うらむ


「うらむ」は、

恨む、
怨む、
憾む、

と当て分ける。「恨」(漢音コン、呉音ゴン)は、

「会意兼形声。艮(コン)は、『目+匕(ナイフ)』からなり、ナイフを突き刺して、目の縁に入れ墨をし、いつまでも痕を残すこと。恨は、『心+音符艮』で、じっと心中に傷跡を残し、根に持つこと」

とあり(漢字源)、「恨む」といういつまでも心に根を残す意であり、「怨恨」と使うように、「怨」と類似であるが、「恨」には、

恨むらくはいまだ何人なるかを知らず(恨未知何人)、

というように、「憾む」と当てるのに似た、「残念ながら」の意でも副詞として使う。「怨」(漢音エン、呉音オン)は、

「会意兼形声。上部の字(エン)は、人が二人からだをまげて小さくまるくかがんださま。怨はそれを音符とし、心を加えた字で、心が押し曲げられてかがんだ感じ、いじめられて発散できない残念な気持ちのこと」

とある(仝上)。「うらむ」「無念さ」という意味である。「憾」(漢音カン、呉音ゴン)は、

「会意兼形声。感は『心+音符咸(カン)』の会意兼形声文字で、心に強くショックを受けること。憾は『心+音符感』で、残念な感じが強いショックとして心に残ること」

とある(仝上)。「うらむ」「しまったと強く感じる」意だが、

人猶憾む所有り(人猶有所憾)、

というように(中庸)、確かに「残念」「物足りない」の含意が強い。

「怨」、「恨」、「憾」の使い分けは、

「怨」は、恩の反なり、恙(うらむ)也、恨也と註す。叔齊不念舊悪、怨是用希、
「恨」は、わが心に残りて怨の深きなり。史記「王朔謂李廣曰、将軍自念、豈嘗有所恨乎、廣曰、羌降者八百餘人、吾詐而盡殺之、至今大恨」、
「憾」は、恨に同じくやや輕し。孟子「養生喪死、無憾、王道之始也」

とある(字源)。

さて、「うらむ」は、

「古くは上二段に活用し、江戸時代には四段活用となった。まれに上一段も」(広辞苑)
「奈良時代では上一段活用で、平安時代になってから上二段活用に転じたものであろう。なお、近世以降は四段に活用する」(岩波古語辞典)

とし、

「他からの仕打ちを不当と思いながら、その気持ちをはかりかね、また仕返しもできず、忘れずに心にかけている意」

とある(広辞苑)。岩波古語辞典は、同趣旨ながら、

「相手の仕打ちに不満を持ちながら、表立ってやり返せず、いつまでも執着して、じっとと相手の本心や出方をうかがっている意。転じて、その心を行為にあらわす意。類義語ゑんず(怨)は、不満をすぐ口に出し、行動で示す場合が多い」

とする。で、万葉集は、

逢はずとも我は恨みじこの枕我と思ひてまきてさ寝ませ、

と、

いつまでも不満に思って忘れない、
相手の気持ちを不満に思いながら忍ぶ、

という意味で使われることが多い。平安期になると、

褻(な)るる身をうらむるよりは松島のあまの衣にたちやかへまし(源氏)、

と上二段に変ずるが、 意味はそんなに変わらないが、同じ、

「小君をお前にふせて、よろづにうらみ、かつは語らひ給ふ」(源氏)、

だと、恨み言を言う意味になる。それが、

「入道相国朝家をうらみ奉るべき事必定と聞こえしかば」(平家)、

となると、

無念を晴らす、
仕返しをする、

意となる。残念の意は、「憾む」と書き分けるのが、今は当たり前だが、

憾むらくは、
恨むらくは、

と当てているので、必ずしも、「怨」、「恨」、「憾」を使い分けていたわけではなさそうである。

「うらむ」の語源は、

心(うら)見るの転、

とする(大言海・岩波古語辞典)。

「ウラミのミは、miであった。従って、ウラミの語源はウラ(心の中)ミル(見る)と思われる」

とする(岩波古語辞典)。

「うらなう」http://ppnetwork.seesaa.net/article/452962348.htmlで触れたように、「うら(占)」は、

「事の心(うら)の意」

とする(大言海)。「心(うら)」は、

「裏の義。外面にあらはれず、至り深き所、下心、心裏、心中の意」

とある。「うら」は、

裏、
心、

と当て、

「平安時代までは『うへ(表面)』の対。院政期以後、次第に『おもて』の対。表に伴って当然存在する見えない部分」

すある(岩波古語辞典)。

したがって、「かお」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450292583.htmlの項でも触れたように、「うら(心・裏・裡)」は、

「顔のオモテに対して、ウラは、中身つまり心を示します」

とし、

「ウラサビシ、ウラメシ、ウラガナシ、ウラブレル等の語をつくります。ウチウラという語もあります。後、表面や前面と反する面を、ウラ(裏面)ということが多くなった語です」

としている(日本語源広辞典)。「うらむ」は、

相手の心のうちをはかりかね、心の中で悶々とする、

というか原意であったと考えられる。なお、

「うら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463821593.html
「こころ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/454373563.html

については、触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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