「和三盆」は、
唐三盆、
に対して言う。
三盆、
は、
粒子の細かい上等の砂糖、
を言い、
黒砂糖をまろやかにしたような独特の風味を持ち、淡い黄色をしており、細やかな粒子と口溶けの良さが特徴、
であり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E4%B8%89%E7%9B%86)、その特徴は、いまの機械式製糖に比して、
ほんのちょっとだけ蜜が残っている。また脱塩処理を挟んでいないこともあってカリウム等ミネラル成分を多く含んでいる。このことからグラニュー糖や上白糖には無い「風味」が特徴。見た目はほんのり色が付いているが、カソナード(粗糖)のようなはっきりした茶色ではなく、クリーム色の淡い色合いである(精白度でいえば「グラニュー糖>和三盆>粗糖」という形になる)、
とある(https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%92%8C%E4%B8%89%E7%9B%86)。
「三盆」は、はじめ中国から輸入していたのを、享保(1716~36)頃から日本で製したので、唐三盆に対して、
和三盆、
という(広辞苑)。「三盆」は、
三盆白、
三盆糖、
とも言い、
上白糖(じょうはくとう)、
をいうこともあるように、
伝統的製法により特別に精製を繰り返した上等な砂糖、
である。
和製の三盆白、
とある(大言海)。「三盆」は、
しろした(白下)を圧して、滓を滴らせ、手にて練り、貯へてなる、
とあり、重修本草綱目啓蒙(享和廿二年)には、
舶来白沙糖の上品を、三盆白と云ふ、
とある(仝上)。
糖霜、
ともいう、とある(仝上)。ちなみに「白下」とは、
白砂糖の下地の意、
で、
甘藷の……茎を…搾りて、蠣灰(カキバイ 牡蠣の殻を焼いてつくった石灰)を加へて煎煉す、其液(シル)を白下糖と云ふ(此儘にても用をなす)、これを壓し搾り、精を取りて、再び製煉して、固まらす、色、赭黄(黄色がかった 褐色)なり、
とある(大言海)。
当時、日本では薩摩の黒糖しかなく、徳川吉宗が享保の改革において全国にサトウキビの栽培を奨励し、高松藩が これに呼応、その後、阿波の国(徳島)でも栽培されるようになりました。 これが日本の砂糖「和三盆」栽培のはじまりと言われています、
とあり(https://www.otoemon.com/select-ingredients/sugar-wasanbon-01/)、現在和三盆糖が作られているのは、徳島県、香川県のみである。原材料の竹糖が栽培されているのが、徳島県と香川県の県境にある阿讃山脈の南側と北側にあたるため、とある(仝上)。ただ、尾張名所圖會(天保)の知多郡には、
三盆砂糖、享保の末、原田某、造り始めし由、
とあるので、各地で試みられていたものとみられる。現に、
白砂糖の製造に成功した時期でいえば阿波讃岐はそこまで早いほうではなく、すでに1750年代には尾張国(愛知県知多半島)や長門国(山口県下関)などで覆土法による製糖が行われていた記録がある、
とある(https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%92%8C%E4%B8%89%E7%9B%86)。積極的に砂糖製造を推進した幕府は、寛政9年に『砂糖製作記』本まで出したが、その中で、幕府が推進していた砂糖製造法は、
植木鉢のように底に穴が開けられた容器「瓦漏とうろ」の中に、まずその穴を塞いだ上でさとうきびジュースを煮詰めた濃縮糖液を入れて結晶化を待ち、その後穴の塞ぎを取り除き、非結晶分である黒い蜜(モラセス)を重力によって下に落とすという第一の分蜜法を採るものであった、
とあり、その後に、
「瓦漏」の中で半固化している砂糖の塊の上部に、水分を含んだ土を乗せて第二の分蜜を施す、
ことを行うが、これを、
覆土法、
といった(https://www.alic.go.jp/joho-s/joho07_000650.html)、とある。最近の知見で、覆土の効果には、
土に含まれる水分の滴下によって、結晶の周りに存在している黒い蜜を洗い流す他に、覆土が乾いた時に、毛管現象によって覆土側に蜜が上昇して分蜜もされるという、
ことが確認されている(仝上)、らしい。
(和三盆糖の研ぎの風景。和三盆の名の由来通り、盆の上で何度も研いで蜜をもみだす http://nipponsyokuiku.net/syokuzai/data/097.htmlより)
因みに、「竹糖」とは、砂糖黍のことであるが、
温帯での生育に適した竹糖は、イネ科「シネンセ種(S.sinense)」に属し、熱帯地方で一般的に栽培されるサトウキビのオフィシナルム種(S.officinarum)とは異なる栽培種である、
とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E4%B8%89%E7%9B%86)、
収穫期で背丈は2mほどと低く、太さも大人の人差し指ほどしか無く、他地方で一般的に作られている砂糖黍とかなり外観が異なっています。通常の砂糖黍より細いので、地元では「細黍」と呼ばれています、
とある(http://www.wasanbon.co.jp/wasanbon/chikutou.html)。この移植は、
宝暦年間に高松五代藩主松平頼恭(よりたか)公の命により、医者”池田玄丈”が砂糖作りの研究を始め、弟子の医者”向山周慶”が後を継ぎ、砂糖キビの栽培及び製糖法の研究を進めておりました。しかし、なかなか成果が上がらず苦労していました。ある日、四国遍路の途中病にかかり行き倒れになっている人を見つけ家に連れて帰り、”向山周慶”が治療をして助けました。この人は薩摩の奄美大島の人で、”関良介”と云い、砂糖作りをしたことがあるというので、”向山周慶”は是非砂糖作りを手伝って欲しいと頼みました。そして、助けられた恩に報いるために、”関良介”は命の恩人の頼みを聞き入れ、藩外へ持ち出し禁止のサトウキビを讃岐地方で育て、まず黒糖を作ることに成功しました、
とある(http://www.baikodo.com/wasanbou/history/index.html)が、これは伝説で、上述のように、
徳川吉宗が享保の改革において全国にサトウキビの栽培を奨励すると、高松藩が特産物創生と財源確保を目的としてこれに呼応した。その後、徳島藩でもサトウキビが育てられるようになり、領内各地で栽培できるまでなった、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E4%B8%89%E7%9B%86)、例のサツマイモが、吉宗によって、
飢饉の際の救荒作物として西日本では知られていた甘藷(現在のサツマイモ)の栽培を(青木)昆陽に命じ、小石川薬園(小石川植物園)と下総国千葉郡馬加村(現在の千葉市花見川区幕張)と上総国山辺郡不動堂村(現在の千葉県山武郡九十九里町)とで試作させている。この結果、享保の大飢饉以降、関東地方や離島においてサツマイモの栽培が普及し、天明の大飢饉では多くの人々の命を救ったと評される、
という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%98%86%E9%99%BD)のと同一の幕府の政策であったようだ。
さて、「和三盆」の由来であるが、大言海は、
始めて齎せる支那人の官の、三品なるより呼べりと云ふ、
とする(俚言集覧・上方語源辞典=前田勇)。他に、
中国で、もと土製の鉢を盆といった。砂糖を精白するとき、この盆を三つ使ったか、または三度作業を繰り返すかしたところからか。「礼記」に、蚕糸を紡ぐ際に諸侯の夫人が儀式的に三度手を盆にすることをいう「三盆手」という言葉があるが、これと関係あるか(国語學叢録=新村出)、
という説がある。しかし、今日「和三盆」を製造している各社のホームページには、
三盆の語源は諸説あり、正確な由来は定かではないのですが、よく知られた説では、当初の製法が「お盆の上で三日間研いでいた」「お盆の上で三回研いでいた」などに由来すると言われております、
とか(https://www.otoemon.com/select-ingredients/sugar-wasanbon-01/)、
元々は「三盆糖」と呼ばれていました。この「三盆」の由来は各説あってはっきりしません。三盆糖の出荷港が香川の三本松であったからと言う説や、扱う中国の役人が三品の位であったからとかの説もあります。
しかし中でも一番もっともらしいのが、「盆の上で三回研ぐ」と言う理由によるものでしょう。精製の技法が広まり三盆糖としての製造が始まったおり、最初は専用の研ぎ台は無く、手元にあった盆の上で研いだと言います。また白い砂糖の無かった当時、三回ほど研いだら概ね精製された砂糖として目され出荷した様です、
とか(http://wasanbon.co.jp/origin/index.html)、
研糟 (盆)の上で三度研ぐためと云われています、
とか(http://www.baikodo.com/wasanbou/history/index.html)、
概ね、
盆の上で砂糖を三度「研ぐ」という日本で工夫された独自の精糖工程から来たもの、
と(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E4%B8%89%E7%9B%86)、製造過程の特徴からきているとしている。それは、
(さとうきびの)搾り汁を煮詰めて濃縮し、褐色で半流動体状の「白下糖(しろしたとう)」を作る。この白下糖を布袋に入れ、圧搾して糖みつを絞り出し、袋に残った白下糖に水を加えて練る「研(と)ぎ」という作業を行う。再び布袋に入れて圧搾、研ぎという工程を数度繰り返し、最後に1週間ほど乾燥する、
という(日本の郷土料理がわかる辞典)プロセスであるが、具体的には、たとえば、
讃岐・ばいこう堂(http://www.baikodo.com/wasanbou/process/index.html)、
阿波・岡田製糖所(http://wasanbon.co.jp/method/index.html)、
等々をみるとわかる。必ずしも、「三度」ではないので、少し疑念はあるが、
「三盆手」という言葉かある、
という新村説は気になるものの、一応、現在の定説になっている、
三度「研ぐ」、
という製造プロセス由来に与しておく。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95