2020年02月29日
きんつば
「きんつば」は、
金鍔、
と当て、
鍍金(きんめっき)した鍔、
あるいは、
金で装飾した刀の鍔、
の意であるが、
近世、若衆、野郎の好んで用いたもので伊達とされた、
とある(広辞苑)。「野郎」については触れた(http://ppnetwork.seesaa.net/article/431378141.html)。その金鍔の形状に似ているから名づけられた、
きんつば焼きの略称、
で、和菓子のひとつである。どら焼(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473787627.html?1582833325)で触れたように、「きんつば」が「どら焼」の元祖であるとも言われるし、逆に、「きんつば」がどら焼きに変じた、とも言われるように、どら焼きと深くつながる和菓子である。
現在よく見られるのは、
「寒天を用いて粒餡を四角く固めたものの各面に、小麦粉を水でゆるく溶いた生地を付けながら、熱した銅板上で一面ずつ焼いてつくる『角きんつば』であるが、本来のきんつばは、小麦粉を水でこねて薄く伸ばした生地で餡を包み、その名の通り日本刀のつばのように円く平らな円型に形を整え、油を引いた平鍋で両面と側面を焼いたものである」
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8D%E3%82%93%E3%81%A4%E3%81%B0)ように、
日本刀のつばのように円く平らな円型、
である。「どら焼」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473787627.html?1582833325)で触れたように、嬉遊笑覧(1830)は、
「雍州府志ニ、焼餅ハ米ノ粉ニ煉餡ヲ包ミ、ヤキ鍋ニテ焼タル、其形ヲモテ銀鐔(ぎんつば)ト云トアリ、今ノどら焼ハ、又、金鐔ヤキトモ云フ、コレ麩ノ焼ト銀鐔トト取マゼテ作リタルモノナリ、どら焼トハ形、金鼓(こんぐ)ニ似タル故、鉦(どら)ト名ヅケシハ、形ノ大キナルヲ云ヒシガ、今ハ形、小クナリテ金鐔ト呼ナリ」
と(仝上、大言海)、
銅鑼の形に似たどら焼→小さくなって→金鐔、
と主張している(たべもの語源辞典)。しかし、「きんつば」には、元があり、
「天和・貞享年間(1681~88)にうるち米粉の皮で赤小豆の餡を包んで焼いたものが京都に現れた」
とある(たべもの語源辞典)。これが、
ぎんつば(銀鍔)、
であり、
後のきんつば(金鍔)の元祖、
とある(仝上)。「銀鍔」は、
銀でつくった刀の鍔、
である。「銀鍔焼」は、
粳米の粉を練って小豆餡を包み、油をひいた金属板の上で焼いたもの、
とある(広辞苑)。うるち米の粉というのが鍵で、後に、享保年間(1716~36)に江戸に移り、
「銀よりも金のほうが景気が良い」との理由、
から(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8D%E3%82%93%E3%81%A4%E3%81%B0)か、
あるいは、
銀貨主体の上方に対して金貨主体の江戸では銀より金ということになった、
から(http://www.seifun.or.jp/wadai/hukei/huukei-15_11.html)か、
銀鍔は周りに米の粉をまぶして焼いたので焼き色がつきにくかったことから銀鍔でしたが、江戸では小麦粉を水溶きにして、それをまぶして焼いたため、若干焦げ色がつき、金色にみえたこと、
から(https://www.wagashi.or.jp/monogatari/shiru/yurai/)か、
名前が「きんつば」に変わり、
皮が米粉から小麦粉、
に変わる(たべもの語源辞典)。
水でこねた小麦粉を薄く伸ばして小豆餡を包み、刀の鍔のように円く平たくし、油を引いた鉄板の上で焼いた、
とある(広辞苑)。文化・文政(1804~30)期が「きんつば」の全盛期で、文化年間の末、浅草馬通に「おかめのきんつば」という店から「みめより」という四角な「きんつば」を売り出し、「みめより心」という俚謡から、外見より中身の良さということで評判をとった(たべもの語源辞典)、という。吉原土手付近や日本橋魚河岸付近に屋台店が出されて人気を博したと言われているが、
日本橋魚河岸(旧地)で屋台店で金鍔焼を売っていたのが、今の榮太楼の元祖、
とある(仝上)。
銅鑼焼と金鍔焼は似ており、
どら焼が時代がたつにつれて小さくなったものがきんつば、
という説があるのは、「どら焼」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473787627.html?1582833325)で触れたように、「どら焼」は、
「寛永年間(1624~44)に江戸麹町三丁目に『助惣焼』が始まる。助惣の元祖は大木元左治兵衛といい、餅にも屋号にも『助惣』の名を付けたという。この助惣の『どら焼』は、麩の焼を丸く紙のように薄く焼き、餡を真ん中に入れ四角にたたんだものであった」
とあり(仝上)、この助惣焼が、
麩の焼、
また、
銅鑼焼、
と呼ばれたからである。「きんつば」の名は、
刀の鍔に大きさが似ていた、
からで、当初の「どら焼」と、麩と小麦粉と素材は違うが、
四角にたたむ、
のは同じである。やはり、
銅鑼焼(麩の焼)、
の小さくなったものという見方はあり得るが、「どら焼」が素材と形を変えたように、「きんつば」は、形はともかく、大きさも、素材も変わり、別のものとして登場したと見た方がよさそうである。
さすが武士の子金鍔を食いたがり(柳多留)
と江戸川柳にある(http://www.seifun.or.jp/wadai/hukei/huukei-15_11.html)、とか。
刀の鍔(つば)のように丸形に焼かれたものから、角形の六方焼ききんつばに変えたのは、本高砂屋らしく、そのホームページには、
本高砂屋が売り出すまでは、きんつばは丸形であった。そもそもは刀の鍔に似ていることから名前がついた菓子で、表面に指で押して模様をつけ、鍔に見立てたものだった。この江戸きんつばを、一度に多く焼けるように改良を加え、四角の高砂きんつばとして売り出したのが、創業者杉田太吉である、
とある(https://www.hontaka.jp/archives/story/08.html)。
なお、「きんつば」の祖型は、中国らしい。
「三輪山から発掘された唐菓子の模型に『つば』というのがあるが、これは刀の鍔である。刀の鍔の形の菓子をつくるというヒントは、唐菓子からということも考えられる」
とある(たべもの語源辞典)。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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