七草粥


「七草粥」は、

七種粥、

とも当てる。正月七日に、春の七草を入れて炊いた粥の意だが、

菜粥、

ともいう。岩波古語辞典には、

七種の節句(七日の節句)の日に邪気を払い万病を除くために、羹として食した、

とあり、大言海にも、

羹として食ふ、万病を除くと云ふ。後世七日の朝に(六日の夜)タウトタウトノトリと云ふ語を唱へ言(ごと)して,此七草を打ちはやし、粥に炊きて食ひ、七種粥と云ふ、

とあるので、当初は、粥ではなく、

羹(あつもの)、

であったらしい。「羊羹」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472187601.htmlで触れたように、「羹」は、

「古くから使われている熱い汁物という意味の言葉で、のちに精進料理が発展して『植物性』の材料を使った汁物をさすようになりました。また、植物に対して『動物性』の熱い汁物を『臛(かく)』といい、2つに分けて用いました。」

とあるhttps://nimono.oisiiryouri.com/atsumono-gogen-yurai/。「あつもの」で引くと、

臛(カク 肉のあつもの)、
懏(セン 臛の少ないもの)、

と載る(字源)。当初は、粥ではなく、汁物にして食していたことになる。

「七草粥」は、もうひとつ、

正月15日に、米・粟・稗・黍・小豆など、7種りのものを入れて炊いた粥、

の意もあり(広辞苑)、後に、

小豆粥、

になったとある。大言海には、

古へ、正月十五日に、米、大豆、赤小豆、粟など七種の穀菜を雑へ煮て、七種(シチシュ)の粥と云へり、是も、今は変じて、小豆粥となる、

とあり、たべもの語源辞典にも、

七種粥、

には、

正月七日の七種の菜を入れた汁粥、

正月十五日の七種のものを入れて炊いて固粥、

とがあり、

米・粟・黍子・稗子・篁子(ミノ かずのこぐさの異名)・胡麻子・小豆・大角豆(ささげ)・薯蕷(じょうよ とろろ)その他これに類したもの七種を入れたが、後には、小豆粥になった、

とある。「汁粥」「固粥」については、「粥」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474375881.html?1585854393で触れたように、固粥は、今日の飯の意である。「小豆粥」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473475996.htmlについても触れた。

中国には、六世紀初めの荊楚歳時記に、

正月七日を人日となす。七種の菜をもって羹をつくる、

とあり、中国の「七種菜羹」が日本に伝来したものとみられる。「人日」とは、

人を占う日、

で(語源由来辞典)、七種の菜を温かい汁物にして食し邪気を避ける習慣があった、

とある(仝上)。それが伝わり、

わが国でも、少なくとも平安時代初期には、無病長寿を願って若菜をとって食べることが、貴族や女房たちの間で行われていた。ただ、七草粥にするようになったのは、室町時代以降だといわれる、

とある(日本大百科全書)。偽書とされる「四季物語」には、

「七種のみくさ集むること人日菜羹を和すれば一歳の病患を逃るると申ためし古き文に侍るとかや」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E8%8D%89。なお、平安時代の後期の文献に、

「君がため 夜越しにつめる 七草の なづなの花を 見てしのびませ」の歌があるとされるので、七草を摘むという風習は平安時代には既にあったと考えられます、

とあるhttp://www.geocities.jp/tama9midorijii/ptop/kogop/kohakobe.html

七草については、

せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ

と決め、

七種の若菜を初めて禁裏に参らせたのは寛平年中(889~98)である(七草粥の起こりを宇多天皇寛平戌と死正月七日とする)、

とし(たべもの語源辞典)。

七種を羹として食べたが、まず産土神や祖霊に供えた、

とある(仝上)。なお、七日は、

五節句の一つ、

であるが、五節句は、1年に5回ある季節の節目の日(節日)で、1月7日(人日)、3月3日(上巳 じょうし)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)を指す。

七草粥.jpg



この羹が後に、粥になるが、七種粥は、

足利氏の家風に始まるとの説、

足利時代から粥になったとする説、

があるが、いずれにしても、粥になったのは、室町以降である。

「すずしろ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465194822.htmlで触れたように、

『延喜式』には餅がゆ(望がゆ)という名称で「七種粥」が登場し、かゆに入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物で、これとは別に一般官人には、米に小豆を入れただけの「御粥」が振舞われていた。この餅がゆは毎年1月15日に行われ、これを食すれば邪気を払えると考えられていた。なお、餅がゆの由来については不明な点が多いが、『小野宮年中行事』には弘仁主水式に既に記載されていたと記され、宇多天皇は自らが寛平年間に民間の風習を取り入れて宮中に導入したと記している(『宇多天皇宸記』寛平2年2月30日条)。この風習は『土佐日記』・『枕草子』にも登場する。
その後、旧暦の正月(現在の1月~2月初旬ころ)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また地方によっても異なっていた、

という記述https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E8%8D%89をみると、15日の「もち粥」が、7日の「七草粥」に転じたように見えるが、この両者の関係ははっきりしない。

「七草」は、今日、

芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・繁縷(はこべら)・仏の座(ほとけのざ 田平子)・菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)、

とされているが、

現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう)』(四辻善成による『源氏物語』の注釈書)の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる(ただし、歌の作者は不詳とされている)。これらは水田雑草ないし畑に出現するものばかりであり、今日における七種類の定義は日本の米作文化が遠因となっている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E8%8D%89

後には、この七種をそろえることが難しい場合、

なずな、をのみ用い、又、後には、アブラナの葉を用いる、

とあり(大言海)、手に入る物をいくつか、白粥・雑炊に入れることが行われた(たべもの語源辞典)、とある。

七草の薬効については、

芹(せり) 香りがよく、食欲が増進、
御形(ごぎょう) 草餅の元祖。風邪予防や解熱に効果がある、
薺(なずな) 冬の貴重な野菜で、若苗を食用にする、
繁縷(はこべら) 目によいビタミンAが豊富で、腹痛の薬にもなった、
仏の座(ほとけのざ) タンポポに似ていて、食物繊維が豊富、
菘(すずな) ビタミンが豊富/、
蘿蔔(すずしろ) 消化を助け、風邪の予防にもなる、

とあるhttps://allabout.co.jp/gm/gc/220737/。七草のうち、

「すずしろ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465194822.html
「すずな」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465179244.html
「ほとけのざ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464898986.html
「なずな」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464883576.html
「はこべ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464851193.html

については、既に触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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