寝耳に水


「寝耳に水」は、

寝耳に水の入(い)る如し、

ともいう。

寝ている耳に水を注がれるような、思いがけない出来事、また不意の知らせを聞いて驚くたとえ、

の意である(故事ことわざの辞典)。別に、

寝耳に擂粉木、
寝耳にすっぽん、

という言い方もする(仝上)。多少の異同はあるが、

水の音が聞こえる説、
寝ている時に耳に水が入る説、

の二つがあるhttps://career-picks.com/business-yougo/nemiminimizu/。日本語源広辞典は、

睡眠中に、突然大水だという知らせに、びっくりする意、
と、
睡眠中に耳に洪水が襲ってきて、びっくりする意、

と、少しニュアンスが違い、洪水そのものを指している。語源由来辞典は、

寝耳に水の「水」は、洪水などの濁流音で、「耳」は「耳にする」など、聞こえる意味で使 われる「耳」である。 治水が完全でなかった頃は、よく川の水が氾濫した。それが寝ている時であれば、なおさら驚くことになり、「寝耳に水」となった、

とする。となると、

大水だ、

という知らせなのか、

大水の音、

なのか、

洪水そのもの、

なのかということだが、

元来は、眠っている時に耳に水音が聞こえてくることをいったが、のち、水が実際に耳に入ると解されるようになった、

とある(故事ことわざの辞典)ので、水音の方かもしれない。

眠っているうちに、大水が出てその流れの大きな音を耳にしたときのようだという意味であった。それが不意の事態にあわてふためくことに使われていくうちに、聞こえる意の「耳に入る」が、実際に耳の中に水が入ると受けとられるようになり、「寝耳にすりこ木」のような表現も現われたと考えられる。「吾吟我集」例なども耳に水が入るという理解にもとづいている、

と(精選版日本国語大辞典)、

寝耳に擂粉木、
寝耳にすっぽん、

という言い方自体が、耳に水が入る解釈から、作り出された言い回しと見ることができる。

ところで、

寝耳、

自体が、

眠っている時の耳、

を指し(広辞苑、岩波古語辞典)、

夜一夜、ののしりおこなひ明かすに、寝も入らざりつるを、後夜などはてて、すこしうちやすみたる寝耳に、その寺の仏の御経を、いとあらあらしう、たふとくうち出でよみたるにぞ、いとわざとたふとくしもあらず、修行者だちたる法師の、蓑うちしきたるなどがよむななりと、ふとうちおどろかれて、あはれにきこゆ(枕草子)

という用例もあるが、大言海は、踏み込んで、

夜眠れる間に、聲の耳に聞ゆること、夢うつつに聞くこと、

ととる。「寝耳」の用例も、ただ、

眠っている時の耳、

ではなく、

夢うつつに聞こえること、

の意と見ていい。

中納言はうちやすみたまへるネミミニ、聞きておどろきながら(宇津保物語)

と同じである。さらに、

寝耳に入(い)る、

という言い方もある。

眠っているときに耳に聞こえる、

という意であり(岩波古語辞典)、

盗人よと、言ふ声寝耳に入り(西鶴・桜陰比事)

と使われるが、この意が転じて、

思いがけず手に入る、

意となって(広辞苑)、

百銭ころりとに耳に入るぞ(浄瑠璃・椀久末松山)、

と使われたりする。

寝耳に水、

はこの延長線上の展開と考えれば、寝耳に入る、

物音、
聲、

と考えるのが順当であろう。「寝耳に水」について、

眠れる中に、洪水、俄に到れるが如き、不意なること、

とするのが、的確かもしれない。

「寝耳」は、字面からは、耳そのものが眠っていて何の音も聞いていないと解釈することもできそうだが、残念ながら耳は、目のように蓋を閉じられないので眠ることができない。したがって「寝耳」は、人が眠っているときも、声や音を聞いている耳と考えるのが妥当、

という(笑える国語辞典)のが常識的だろう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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