2020年03月26日

落首


「落首」は、

らくしゅ、

と訓むが、

おちくび、

とも訓ますらしい(デジタル大辞泉)。「落書」http://ppnetwork.seesaa.net/article/437464845.htmlで触れた、

落書(らくしょ)、

の一種で、

一首、

の意で、

諷刺、嘲弄、批判の意をこめたむ匿名の戯歌、政道批判の手段としてしばしば行われた、

とある(広辞苑)。たとえば、

花よりも団子の京とぞなりにける 今日もいしいし明日もいしいし(醒睡笑)、

は、永禄十二(1569)年二月、織田信長は将軍となった足利義昭の新御所(室町邸)の築造を開始、京都の町衆をその石垣普請に徴発し、巨石の藤戸石を義昭邸に数日間かけて運ばせた。これはその際、毎日石を引きずって運ぶ音がうるさかったことから、あるいたずら者が書いた落首という。「いしいし」とは女房言葉で「団子」を意味する、

とあるhttp://www.m-network.com/sengoku/uta/uta01.html。江戸時代なら、これは狂歌だが、

白河の清きに魚の住みかねて もとの濁りの田沼戀しき、

がある。白河とは寛政の改革を主導した松平定信を指し、田沼意次の時代を懐かしんでいる。

「落首」は、

ラクショ(落書)の訛か、
落書の一首の意、

の二説がある(大言海)が、「落書」という言葉があり、あえて、

落首、

という以上、

詩歌の形式によるものは,とくに〈落首(らくしゆ)〉といいならわしてきている、

ともある(世界大百科事典)ので、

ラク(落書)+シュ(短歌)、

と見ていいのではないかと思う。「落書」は、

落文(おとしぶみ)、

とも言い、というより、

「おとしぶみ」の漢字表記「落書」を音読したもの、

であり(精選版日本国語大辞典)、「おとしぶみ」は、

現(あらは)に言い難き事を、誰が仕業としられぬやふに、文書にして、路などに遺(のこ)しおく、

とある(大言海)ので、「落書」は文章、「落首」は詩歌、と言えそうだが、「落書」自体に、

時事や人事などを批評・諷刺あるいは告発する匿名の詩歌や文書、

とある(岩波古語辞典)ので、「落首」は、「落書」の範疇に入るのだろう。

「落首」は、

平安時代から江戸時代にかけて流行した表現手法の一つである、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E9%A6%96

公共の場所、特に人の集まりやすい辻や河原などに立て札を立て、主に世相を風刺した狂歌を匿名で公開する。封建制度においては言論の自由というものは存在せず、政治や君主に対する批判は極めて危険性の高い行為だったが、匿名での公開によって、読み書きができる者なら誰でも自由に言論活動を展開することができた、

とある(仝上)。

歌川国芳の『荷宝蔵壁のむだ書き(にたからぐら かべのむだがき)』.jpg

(歌川国芳の『荷宝蔵壁のむだ書き(にたからぐら かべのむだがき)』 https://usakameart.syuzyu.com/entry/2019/09/23/184517より)


「落書」は、

らくしょ、

と訓むが、

らくがき、

と訓むと、

楽書、

とも当てる、

壁・塀などにするいたずら書き、

の意に取ることが多い。

落書(らくしょ)を文字読して、意を轉ず、

とある(大言海)ように、「落書(らくしょ)」とは異なり、

嘲弄、罵詈の語、又は畫などを書き散らす、

意が強い。「落書」は、歴史的には以下のように二つの意味をもつ、とある(日本大百科全書)。ひとつは、

養老律(ようろうりつ)の編目の一つである「闘訟律(とうしょうりつ)」に「匿名の書を投げて罪人を告発する者は徒(ず)二年」とあるように、落書は本来犯罪人を告発する投書をさすものであった。平安から室町時代にかけての寺社では、犯罪者を決める無記名投票が制度化しており、とくにそのなかで起請(きしょう)の形式をとったものを落書起請といった、

とあり、いまひとつは、

時局の風刺や権力者を批判、嘲笑(ちょうしょう)した匿名の文章や詩歌。……衆人の注目しやすい場所での貼(は)り紙、捨て文、投書によって、間接的に人々に噂(うわさ)を流布させることをねらったもので、政治の動揺期に数多くみられ、公然と政治を批判することのできない民衆の憤りの発露としてつくられた、

ものを指す(仝上)。この嚆矢は、

平安時代の初期には既に貴族階級の間で既に広まっており、確執のある官僚同士の昇任や栄転をめぐる政争道具として用いられていた。9世紀ごろの嵯峨天皇の時代の落書「無悪善」は小野篁が「悪(さが=嵯峨天皇)無くば善(よ=世)かなりまし」と解読したことで世間一般に知られる事となった、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E6%9B%B8、これを、

匿名の投書で他人の罪状を告発するシステムとしても機能、

させ、

中世以降の荘園支配・管理に積極的に落書が活用されるようになり、領内犯罪者の摘発に大きな効果をあげた。鎌倉時代に入るとこのシステムは次第に制度化され、虚偽の無いことを神仏に誓わせる「落書起請」とあわせて強制的に実施されるようになった、

ものらしい(仝上)。

1310年、法隆寺で盗難事件が発生した際には、付近の17もの村を対象に落書を実施。その結果、600余通もの落書が集まり、最終的に2名の僧侶が盗人と決定した。いわば犯人を決める住民投票である。寺側は、この落書を非難し、2人の僧に犯人を捜させた結果、後に真犯人を捕まえた、

とある(仝上)。

「落書」で有名なのは、建武の新政当時の混沌とした世相を風刺した、「二条河原(にじょうがわら)の落書」で、

此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀(にせ)綸旨
召人 早馬 虚騒動(そらさわぎ)
生頸 還俗 自由(まま)出家
俄大名 迷者
安堵 恩賞 虚軍(そらいくさ)
本領ハナルヽ訴訟人 文書入タル細葛(ほそつづら)
追従(ついしょう) 讒人(ざんにん) 禅律僧 下克上スル成出者(なりづもの)

とはじまり、88節にわたる長文である。歴史の教科書にも載るが、専門家の間でも、

最高傑作と評価される落書の一つ、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E3%81%AE%E8%90%BD%E6%9B%B8らしい。

今日でいうと、「落書き」とされるのかもしれないが、正体不明の覆面アーティスト、バクシーであろうか。

バクシー.jpg

(バクシー https://media.thisisgallery.com/20188939より)


彼が残す作品には、反資本主義・反権力など社会風刺的なメッセージや強い願いが込められ、見る人々を魅了すると同時に、私たちの生活に警鐘を鳴らしいています、

とあるhttps://media.thisisgallery.com/20188939。「落書」の系譜である。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:落首 落書
posted by Toshi at 04:21| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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