2020年01月28日
こそあど
「こそあど」は、代名詞の、
これ(此)・それ(其)・あれ(彼)・どれ(何)、
を指し、事物、
これ・それ・あれ・どれ、
方角、
こちら(此方)・そちら(其方)・あちら(彼方)・どちら(何方)(こっち・そっち・あっち・どっち)、
場所、
ここ(此処)・そこ(其処)・あそこ(彼処)・どこ(何処)、
と、話し手との関係によって近称・中称・遠称・不定称に分類され、代名詞以外も、形容動詞、
こんな・そんな・あんな・どんな、
副詞、
こう・そう・ああ・どう、
連体詞、
この・その・あの・どの、
等々がそれぞれ、
「こ」系で近称を、
「そ」系で中称を、
「あ」系で遠称を、
「ど」系で不定称を、
と、指示系列に整理されている。これを佐久間鼎(かなえ)は、
〈こそあど〉の体系、
と呼んだ(日本大百科全書)、とされる。この、近称とか遠称は、単に空間的・時間的な距離が問題なのではなく、
「こ」は話し手の勢力圏にあること、
「そ」は聞き手の勢力圏にあること、
「あ」は両者の勢力圏の外にあること、
を示すものとされ、心理的・感情的な価値表現を含めている。距離にも、たとえば、
視界に入っているかどうか、
上の方にあるか下の方にあるか、
上流か下流か、山の上か麓かなど地理的な情報、
近づいているか遠ざかっているか、横切るのかなどの動きの情報、
等々も使い分けられる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87%E7%A4%BA%E8%AA%9E)、とある。
「これ」は、
是、
之、
此、
と当てるが、
コ(此)+接辞レ、
で、「かれ」「あれ」「それ」「だれ」「いずれ」どれ」皆同じ組立てになる(大言海)。「ラ」は、
「おのれ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html?1579984384)、
「われ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473288508.html?1580070619)、
で触れたように、「代名詞を承けて、場所・方向の意をあらわす」接尾語である。「これ」は、
「かれ」「あれ」と対、とある(岩波古語辞典)が、本来的には、
こ(此)、
で、
空間的・時間的心理的的に話し手に近いものを指す(仝上)。「か(彼)」「そ(其)」に対す(大言海)。
「それ」は、
ソ(其)+接辞レ、
で、「ソ(其)」は、
代名詞シと同根、
とある(岩波古語辞典)。万葉集に、
老人(おい)も女(おみな)童児(わらは)もシが願ふ心(こころ)足(だら)ひに撫で給ひ治め給はば
とあり、
「ソは、ソで終止する用法があるが、シには終止の用法はない。シは下に連体助詞ガを従えるが、ノを従えることはない」
とある(岩波古語辞典)。
「あれ」は、
彼、
と当てる。
あ(彼)+助辞レ、
これの対、
だが、「あ」は、用例が少なく、主として「あは」の形で使われた。
雲立つ山をアはとこそ見れ(大和)
この古形は、「か」で、「あれ」は、
「奈良・平安時代に多く使われた遠称の代名詞カレの轉。話し手に属さない遠い、また不明の、明示すべからざる物事・所・時・人などを指す。平安中期に会話に使われ始め、中世に、次第にカレに取って代わった。後世、意外の気持ちを表明する感動詞にも使う」
とある(岩波古語辞典)。「カレ」は文語として残ったようである(仝上)。日本語源大辞典は、このことを詳しく、「かれ」は、
「①三人称(他称)の代名詞として上代から存在するが用例は少なく、事物・人ともに指示した。『かれ』も含めてカのつく指示語は、コの付く指示語から分化したものといわれる。②上代では、アの付く指示語はみえないが、遠称の『かれ』をはじめカの付く指示語はわずかながら見られ、平安時代になると例がかなり多くなる。この時期、『これ』と『かれ』が対偶的に用いられた例が多くみられる。③カの付く指示語は、平安時代に成立したア系の指示語に、中世以後は次第に取って変わられてゆき、『かれ』も近世では文語調の代名詞としてやや堅苦しい表現のみに用いられ、口語としては使用されなかった。④明治以後、西欧語の三人称男性代名詞の訳語として、口頭語に用いられるようになった。明治以前は、人を指示する場合、男女を問わなかったが、明治以降に同じく訳語として定着していった『彼女』との間で、次第に男女の使い分けをするようになったと考えられる」
とする。
カレ→アレ→カレ、
と先祖返りしたが、性別を持たないわが国の言葉に、性別というものをもたらしたことになる。
ただ、「かれ」について、日本語の語源は、
「カル(離る)の連用形カレ(離れ)が遠称代名詞のカレ(彼)・カ(彼)になったが、[k]を落としてアレ(彼)・ア(彼)になった。また、カレシトコロ(離れし処)の省略形のカシコ(彼処)はアシコ・アソコに転音した。カノカタ(彼の方)の縮約形のカナタ(彼方)はアナタに転音した。」
と音韻から分解して見せている。接尾語「レ」は、今日まったく意味が辿れないが、語原を探ると、
カル(離る)→カレ(離れ)→アレ→ア、
となるとしているので、「これ」「それ」の「れ」も、元々は、何か(たとえば、「こる」「そる」といったような)動詞の意味をもっていた可能性はある。しかし、日本語の語源も、「かれ」以外は、辿れていない。あるいは、大野晋の言うとおり、二音節語までは分析が可能だが、ヤマトコトバの一音一音に個々の意味を割り付けようとする所謂「音義説」には限界があり、日本語の音の結合の仕方についての考え方をまったく変えなければならなくなる、としている(日本語をさかのぼる)所以かもしれない。
「どれ」は、その日本語の語源が、
イズレ(何れ)→どれ、
という転訛を示しているように、
イズレの転(岩波古語辞典)、
イズレのイが省かれて、ヅがドに転じたるなり(大言海)、
とある。「どれ」も、
ど(何)+レ
であるが、「ど(何)」は、
アドのアが脱落した形、
汝(な)をドかも為(し)しむ(万葉集)、
とする(岩波古語辞典)説と、
イヅレのヅの転(大言海)、
とに分かれる。
イヅレ→イドレ→ドレ、
と転じた(小学館古語大辞典、日本語源広辞典)ともあり、「あど」は、岩波古語辞典も載せておらず、こちらの方が分がある。
「こそあど」を探ってみると、和語が文字を持たないからこそ、話し手からの距離が、明確に示される必要があったことが、よくわかってくる気がする。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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