2020年02月10日

左義長


「左義長」は、

三毬杖、
三毬打、

とも当てる、

どんど焼き、

のことである。別に、

とんど(歳徳)、
どんど、
どんどん焼き、
どんと焼き、
さいと焼き、
おんべ焼き、
ほっけんぎょう、
ほちじょ、
おにび、

等々の名で呼ばれる。「左義長」といえば、信長公記の天正九年、正月八日に、

御馬廻、御爆竹致用意頭巾装束致結構、思々の出立に而十五日に可罷出之旨、御触有。江州衆へ被仰付、御爆竹申付人数、北方東一番仕次第、平野土佐、多賀新左衛門、後藤喜三郎、蒲生忠三郎、京極小法師、山崎源太左衛門、山岡孫太郎、小河孫一郎、南方の次第、山岡対馬、池田孫次郎、久徳左近、永田刑部少輔、青地千代寿、阿閉淡路守、進
藤山城守。以上
御馬場入御先へ御小性衆、其次を信長公、黒き南蛮笠をめし、御眉をめされ、赤き色の御ほうこうをめされ、唐錦之御そばつぎ、虎皮之御行騰。蘆毛之御馬すぐれたる早馬飛鳥の如く也。関東祗侯之矢代勝介と申馬乗、是にも御馬乗りさせられ、近衛殿、伊勢兵庫頭。御一家の御衆、北畠中将信雄、織田上野守信兼、織田三七信孝、織田源五、織田七兵衛信澄。此外、歴々、美々敷御出立、思々の頭巾装束結構にて、早馬十騎・廿騎宛乗させられ、後には、爆竹に火を付け、はやし申、御馬共懸けさせられ、其後、町へ乗り出だし、御馬被納見物成群集、御結構之次第、貴賎驚耳目申也、

とあり、後の京都御馬揃えの先駆けのようなことをやっていた。

「左義長」は、

毬杖(ぎっちょう)を三つ立てたから、

という(広辞苑)、

小正月の火祭りの行事。宮中では、正月15日と18日に(御書初めの)吉書(きっしょ)を焼く儀式、清涼殿の東庭で、青竹を束ね立て、これに扇子・短冊・吉書などを添え、謡いはやしつつ焼いた、

とある(仝上)。吉書は、

年始・改元・代始・政始・任始など新規の開始の際に吉日を選んで奏聞する文書、

である(仝上)。

『徒然草』にも、

「さぎちょうは正月に打たる毬杖を真言院より神泉苑へ出して焼きあぐるなり」

とある。民間では、

「1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子、ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E7%BE%A9%E9%95%B7

兵庫県でのとんど たつの市.jpg


この起源は、

「平安時代の宮中行事に求めるもの。当時の貴族の正月遊びに『毬杖(ぎっちょう)』という杖で毬をホッケーのように打ち合うもの(『打毬』)」があり(仝上)、

打毬の楽で破損した毬杖を集めて焼いたのが三毬杖・三木張・三毬打の語源、

としhttp://www5d.biglobe.ne.jp/~him8man/S-history.html、平安時代の文書に「三毬打」または「三毬杖」としてみられるが、これは、

「3本の竹や棒を結わえて三脚に立てたことに由来するといわれている。火の上に三脚を立てそこで食物を調理したものと考えられている。」

とある(日本大百科全書)。しかし、大言海は、「三毬杖」に、

さんぎちゃう、
さんぎっちゃう、

と訓ませている。そして、「毬杖」(ぎっちゃう)で、

槌型の杖に、彩糸を絡ひたるもの。これ古へ、遊戯などなどに用ひて、木製の毬を打つとぞ、

とある。つまり、この、

毬杖を三本立てたれば、

三毬杖、

と呼んだということになる(大言海)。それが竹に代わったのである。

小正月(1月15日)に宮中で、

「山科家などから進献された葉竹を束ねたものを清涼殿東庭にたて、そのうえに扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付け、陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。『故実拾要』によれば、まず烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒2人が笹の枝に白紙を切り下げたのを持ち、立ち向かって囃をし、ついで鬼の面をかぶった童子1人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、ついで面をかぶり赤い頭をかぶった童子2人が大鼓を持って舞い、ついで金の立烏帽子に大口袴を着て小さい鞨鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。毬杖(ぎっちょう)3本を結ぶことから『三毬杖(さぎちょう)』と呼ばれた」

とある(仝上)。これも中国由来で、

正月を迎えて災いを除くため、爆竹を鳴らす風習、

が渡来したものとされる(日本大百科全書)。

左義長、

は近世以降の当て字であるが、

「仏教と道教との優劣を試みるため、仏教の書を左に、道教の書を右において焼いたところ、仏教の書が残り、左の義長ぜり(優れている)という『訳経図記』にある故事からという俗説(『徒然草寿命院抄』)がよく知られている」

によるらしい(日本語源大辞典)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:32| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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