2020年04月07日
セリ
四辻善成が、「源氏物語」の注釈書「河海抄(かかいしょう)」の中で、平安時代の「若菜まいる」の中で、
薺(なずな)、繁縷(はこへら)、芹(せり)、菁(すずな)、御形(ごぎょう)、須々代(すずしろ)、佛座(ほとけのざ)、
の七種の野菜・野草を挙げたのが、七種の嚆矢とされている(http://chusan.info/kobore3/46nanakusa.htm)。その一つである。
春の七草については、「七草粥」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474392568.html?1585940926)で触れたし、
「ごぎょう」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474409213.html?1586027625)、
「すずしろ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/465194822.html)、
「すずな」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/465179244.html)、
「ほとけのざ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464898986.html)、
「なずな」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464883576.html)、
「はこべ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464851193.html)、
でも触れた。
「セリ」は、異名、
根白草、
つみまし草、
シリバ、
エグ、
エグナ、
カワナグサ、
とある(たべもの語源辞典)。「セリ」に、
芹、
芹子、
水芹、
と当てる(広辞苑)。
水中に生じるものを水芹、川にある物を川芹、田に植えるものを田芹、根の賞すべきを根芹、陸に生ずるものを畠芹または野芹、水田にある茎葉ともに赤みを帯びたものを赤芹と称し、茎の白いものを白芹という。赤芹(田芹)が香りもよい、
とある(たべもの語源辞典、大言海)。「セリ」の漢名は、
水芹、
水斳、
苦斳、
水芹菜、
水菜、
水英、
芹菜、
紫芹、
楚葵(ソキ)、
とある(仝上)。
中国薬物名としては6 -7月ころに刈り取って乾燥した全草を水芹(すいきん)と称している、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AA)。
セリ特有の香り成分は、
フタル酸ジエチルエステルなどの精油成分で、根の香りはポリアセチレン化合物に由来する[8]。これらの香り成分は、口内の味覚神経を刺激して、胃液の分泌を促すとともに、人間の体温を上げて発汗作用を促す効果があり、風邪による冷えなどに有効とされる。また、栄養成分にβ-カロテン、ビタミンB1・B2・C、カルシウム、鉄分、クエルセチンなどの栄養素を主に含み、胃や肝機能を整えたり、利尿効果を高めて[8]、血液中の老廃物やコレステロールを排出して浄化する効果が高い食材といわれる、
とある(仝上)。「セリ」は、古く出雲風土記に、
稲河(とうが)に芹出づ、
と載るし、万葉集にも
大夫(ますらを)と思へるものを大刀佩きてかにはの田居に芹子(せり)そ摘みける(薜妙観命婦)
等々セリ(芹子/世理)摘みの歌がいくつか知られているし、「セリ」の異名から見ると、
君がため山田の沢に恵具(えぐ)摘むと雪消(ゆきげ)の水に 裳(も)の裾(すそ)濡れぬ(作者未詳)
の「えぐ」もセリとみなし得る、される(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AA)。
さて、「セリ」の語源は、
一所にセリ(競)あって生えるところからか(古今要覧稿・和訓栞・大言海・たべもの語源抄=坂部甲次郎・日本語源広辞典)、
一所にセマリ(迫)あって生えるところから、マが略されてセリとなった(日本釈名・滑稽雑談・名言通・日本語源=賀茂百樹)、
が多数派であるが、
競り合うように生えている植物は多く、セリよりも密集して生える植物も多い、
という(語源由来辞典)ように、少し疑問が残る。しかし、
シゲレリの反(名語記)、
シゲリ(茂)の義(言元梯)、
と、その生え方に由来するとする説は多い。他は、
セセラギヰ(浅流藺)の義(日本語原学=林甕臣)、
煮て食べるとセリセリと音がするところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
河の瀬にあるところから(和句解)、
アイヌ語のseriは日本語からの借用語と考えられているが、またはアイヌ語が日本語に入ったものか(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、
等々、決め手はない。たべもの語源辞典は、セリ(競)説、セマリ(迫)説、セリセリ擬音説、河の瀬説を一蹴し、
結局、ひとつ所に迫(せ)りあって生えるところからセリの名はできたものと考えられる、
と微調整した説を採っている。「せる(迫)」は、
セメ(迫・攻・責)と同根、
で、
間隔を詰める、
意ではある(岩波古語辞典)が、「競う」意ではなく、
一所にセマリ(迫)あって生える、
と同じ説ということになる。落ち着けどころかもしれない。
ところで、今は使われないが、
芹を摘む、
という言い回しは、
願いが叶わない怨みにいうことがある、
とある(岩波古語辞典)。それは、
宮中の庭掃除男が、セリを食べている后を垣間見て恋心を起こし、后のためにセリを摘んで御簾のあたりへ置いたのに、思いが遂げられず死んでしまったという伝承が俊頼口伝にある、
からという(仝上)。俊頼口伝は、
俊頼髄脳、
ともいう源俊頼によって書かれた歌論書である。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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