「われ」は、「おのれ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html?1579984384)と似た意味の転化をしている。「われ」は、
我、
吾、
余、
予、
等々と当て、一人称の、
自分自身を指す、
言葉で、
おのれ、
あれ、
わたくし、
の意であるが、中世以後、その人自身の意で、
自分、
そして、二人称に転じて、相手を呼ぶ、
「われは又いづかたよりいづ方へおはする人ぞ」(百座法談聞書)
というように、
そなた、
を指し、後世、相手を卑しめて、
「いつわれがおれに酒をくれたぞ」(狂言・乞聟)
と、
なんじ、
なれ、
の意で使われることが多い、とある(大言海・岩波古語辞典・広辞苑)。
一人称「われ」は、古く、
わ、
といい、
「埴生坂わが立ちみれば」(記紀歌謡)
「しきたへの衣手離(か)れて玉藻なす靡きか寝(ね)らむわを待ちがてに」(万葉集)
と使われたが、平安時代には、「わが」という形以外にはほとんど使われなくなった(岩波古語辞典)、とある。この「わ」も、一人称とともに二人称に使われ、
「おのれ(汝)は何事を言ふぞ、わが主の大納言を高家に思ふか」(宇治拾遺)
と、
親しんで、また相手を卑しめ軽んじて呼ぶ語としてつかい、それを接頭語に、やはり、
「わおきなの年こそ聞かまほしけれ」(大鏡)
と、親愛、または軽侮の意で、
わ(我)君、
わ(我)殿、
わ主(ぬし)、
等々と使う(岩波古語辞典)。この「われ」の意は、
あれ(吾)、
とも使うが、これは、
「ワレ(ware)の語頭wが脱落した形か。平安時代以後はほとんどつかわれず、僅かに慣用句の中に残存する」
とある(岩波古語辞典)。これと、同じ意の、
あ(吾、我)、
との関係はどうなっているのだろう。大言海は、
「漢語我(ア)と暗合、朝鮮語の古語にも、アと云ふとぞ」
と、中国語由来をほのめかしているが、岩波古語辞典は、
「アは、すでに奈良時代から類義語ワ(我)よりも例が少なく、用法も狭い。平安時代になると、『あが』という形をいくつか残すだけで、アは主格や目的格などの場合には使われない。アとワとは、『あが衣(ころも)』『わが衣(きぬ)』などと、似た対象にも使ったが、アは、多くの場合、『あが君』『あが主(ぬし)』など親密感を示したい相手に対して使い、ワは『わが大君』『わが父母』など改まった気持ちで向かう相手に冠する語。転じて、軽蔑の意も表す」
としている。「われ」の転訛「あれ」は「あ」とは、由来を異にする言葉のようである。
「われ」は、
本語は、ワなり、レは添えたる語。…吾(あ)れ、彼(か)れ、誰(た)れも同趣。漢語ウリ(我)」
とある(大言海)。「おのれ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html?1579984384)で触れた、
オノ(己)+レ(接尾語)
と同じである。「れ」は、「ら」の項に、
「代名詞を承けて、場所・方向の意を表す」
とある(岩波古語辞典)。
いはた野に宿りする君家人のいずらと我を問はばいかに言わむ(万葉集)、
のように「ら」になったり、
かれ、
われ、
それ、
と「れ」となったりする。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:われ