今日「汁粉」は、
小豆の餡を水でのばして汁として砂糖を加えて煮、中に餅または白玉などを入れたもの、
とある(広辞苑)。漉(こ)し餡と粒餡のものがあり、つぶし餡を用いたものを、
田舎汁粉、
あるいは、
小倉汁粉、
とも呼び、関西では、これを、
ぜんざい、
と呼ぶ。「小倉汁粉」は「小倉」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473261871.html?1579898010)で触れたが、こしあんに砂糖煮の赤小豆を入れたものである。「ぜんざい」は、関東では、汁気のない餡そのものを呼ぶが、関西では、
亀山または金時、
と呼ぶ。
また、漉し餡をもちいたものを、
御前汁粉、
という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%81%E7%B2%89)。これは、関西でも「おしるこ」である。
(御前汁粉に玄米餅 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%81%E7%B2%89より)
「汁粉」は、
汁子、
とも当てる。
汁粉の語源は餡汁粉(子)餅で、その略が汁粉ともいわれるが、本来は汁の中に入れる実を汁の子、汁子と称した、
とされる(日本大百科全書)からである。大言海にも、
汁の實を子と云ふ、
とある。嬉遊笑覧(文政13年(1830))にも、
「今は赤小豆(あずき)の粉をゆるく汁にしたるを汁粉といえども昔はさにあらず。すべてこといふは汁の實なり」
とある(日本語源大辞典)、という。
芋の子もくふやしるこのもち月夜(寛永発句帳)、
という、満月の夜に芋の子の汁の實(しるこ)を食べたという名月の句がある(たべもの語源辞典)。寛永(1624~1644)の「しるこ」とは、「汁の実」だったらしい。汁粉が庶民の食物となるのは明和年間(1764~1772)以降とみられ、『明和誌』に、
「近頃(ちかごろ)汁粉見世にて商う」
と記され、『守貞漫稿(もりさだまんこう)』(1853年)には汁粉の種類も数品用意されていたとある。振売りの汁粉屋はそれ以前から往来していたが、値は夜鷹(よたか)そば並みの、
1杯16文、
であった。天秤(てんびん)の前後に荷箱をかけ、赤行灯(あんどん)をつるした職人の売り声は、「白玉ァおしるこゥ」「お正月やァ(餅入りの意)おしるこゥ」であった。多くは夜売りで、行灯に正月屋と書き込む汁粉屋が多かったことから、正月屋ともよばれた(日本大百科全書)、という。
(しるこ屋新昇亭 歌川広重画 団扇絵(うちわえ) http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no30.htmlより)
ただ、「汁粉」の語源説には、異説もあり、
アズキの生餡(なまあん)(水を切った生餡は粉をこねた状態である)を水に溶くから汁粉とする説(日本大百科全書)
餡汁に入れる実の餅という意のシルコモチのモチが省略されたもの(暮らしのことば語源辞典)、
叡山から京へ出る道に、俗にシルタニゴエと称する泥濘甚だしいところがあり、それに似ているところから(類聚名物考)、
コはあずき餡をいう。汁にしたあずき粉の意(於路加於比)、
本来は餡の汁の中に子(実)として餅を入れるので餡汁子餅であり、略して汁子、転じて汁粉になった(和菓子の系譜)、
等々。しかし、
芋の子もくふやしるこのもち月夜、
は、芋の実を指している。汁の子(實)、でいいのではあるまいか。寛永12年(1635年)の『料理物語』には、
「後段(宴会の後に出される間食で、うどんやそうめん、饅頭などが含まれる)の欄に、『すすりだんご』と称される物が載っている。これはもち米6に対しうるち米4で作った団子を小豆の粉の汁で煮込み、塩味を付けたものであり、その上から白砂糖を天盛りにした一種の汁物である。当初は甘い物ではなく、塩味で調理されており、肴として用いられる事もあった。鳥取県・島根県東部での雑煮における汁粉も、元来はこうした塩味の料理であったと考えられる。」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%81%E7%B2%89)。すすり団子は、
すすり団子は甘味として食べたのではなく、お酒を楽しむ際の肴(さかな)、
だった、とある(古典料理の研究、http://yurakucho.today/sweets/p9700/)。
関西で言う「ぜんざい」は、
一条兼良(1402~1481年)の『尺素往来』に、
「新年の善哉(ぜんざい)は修正の祝着」
とあり(たべもの語源辞典)、同年代頃の一休禅師も、
「善哉此汁(ぜんざいこのしる)」
と言った、とある(https://atsushino1.com/5039.html)。
「年の初めに餅を食う喜び(仏語で善哉)」
とある(たべもの語源辞典)が、「善哉」は、
「元仏教語で、『すばらしい』を意味するサンスクリット語『sadhu』の漢訳。仏典では、仏が弟子の言葉に賛成・賞賛の意を表すときに、『それで良い』『実に良い』といった意味で用いられる」
とある(語源由来辞典)。「汁粉」が「善哉」と呼ばれるいわれは、「ぜんざいもち」の項で、大言海は、
或る人、始めて、小豆の汁に餅を入れて、一休禅師に供したるに、一休、賞して、善哉此汁と云ひしを名とすなど、云ひ伝ふ、
とあるが、異説もあり、
出雲地方の神事「神在祭」で振る舞われた「神在餅」を由来とする説である。「神在餅」の「じんざい」が訛り、「ぜんざい」へと変化した、
とする(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9C%E3%82%93%E3%81%96%E3%81%84、梅村載筆、私可多咄)説があり、松江藩の地誌『雲陽誌(うんようし)』佐陀大社の項に
此祭日俚民白餅を小豆にて煮家ことに食これを神在餅といふ出雲の国にはしまる世間せんさい餅といふはあやまりなり」とあります。その他、いくつかの古文献にも「神在餅」についての記述があるところから当社は「ぜんざい発祥の地」であるといわれています、
とあるとか(仝上)。あるいは、
あずき餅の餡を任意に湯で薄めてたべるところから、ジザイモチ(自在餅)の義(月曜通信=柳田國男)、
もある。しかし、各地に「ぜんざい」はあり、嚆矢が、
関西、
のようである。
「年の初めに餅を祝うよろこびであった。善哉餅といって、小豆を煮て餅を入れた食べ方が考えられ、関西で『ぜんざい』という名称が登場してくる」
とある(たべもの語源辞典)。それが、
「しる状の様子から、関東へは『しるこ』というよび方で伝わった」
とある(日本語源大辞典)。
当初は、「しるこ」と「ぜんざい」の区別は明確ではなかったが、
「近世後期には関東・関西それぞれにおける区別が確立し、関東では、汁気のあるものを『しるこ』、汁気が少なく餡にちかいものを『ぜんざい』とよぶ。関西では、汁気のあるもののうち、漉し餡のものを『しるこ』、つぶし餡のものを『ぜんざい』とよびわけ、汁気の少ないものを『亀山』とよぶ」
ことに落ち着く(仝上)。『守貞漫稿』は、
京坂では小豆を皮のまま黒砂糖を加えて丸餅を煮るのを善哉という。江戸では小豆の皮をとり、白砂糖の下級品或は黒砂糖を加えて切餅を煮るのを汁粉という。京坂でも小豆の皮をとったものは汁粉、または漉し餡の善哉という。江戸では善哉に似たものをつぶし餡という。また漉し餡に粒の小豆をまぜたものをいなか汁粉という、
とまとめている(http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no30.html)。
(汁のあるぜんざい(関西) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9C%E3%82%93%E3%81%96%E3%81%84より)
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95