松風


「松風」は、

しょうふう、

とも訓むが、

まつかぜ、

とも訓ませる。いずれも、

松の木に吹く風、またはその音、

つまり、

松の梢にあたって音をたてさせるように吹く風、

をいい(たべもの語源辞典)、

松籟(しょうらい)、
松韻(しょういん)、
松濤(しょうとう)、

ともいうが、「まつかぜ」と訓ませた場合、そのほか、それに準えて、

茶の湯で、釜の湯のたぎる湯相の音、

を、

まつかぜの音、

という。さらに、

小麦粉に砂糖・水飴を加えてまぜ、水で溶きのばし、鉄板で上から強く焼いて、罌粟粒を散らしつけた干菓子、

にも、

まつかぜ、

の名を付ける。また、

まつかぜ、

と訓ませ、

能の演目、世阿弥(ぜあみ)改作。「わくらはに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ侘ぶと答へよ」という在原行平の歌を主軸に、行平を恋慕する二人の海女(あま)の姉妹、松風と村雨の情熱を、夢幻能の構成で幽玄に脚色する、

の意であったりする。ここでは、干菓子の、

松風、

である。菓子の「松風」は、

味噌松風(みそまつかぜ)、

とも呼ばれ、

小麦粉・砂糖・水あめ・白みそなどを混ぜ合わせ、上になる面にけしの実やごまなどを散らし、天火などで焼いたもの。カステラのようにスポンジ状に作って切り分けるもの、せんべいのような薄い板状のものなどがある、

とある(世界の料理がわかる辞典)。

松風(丸状に焼き上げ、短冊状に切り分けた松風).jpg

(松風(丸状に焼き上げ、短冊状に切り分けた松風) http://kameyamutsu.jp/products/matukaze.htmlより)

裏には何もつけないので、「浦さびし」の意から名づけた、

という(大辞林)が、名物を名乗る店ごとに、由来が異なるが、古いのは、京都の亀谷陸奥で、

「応永二八年(1421)の開業で、織田信長が石山本願寺の地を手に入れようとして顕如上人に断られると、六万の大軍で取り囲んだ。この籠城の上人に家臣の大塚治右衛門春近が松風を献じた、十一年にわたり法城を護り、やがて信長と和した上人が京都六条の下間少進の邸に宿ったとき、邸内の古松『かたろう松』に吹きわたる松風を聞いて、『わすれては波のおとかとおもふなりまくらに近き庭の松風』と詠まれ、籠城の時に食べた菓子に松風という名をつけた」

とある(たべもの語源辞典)。同社のホームページにも、

「元亀元年(西暦1570年)に始まり、11年間続いた織田信長と石山本願寺(現在の大阪城の地) の合戦のさなか、当家三代目大塚治右衛門春近が創製した品が兵糧の代わりとなり、 信長と和睦の後に顕如上人が、
わすれては波のおとかとおもうなり まくらにちかき庭の松風
と、京都六条下間(しもつま)邸にて詠まれた歌から銘を賜り、 これが『松風』のはじまりだと伝わっています」

と載せるhttp://kameyamutsu.jp/products/matukaze.html。同社では、

「小麦粉、砂糖、麦芽飴そして白味噌を混ぜ合せて自然発酵させて出来上がった生地を 直径約45.5cmの一文字鍋に流し込み、表面にケシの実を振りかけて焼き上げて大きな丸状の 松風が出来上がります」

と紹介している(仝上)。初めは、

「名もなき菓子であったが、松風という名がつき、次第に改良されて今日の名菓になった。今の『六条松風』と同じものである」

とある(たべもの語源辞典)。亀谷陸奥には、

「石山合戦の折に兵糧として考案された『松風』は、文禄(西暦1592~1595年)の頃『六條松風」と呼ばれ、 本願寺門信徒の間で大変親しまれていました。この『六條松風』を偲び、往時の味を求め、辿り着いたのが『西六條寺内松風』です」

とあるhttp://kameyamutsu.jp/products/6jyoumatu.html

西六條寺内松風.jpg

(西六條寺内松風 http://kameyamutsu.jp/products/6jyoumatu.htmlより)


たとえば、岐阜の郷士牧野右衛門が、宝暦三年(1752)につくった「松風」は、

「稲葉山の松風から名を付けたというが、これは、在原行平の『立ち別れいなばの山の峯に生ふるまつとしきかば今かへり來む』の歌にあるいなば山は、因幡の山だが、同名の(岐阜の)いなば山ということからである」

と、あれこれ後発組は理屈をこねているが、

江戸後期の田宮仲宣の随筆「東牖子(とうゆうし)」(1803年)には、

「干菓子の松風は、初京都より制し出し、或御方へ御銘を乞奉りしに御覧有て、まつ風と号(なづけ)給ふ。其心は表に火のつよくこげあと、泡立し跡、けしをふりなどし、いろいろのあやあれど、うらはぬめりとして模様なし。うらさびしきと義によりて松風とはなづけ給へりとかや」

とある(たべもの語源辞典)。

「松風」「浦」「寂し」が縁語などとして慣用的に用いられることから、「浦」と「裏」を掛けたもの。京都で作られはじめ、表は焼き色が濃く、けしの実を振って趣があるが、裏は模様もなく「うら寂しい」ので名づけたという、

という(世界の料理がわかる辞典)のは、その故である。たべもの語源辞典は、

「松風というたべものは、表にケシの実をふるとか、にぎやかに化粧してあるが、裏には何も細工をしない。裏が淋しいを浦さびしとして、浦とは、海岸・海辺であるから、浦さびしき風情を考えると、松があってそこに風が吹いて、音を立てる。浦のさびしさは、松風によるものと思えば、松風とよんだのは天晴れである」

と評している。

「松風」という名のつくのは、

松風鶉団子、
松風鱚(キス)、
松風玉子、
松風豆腐、
松風長芋、
松風麩、
松風焼き、

等々あるが、いずれも、

「表側を飾って裏側には手を加えない淋しい感じのするもの」

である(たべもの語源辞典)。

たとえば、「松風焼き」は、

「肉のすり身やひき肉に卵などのつなぎと調味料を混ぜて型に入れ、和菓子の『松風』のように上になる面にけしの実やごまなどを散らし、天火などで焼いた料理。普通、鶏ひき肉で作り、おせちにも用いる。『松風』と略す。鶏のものは『鳥松風』ともいう」

とある(世界の料理がわかる辞典)ように、

和菓子の松風のような見た目をした料理、

である。おせち料理の一つになっているが、黒豆や紅白の蒲鉾、栗きんとんや海老等々は、それぞれに健康長寿だったり金運だったり、子だくさんだったりと縁起に良い意味が込められている、が、松風焼きは、雨や風に耐えて寿命が長いおめでたい松の木に因み、裏には何もない状態から、

裏には何もない、隠し事のない正直な生き方が出来るように、

という意味があるとされているhttps://kikuichi.hamazo.tv/e7719078.html、とか。

松風焼き.jpg

(松風焼き https://kikuichi.hamazo.tv/e7719078.htmlより)


参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

この記事へのコメント