものが元禄時代から享保時代に出てくる。」
「うなぎの蒲焼きの初出は、正保年間(1640年代)に書かれた『料理物語』である。また、上方(関西)で刊行された堀江林鴻著の『好色産毛(こうしょくうぶげ)』(元禄時代 1688-1707)という本には、京都四条河原の夕涼みの画に、「うなぎさきうり/同かばやき」と記した行灯を置いた露店が描かれているという。」
「享保13年(1728年)に出版された『料理網目調味抄』の中に、醤油や酒を使ったウナギ串が記されており、味は現在の味に近かったとされている。」
そうである(仝上)。
ちなみに、ウナギの蒲焼は、
屋台で売られていた蒲焼は一串16文、
料理茶屋で食べれば一皿200文、
であった(http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-16.html)。担ぎ売りや屋台では、そばと同じで一串16文なのである。
(近藤清春「江戸名所百人一首」・深川八幡社「めいぶつ大かばやき」http://www.unasige.com/unagizatugak-rekisi.htmlより)
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:蒲焼