かがみ


「かがみ」は、

鏡、
鑑、
鑒、

等々と当てる。「鑑」と当てるのは、映す鏡のメタファで、

手本、
模範、

という意味の時に当てる。「鏡」(呉音キョウ、漢音ケイ)は、

「会意兼形声。竟は、楽章のさかいめ、くぎりめをあらわす。境の原字。鏡は『金+音符竟』。銅を磨いて、明暗のさかいめをはっきりうつしだすかがみ」

とある(漢字源)。「鑑(鑒)」(漢音カン、呉音ケン)は、

「会意兼形声。監は『伏し目+人+皿に水を入れたさま』の会意文字で、水のかがみの上に顔をうつすことをあらわす。のち青銅をみがいたかがみを用いるようになったので、金へんを添え、鑑の字となった。鑑は『金+監』」

とある(仝上)。

「昔は水かがみを用い、盆に水を入れ、上からからだを伏せて顔をうつした。春秋時代からのちは、青銅の麺らを平らに磨いて姿をうつした」

ともあるので、あるいは、「鑑(鑒)」の方が、古い「かがみ」を意味しているのかもしれない。字源には、「鏡」を、

銅、又は玻璃にて作る、

とある(玻璃はガラスの異称)ので、「鏡」は、銅鏡以降のものを意味する。

人物画像鏡 5- 6世紀(癸未年在銘).jpg

(人物画像鏡 5- 6世紀(癸未年在銘)・隅田八幡神社所蔵 国宝) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%85%E9%8F%A1より)


鏡は、弥生初期に銅鏡が、中国・朝鮮から伝来した。とされる。古代、鏡は、祭祀道具であり、権力を象徴する財宝でもあった(日本昔話事典)。

「天孫降臨では天照大御神は『此の宝鏡(八咫鏡)を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし』(この鏡を私だと思って大切にしなさい)との神勅を出していることから、古代から日本人は鏡を神聖なものと扱っていたと思われる。」

のであるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1。弥生中期、

「北部九州では、甕棺墓に前漢鏡が副葬されるようになった。銅鏡は宝器として珍重され、後期になって副葬され始めるようになった後漢鏡は、不老長寿への祈りを込めた文が鋳出され、その鏡を持った人は長寿や子孫の繁栄が約されるというものだった」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%85%E9%8F%A1し、古墳時代、

「邪馬台国の女王卑弥呼が魏の王より銅鏡(この時代を研究する考古学者にとっては、「鏡」という語はすなわち内行花文鏡、三角縁神獣鏡などの銅鏡を意味する)を贈られた故事がある。これは、彼女がシャーマン的な支配者であったことと結びつける研究も多い。鏡は神道や皇室では、三種の神器のひとつが八咫鏡であり、神社では神体として鏡を奉っているものが多数存在する。」

というほど、鏡は神聖視されてきた。長く鏡は貴重品で、一般化するのは、江戸期に、水銀をかぶせた鏡が量産化されてからのことであり、ガラス製は近世末期になってからとなる(日本昔話事典)。

合わせ鏡のおひさ.jpg

(喜多川歌麿「合わせ鏡のおひさ」寛政の三美人のひとり高島屋おひさ https://kanazawabunko.net/works/866より)

さて、「かがみ」の語源である。

「カガはカゲ(影)の古形。影見の意」(岩波古語辞典)

とする説が有力らしい。「かげ(影・陰・蔭)」は、

「古形カガの転。カガヨヒ・カグツチのカガ・カグと同根。光によってできる像。明暗ともにいう」

ともある(仝上)。「かぐつち(迦具土・火神)」は、

「カグはカガヨヒノカガと同根。光のちらちらする意」

であり、「かがよひ」は、

ガキロヒと同根、

で、

静止したものがキラキラと光って揺れる、

意である。「かぎろひ」の「ヒ」は「火」の意で、

揺れて光る意、

とある(仝上)。不安定な水鑑や銅鏡の映し出す映像を思い描くとき、この説は魅力がある。

カゲミ(影見)の義(志不可起・類聚名物考・百草露・言元梯・名言通・和訓栞)、

と、主張する説は多い(日本語の語源も)。

カゲマミ(影真見)の約轉(和訓集説)、

も同趣であろうか。

しかし、大言海は、

「赫見(かがみ)の義。鑑の初は、日神の御光を模して造れると伝ふ、古語拾遺に、八咫鏡に『鋳日像(ヒノミカタ)之鏡、(神代紀に同じ)初度所鋳不合意』。大倭本紀(釈紀所引)に、此御鏡を天懸(アマカカス)神となづくとあり、天赫(あまかがはす)なり」

と、かがやく(赫・輝)を採る。だが、この説明は、神話に基づいていて、今一つ説得力を欠く。しかし、日本語源広辞典も、

「カガ(眩い・輝く意)+ミ(見るもの)、

とする。

カガミ(赫見・炫見)の義(古事記傳・箋注和名抄・和訓栞)、

と、この説を採るものも少なくないが

不安定な揺らめく影を見ている銅鏡は、

かぎろひ、
かぐつち、

の「かが」「かぐ」と重なるとみる説の方が、説得力がある。銅鏡の鈍い輝きは、

かがやく、

という語感とはちょっと違う気がしてならない。ただ、

かが(爀爀)、

を、

影(かげ)と通ず、

としている(大言海)ところを見ると、

かがやく、
かがよふ、
かがり(篝)、

の語根として、結局、同じことを言っていることになるが。

南天柄鏡.jpg

(「南天柄鏡」京都国立博物館蔵 https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kinkou/54dokyo.htmlより)


参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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