2020年03月05日
日本的なるもの
大岡昇平他編『日本的なるものをめぐって(全集現代文学の発見第11巻)』を読む。
現代文学の発見、
と題された全16巻の一冊としてまとめられたものだ。この全集は過去の文学作品を発掘・位置づけ直し、テーマごとに作品を配置するという意欲的なアンソロジーになっている。本書は、
日本的なるものをめぐって、
と題された巻である。収録されているのは、
谷崎潤一郎『吉野葛』
室生犀星『かげろふの日記遺文』
宇野千代『おはん』
井伏鱒二『吹越の城』
滝口修造『北斎』
飯澤匡『箒(ははき)』
花田清輝『月の道化』
秋元松代『常陸坊海尊』
保田與重郎『日本の橋』
小林秀雄『無常といふ事』
坂口安吾『日本文化私観』
中野秀人『真田幸村論』
石川淳『秋成私論』
寺田透『和泉式部論』『和泉式部日記』序
杉浦明平『戦乱時代の回想録』
廣末保『盲目の景清』
である。
「日本的なるもの」という本巻のタイトル自体があいまいなため、古典や古典論、土俗にまでが入り込んでいて、何を指して、
日本的、
としているのかが、はっきりしない。少なくとも、
日本的、
あるいは、
日本的なるもの、
を直截に論じているものは、
保田與重郎『日本の橋』
坂口安吾『日本文化私観』
石川淳『秋成私論』
しかない。しかし、
保田與重郎『日本の橋』
は、日本の橋をめぐって他国のそれとは違うことを縷々述べているにすぎず、情緒過多の文章には辟易する。
「橋も箸も梯(はしご)も、すべてはしであるが、二つのものを結びつけるはしを平面の上のゆききとし、又同時に上下のゆききとすることはさして妥協の説ではない。(中略)神代の日の我国には数多(あまた)の天の浮橋があり、人々が頻りと天上と地上を往還したといふやうな、古い時代の説が反って今の私を感興させるのである。水上は虚空と同じとのべたのも旧説である。『神代には天に昇降(のぼりくだ)る橋ここかしこにぞありけむ』と述べて、はしの語源を教へたのは他ならぬ本居宣長であつた。此岸を彼岸をつなぐ橋は、まことに水上あるものか虚空にあるものか。」
「そして日本の橋は通の延長であつた。極めて静かに心細く、道のはてに、水の上を超え、流れの上を渡るのである。ただ超えるといふことを、それのみを極めて思ひ出多くしようとした。」
「日本の文学も日本の橋も、形の可憐なすなほさの中で、どんなに豊富な心理と象徴の世界を描き出したかといふことは、もう宿命のみちのやうに、私には思はれる。それは立派な建造としての西洋や支那の橋とちがつてゐた。まづ寒暑を思ひ、その風景の中を歩いてゆく人を考へて、さういふおもひやりを描き込んだやうな日本の絵と、芸術といふ非情冷血のものにふさはしい異国の絵は異なる筈である。日本の古代の橋が百姓に閑暇な九月十月のころの傭で作られたやうなことも、異国の政治文化とひきくらべると、まことに雲泥の差があらう。あの茫漠として侘しく悲しい日本のどこにでもある橋は、やはり人の世のおもひやりと涙もろさを芸術よりさきに表現した日本の文芸芸能と同じ心の叙情であった。」
こんな、条理も合理も論理をも、情に呑み込むようなところであろう。これが、保田の考えた、
日本的なもの、
である。しかし、多く、日本的なものを辿ると、それは、ほとんど、
中国という臍の緒、
にたどり着く。四季の感覚、情緒、節句、正月という民俗、ほとんど中国に由来する。日本的情緒とされるもの自体、日本人は、漢詩から学んだ結果だ。たとえば、白居易、
慈恩の春色 今朝尽く
尽日徘徊して寺門に倚る
惆悵す春は帰りて留め得ず
紫藤花の下 漸く黄昏
『和漢朗詠集』に収められたせいもあり、春の心情に決定的な影響を与えた、という。後の、
待てといふに留まらぬものと知りながら強ひてぞ惜しき春の別れは(詠み人知らず)
君にだに尋はれてふれば藤の花たそがれ時も知らずそありける(紀貫之)
草臥て宿かる比や藤の花(芭蕉)
等々、春、黄昏、藤の花、に同じ光景を見、同じ心情を懐く。それを日本的というが、ほとんど中国の漢詩から、その叙情を学んだのである(http://ppnetwork.seesaa.net/article/406252031.html?1412021752)。
その意味で、文字をもたなかった我々祖先が、
平仮名、
と
片仮名、
を作り出した。そして、漢字を、
真名、
と呼んだ。祖先は、それから学んだ、仮の文字であることを知っていたからである。仮名は、本来、
かりな、
と訓んだのである(http://ppnetwork.seesaa.net/article/441386581.html)。仮名は、漢字を和語に合わせて、日本化した文字である。その意味で、僕は、
日本的なるもの、
を探るのは意味がない、と思っている。むしろ、「日本的なるもの」は、
日本化、
にこそ、ある。日本的な代表である、
浮世絵、
も、唐絵を意識して生まれた「大和絵」の流れをくむ。その意味で、
日本的なるもの、
を考える鍵は、
日本化、
にあると思う。
石川淳『秋成私論』
は、まさに、それを語っている。
「秋成の怪異譚というものは、中国の文学様式が日本に影響してきたそのはてに生まれた、日本の発明と考えられます。(中略)怪異譚という短編様式が日本で成立したとは言えない。……やはり短編として様式が成立したのは秋成の『雨月』に至ってそれがはっきりしたわけです。」
「秋成の文章は、たとえば…『白峯』の書き出しをとってみても、見かけに依らず、これが美文的構成になっていない。(中略)この文章は今でも生きてうごいている。これをうごかしているものは、調子だのクサリだのではなくて、まさにことばのエネルギーです。一行書くと、その一行の中に弾丸のようなものがひそんでいて、つぎの一行を発射する。そして、またつぎの一行。それからそれと、やがて月の世界までもとどくでしょう。ことばのはたらきとして、これは後世にいうところの散文の運動に近似するものです。すでに『雨月』の当時にあって、秋成の美文は散文の萌芽を内にひそめていたといっても、大していいすぎではないでしょう。」
まさに、この、
日本化の発明、
こそが、
日本的なるもの、
そのものではあるまいか。
坂口安吾『日本文化私観』
の痛快無比の論旨に賛成である。
「タウトが日本を発見し、その伝統の美を発見したことと、我々が日本の伝統を見失いながら、しかも現に日本人であることとの間には、タウトが全然思いもよらぬ距りがあった。即ち、タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失う筈はない。日本精神とは何ぞや。そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日本が生まれる筈もなく、又、日本精神というものが説明づけられる筈もない。日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ。」
と。そして、こう結論する。
「そこに真に生活する限り、猿真似を羞じることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。」
と。これこそが、
日本的なるもの、
である。
参考文献;
大岡昇平他編『日本的なるものをめぐって(全集現代文学の発見第11巻)』(學藝書林)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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