2020年02月08日
あずき粥
「あずき」については、「豆」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473371197.html?1580864227)触れた。「小豆粥(あずきがゆ)」は、
小豆をこめにまぜて炊いた粥、
の意(広辞苑)で、小正月を祝って神に供え、人も祝ってこれを食べた。ために、
十五日粥、
とも、
また、望(もち)の日(陰暦十五日、満月の日)の節供なので、
望粥(もちがゆ)、
ともいう(たべもの語源辞典)。一年の邪気を払うものとして食べ、
さくらがゆ、
ともいう(仝上)。粥に小豆を加えたのは、
赤は陽の色で、小豆の粥は、この赤い色を食べて、冬の陰気を陽徳で消させる、
という意がある(仝上)とされるが、
「小豆を入れて煮た粥。普通の白粥と違って赤く染まるので、その色に呪力を認め、屋移りや旅立ちに災異除(よ)けとして用いられた」
ともあり(日本大百科全書)、
「小豆が持つ赤色と稲作民族における呪術が結び付けられて、古くから祭祀の場において小豆が用いられてきた。日本の南北朝時代に書かれた『拾芥抄』には中国の伝説として、蚕の精が正月の半ばに糜(粥)を作って自分を祀れば100倍の蚕が得られるという託宣を残したことに由来するという話が載せられている。
中国においては、古くは冬至の際に小豆粥が食せられた。後にこの風習が発達して12月8日には米と小豆ほか複数の穀物や木の実を入れた「臘八粥」(ろうはちがゆ)というものが食せられ、六朝時代の中国南部では1月15日に豆粥が食せられた(『荊楚歳時記』)。これが日本に伝わって1月15日すなわち小正月の朝に小豆粥を食するようになったと考えられている」
と(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%B1%86%E7%B2%A5)、中国由来である。
正月十五日に小豆粥をつくって天狗を祀り、これを食べれば疫病にかからないという中国の俗信からきた、
ともある(たべもの語源辞典)。漢名では、
紅調粥、
というとか(たべもの語源辞典)。『公事根源』によると、宇多天皇の寛平年中(889~98)から始まる、
とあるという(たべもの語源辞典)。
『延喜式』によれば、
「小正月には宮中において米・小豆・粟・胡麻・黍・稗・葟子(ムツオレグサ)の『七種粥』が食せられ、一般官人には米に小豆を入れたより簡素な『御粥』が振舞われている。これは七種粥が小豆粥に他の穀物を入れることで成立したものによるとする見方がある」
とあり、紀貫之の『土佐日記』にも、
承平7年(935年)の1月15日(小正月)の朝に「あづきがゆ」を食した、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%B1%86%E7%B2%A5)。
多く餅(粥柱)を入れる、
ともある。粥柱は、
粥杖(かゆづえ)、
とも呼ぶ。小正月の粥に入れる餅(もち)をそう呼ぶ(広辞苑)が、これは、江戸時代からで、
「15日すなわち『望(もち)の日』の粥という語が転じて「餅(の日)」の粥と解せられ、小豆粥に餅を入れて食べる風習も行われるようになった」
とある(仝上)。今日でも地方においては正月や田植、新築祝い、大師講などの際に小豆粥や小豆雑煮で祝う風習のある地方が存在する、という(仝上)。江戸語大辞典には、
邪気を払う効があるとて、正月十五日に食べる。また、転宅・新居落成の祝いにもこれを食べる、
とあり、広がっていることがわかる。
新しい雨の音聞くあづきがゆ、
という「新居」の川柳がある(江戸語大辞典)。
小豆粥の炊き上がり方で豊凶を占う、
ともある(広辞苑)。それを、
粥占、
という。粥占は、
かゆうら、
かいうら、
よねうら、
とも呼び、粥を用いて1年の吉凶を占う年占である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%A5%E5%8D%A0)。毎年、日本各地の神社で祭礼として行われる。多くは小正月に神にあずき粥を献ずるときに行われ、
「1月15日(もしくは2月15日)に丼大の碗にアズキや塩を入れた粥を大盛りに盛り付け、神前に供える『粥炊き』『粥入れ』を行なう。数週間から約2ヶ月経ってから、神前に供えられた粥を取り出す『粥開き』を行ない、粥についたカビを神社総代や氏子総代が中心となって何人かの氏子が、神社に伝わる『御粥面図』や口伝を基に判別し、カビの色やついた場所(粥のどこについたかで地域・季節・方角などを区別して占う)、生え具合で占う。儀礼の終わった粥は、付近の井堰や川に流す。占いの結果は氏子同士が話し合って決め、そのプロセスは氏子以外の者でも自由に見ることが出来る場合が多い」
とある(仝上)。
因みに、「小正月」は、正月15日の行事であるが、
14日から16日までの3日間、または、14日の日没から15日の日没まで、または、望(満月)の日、または、元日から15日までの15日間、
ともされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%AD%A3%E6%9C%88)。元日(または元日から1月7日まで)を大正月と呼ぶのに対してこのように呼び、正月の終わりとも位置づけられ、
小年(こどし)、
二番正月、
若年、
女正月(おんなしょうがつ)、
花正月、
返り正月、
戻り正月、
等々と呼ぶ地方もある(仝上)、とか。中国式の太陰太陽暦が導入される以前、望の日を月初としていたことの名残りと考えられている。古くはこの小正月までが松の内だった(この日まで門松を飾った)が、江戸時代に徳川幕府の命により1月7日の大正月までとされたが、関東地方以外には広まらなかったらしい(仝上)。
小正月の行事に、「左義長」(どんど焼き)があるが、これは項を改める。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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