2020年01月27日

われ


「われ」は、「おのれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html?1579984384と似た意味の転化をしている。「われ」は、

我、
吾、
余、
予、

等々と当て、一人称の、

自分自身を指す、

言葉で、

おのれ、
あれ、
わたくし、

の意であるが、中世以後、その人自身の意で、

自分、

そして、二人称に転じて、相手を呼ぶ、

「われは又いづかたよりいづ方へおはする人ぞ」(百座法談聞書)

というように、

そなた、

を指し、後世、相手を卑しめて、

「いつわれがおれに酒をくれたぞ」(狂言・乞聟)

と、

なんじ、
なれ、

の意で使われることが多い、とある(大言海・岩波古語辞典・広辞苑)。

一人称「われ」は、古く、

わ、

といい、

「埴生坂わが立ちみれば」(記紀歌謡)
「しきたへの衣手離(か)れて玉藻なす靡きか寝(ね)らむわを待ちがてに」(万葉集)

と使われたが、平安時代には、「わが」という形以外にはほとんど使われなくなった(岩波古語辞典)、とある。この「わ」も、一人称とともに二人称に使われ、

「おのれ(汝)は何事を言ふぞ、わが主の大納言を高家に思ふか」(宇治拾遺)

と、

親しんで、また相手を卑しめ軽んじて呼ぶ語としてつかい、それを接頭語に、やはり、

「わおきなの年こそ聞かまほしけれ」(大鏡)

と、親愛、または軽侮の意で、

わ(我)君、
わ(我)殿、
わ主(ぬし)、

等々と使う(岩波古語辞典)。この「われ」の意は、

あれ(吾)、

とも使うが、これは、

「ワレ(ware)の語頭wが脱落した形か。平安時代以後はほとんどつかわれず、僅かに慣用句の中に残存する」

とある(岩波古語辞典)。これと、同じ意の、

あ(吾、我)、

との関係はどうなっているのだろう。大言海は、

「漢語我(ア)と暗合、朝鮮語の古語にも、アと云ふとぞ」

と、中国語由来をほのめかしているが、岩波古語辞典は、

「アは、すでに奈良時代から類義語ワ(我)よりも例が少なく、用法も狭い。平安時代になると、『あが』という形をいくつか残すだけで、アは主格や目的格などの場合には使われない。アとワとは、『あが衣(ころも)』『わが衣(きぬ)』などと、似た対象にも使ったが、アは、多くの場合、『あが君』『あが主(ぬし)』など親密感を示したい相手に対して使い、ワは『わが大君』『わが父母』など改まった気持ちで向かう相手に冠する語。転じて、軽蔑の意も表す」

としている。「われ」の転訛「あれ」は「あ」とは、由来を異にする言葉のようである。

「われ」は、

本語は、ワなり、レは添えたる語。…吾(あ)れ、彼(か)れ、誰(た)れも同趣。漢語ウリ(我)」

とある(大言海)。「おのれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html?1579984384で触れた、

オノ(己)+レ(接尾語)

と同じである。「れ」は、「ら」の項に、

「代名詞を承けて、場所・方向の意を表す」

とある(岩波古語辞典)。

いはた野に宿りする君家人のいずらと我を問はばいかに言わむ(万葉集)、

のように「ら」になったり、

かれ、
われ、
それ、

と「れ」となったりする。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:われ
posted by Toshi at 05:30| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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