2020年03月17日

あたら


「あたら」は、

可惜、
惜、

と当てる。「可惜」は当て字のように思えるが、

アタラ(可惜)シの語幹。感動詞的に独立して、また連体詞的に名詞に冠してもちいる、

とあり(ただ、連体詞的な使い方は平安時代に入ってから使われたようだ)、

惜しくも、
もったいないことに、
惜しむべき、

の意であり(広辞苑)、

立派なものが、その価値相当に扱われないことを惜しむ意、

とある(岩波古語辞典)。「あたら」が促音化して、

あったら、

とも使い、

可惜口(あったら)、

という言い回しがあり、

口に風を入れたるばかりの結果となれること、

の意(大言海)で、

可惜口に風ひかす、

とも言い、

せっかく言い出したのに効果がない、
言いたる言が徒事(あだこと)となる、

意で、転じて、

無駄口をたたく、

の意となる(広辞苑)。

可惜(あたら)物、

という言い回しもあり、

せっかくのものを、
もったいないものだ、

という意味になる(広辞苑)。

「あたら」は、

玉匣(くしげ)明けまくも惜しアタラ夜を衣手(ころもで)離(か)れて独りかも寝む、

と、古く万葉集にも使われる。「あたら」の語源は、

あたらし(可惜)の語幹(広辞苑・岩波古語辞典・大言海)、

とする以外に、

「当たら」の意で、そのものに相当する、値する、の意から転じて、立派な、すぐれた、の意味を持つ語。さりらに、その価値相当に扱われていないとするところから、惜しくも、残念なことにの意で用いられるようになった(角川古語辞典)、

等々があるが、日本語源大辞典は、

「あたら」と「あたらし」の先後関係は不明だが、語源説としては、(「当たら」が)有力視されている、

としている。

その「あたらし」は、

惜し、

と当て、大言海は、

アタは、傷(イタ)と通づるか(諫む、あさむ)、

とするが、岩波古語辞典は、

アタリ(当)と同根。アタリ(当)・アタラシの関係は、ユク(行)・ユカシ(奥に行きたい、奥ゆかしい)と同じ。対象を傍から見て、立派だ、すばらしいと思い、それがその立派さに相当する状態にあればよいのにと思う気持ちを言う。平安時代以後アタラシ(新)と混同が起こり、アタラシは亡びて、アタラシが新の意をもっぱら表すようになった。類義語ヲシ(惜)は自分の手の中にあるものの失われるのを哀惜する意、

とし、

新の意になると、アタラシのアクセントばアタラシ(新)と同じ平平平平となり、可惜の意のアタラの上上上とは異なっている、

とする(岩波古語辞典)。同趣旨は、他にも、

「田の畔を放ち、溝を埋むるは、地をあたらしとこそ、我がなせの命、かくしつらめ」(古事記)はスサノオの乱暴を、姉君のアマテラスオオミカミが擁護して言う場面で、「田の畔を放ったり、溝を埋めたりするのは、土地がもったいないというので、弟はこんなことをしたのでしょう」と言う意味である。「あたらし」の語源は「あたる」という動詞だろうと阪倉篤義氏(日本語の語源)は推測する。「いたむ~いたまし」、「つつむ~つつまし」と同じ機制から生じたというわけである。「あたる」とは、「的が当たる」というように、的中するとか、適合するとか、合致するとかいう事態を指して言う言葉である。それ故、「あたらし」には、適合すべきだという意味が基層としてあり、そこから、適合すべきなのにそうでないのは残念だ、惜しいことだとする意味合いが生じた、

とあるhttp://blog2.hix05.com/2012/10/post-64.html

この「あたらし」の、

可惜(あたら)し→新(あたら)し、

という意味の転について、大言海は、

日本釈名(元禄)「惜(あたら)しは、惜しむ也、古き物は、惜しむに足らず、新しき物は惜しむべし、少年の光陰惜しむべきが如し」(節文、朗詠集「踏花同惜少年春」)。惜(あたら)しが、新しに通づるは、可愛(うつく)しく思ふより、美麗(うつく)しに転じ、親愛(うるは)しに転ずるなど同齢り。この語奈良朝以前は、アラタシにて、アタラシは、平安朝以後なりとする説あれど(アラタシといふ語。多くは見当たらず)、同時に両立してありしなり、ウツクシ、うるはし、是なり、

と説く。しかし、「あらたし」は、

あらた(新)の形容詞形、

つまり、

あらたを活用、

したもので、

平安時代以後、アタラシ(可惜)と混同を起こしたらしく、アタラシという形に変わった。ただし、可惜の意のアタラシと新の意のアタラシとのアクセントば別で、アタラシ(新)の第一アクセントは、アラタ(新)の第一アクセントと一致していた、

とある(岩波古語辞典)。つまり、口語では、

あたらし(可惜)、

あたらし(新)、

とは区別されていたが、書き言葉の中では区別がつかなくなっていった、ということなのだろうか。日本語源大辞典は、

アラタシからアタラシへの変化は、音韻転倒の典型的な例として引かれることが多いが、変化の説明はなお考慮すべき点がある。まず、アクセントのうえでは区別できるものの、「惜しい」の意の形容詞「アタラシ」と同形となり、一種の同音衝突となる点をどのように考えるかが問題となる。さらに、同根の類語アラタナリ・アラタムとの類似が薄まるために起こりにくくなるはずの変化が、どうして起こり得たかを明確にする必要がある、

と、述べている。確かに、

あらた(新)なり、
あら(新)た、

はそのまま生きているのである。

ところで、「あたらし」(可惜)の語源は、「あたら」(可惜)と同様、先後関係があいまいなので、

あたら(可惜)の形容詞化(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、

もあるが、

「当たる」から派生した語で、物や人が、その立派さに相当するようにしたいの意(万葉集=日本古典文学大系)、

という説もあり得るだろう。

因みに、

可惜身命(あたらしんみょう)、

という言い回しがある。

不惜身命、

の対義語。不惜身命から派生して生まれた言葉とされている。

不惜身命、

は、

仏法のためには身命をも惜しまざるべし、

という意であるが、

可惜身命、

は、

身体や生命を大切にする、

という意である。『法華経』の「不惜身命」を借りて、「可惜」の、

今のままでは惜しい、または大切なものや良いものが相応しい扱いをされていないことを惜しむ、

意を使っての造語である。

仏法のために身命を賭す、

という意の不惜身命とは真逆である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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