2020年02月20日
寺納豆
「納豆」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/470884655.html)については触れたが、その由来に、
寺納豆に起り、納所の僧の豆の義かと云ふ、
という説がある。大言海自身、「いかがか」と疑問符を付けているが、「寺納豆」とは、
寺院で製造する納豆、歳暮に檀家へ贈る、
とされ(広辞苑)、この名がある、という。「納豆」という言葉は、
「平安中期の『新猿楽記』の中で『精進物、春、塩辛納豆』とあるのが初見で、この『猿楽記』がベストセラーになったことにより、納豆という記され方が広まったとされる」
が(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86)、
「納豆は精進料理として主に禅寺の納所(なっしょ、寺院の倉庫)で作られた食品で、これが名前の由来という説が『本朝食鑑』(1697年刊)という書物に載っている。納所に勤めていた僧侶が納豆作りをしていたので、納所の字をとって『納豆』になったという。ただし、『本朝食鑑』では、禅の伝来以前に『新猿楽記』に名があることから寺社起源説には疑問符をつけている」
大言海の疑問符は、この故と思われる。しかし、
「この納豆の名称は、『納所豆』が納豆になったという説がある。納所(なっしょ)というのは、寺院の給食関係までを含めた事務を執る部署で、この納所で給食用に製造した大豆加工品が、納所豆といわれ、それが納豆になったというのである」
とある(たべもの語源辞典)し、
「僧侶が寺院で出納事務を行う『納所(なっしょ)』で作られ、豆を桶 や壷に納めて貯蔵したため、こう呼ばれるようになったとする説が有力とされている。『なっ』は呉音『なふ』が転じた『なっ』で、『とう』は漢音『とう』からの和製漢語である」
ともある(語源由来辞典)。遣隋使、遣唐使また留学生、留学僧などによって中国からもたらされたもので、
「寺院や宮廷貴族の間で珍重され、当時の国分寺などでも作られたので、鎌倉・室町時代には、広く用いられ、大徳寺の大徳寺納豆や浜松の名産になっている『浜納豆』がその名残である」
とある(たべもの語源辞典)。当時の文化の最先端である寺院で主として作っていた、というのでいいのかもしれない。
ただ、「寺納豆」と呼ばれるものは、今日の「納豆」、つまり、
糸引き納豆、
とは別種で、
塩辛納豆、
浜納豆、
大徳寺納豆、
唐納豆、
等々とも呼ばれる。
大豆を蒸煮して、煎った小麦粉を加えて発酵させ、食塩水につけ、さらに香辛料を加えて長期間乾燥させた粒状の納豆。味噌に似た風味がある。
とある(精選版日本国語大辞典)。
「豆腐と同じように、中国から製法が伝わったものである。中国では、納豆を『鼓(し)』といった。これは後漢時代の文献に現れている。日本に伝わったのは古く平安時代の『和名鈔』に和名クキ(久喜)としてある。鼓をクキとよんだ。中国の鼓には、淡鼓、塩鼓がある。淡鼓が、日本の苞納豆(糸引き納豆)にあたり、塩鼓が日本の浜名納豆・寺納豆・大徳寺納豆の類である」(たべもの語源辞典)
とある(日本語源大辞典)。これは、
「茶菓子としても利休以下多くの茶人に愛され、京菓子の中には餡の中にこの納豆をしのばせたものもある」
とか(仝上)。
「糸引納豆が登場したのは中世以降のことであり、それ以前の定義で「納豆」とは、麹菌を使って発酵させた後に乾燥・熟成させたものであった。製法も風味も味噌や醤(ひしお)に近い」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86)。
ただ、この「くき」と呼ばれたものは、
「奈良時代頃に醤の一種として伝来したのではないかとされ、つまり元来の納豆は調味料の一種であった。古い史料では『久喜』(くき)の名で言及されているが、平安時代には「納豆」という名でも呼ばれるようになった。なお、『塩豉』のほかに『淡豉』という名のものがあったらしいが、これは平安時代以降姿を消している」
ため(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86)、今日「寺納豆」として残っているものは、室町時代、
「北宋や南宋に渡航した僧たちが塩辛納豆を持ち帰り、再度国内に紹介した。寺院内でも盛んに生産したことから、これらは寺納豆とも呼ばれるようになった。こうした伝統を持つものが今でも京都の大徳寺(大徳寺納豆)、天龍寺、一休寺や浜松の大福寺などで作り続けられており、名物として親しまれている。このうち浜松地方で作られる塩辛納豆は浜納豆の名称で販売されている」
とあるところ(仝上)から見ると、かつて「くき」と呼ばれていたものの流れの直系ではなく、あるいは、再度輸入されたもの、ということになる。
室町期になると納豆,唐(から)納豆と呼ばれ,のちには寺院でつくることが多かったため寺納豆ともいった、
とある(世界大百科事典)。この頃、「糸引き納豆」は、
「室町中期になると、公家の日記などに登場する(『大上臈御名之事』に『まめなっとう、いと』)、『御湯殿上日記・享禄二年一二月九日』に『いとひき』などの例があり、女房詞で『いと』『いとひき』と呼ばれていた。当時の生産地が近江であることなどを考え合わせると、近畿で創出された可能性も高い」
とあり(日本語源大辞典)、糸引納豆が広く知られるところとなり、日常食として消費されるようになるとともに、「納豆」という言葉もまず糸引納豆を意味するように変化していった。で、区別するために、「寺納豆」「唐納豆」という名が付いた、とみられる。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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