「ちまき」は、
粽、
と当てるが、
糉、
が本字のようである。
後漢(2世紀)の『説文解字』は、「粽」の本字「糉」の字義を「蘆葉裹米也」(蘆(あし)の葉で米を包む也)と記している。この字の旁には「集める」という意味があり、米を寄せ集めたものがちまきという事になる。「粽」は旁を同音の簡単な部品に置き換えた略字である、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%BE%E3%81%8D)。南宋期の呉均の「續齊諧記」には、
今世五月五日作糉餅幷帯五色絲及練葉皆泪羅(べきら)之遺風
とある(字源、大言海)。それは、
屈原以五月五日投泪羅、
によるのだ(大言海)、という。中国の伝説では、
楚の…屈原が、汨羅江(べきらこう)で入水自殺した後、民衆が弔いのためのほか、魚が屈原の亡骸を食らって傷つけないよう、魚に米の飯を食べさせるため、端午の節句の日(端午節)にササの葉で包んだ米の飯を川に投げ入れた、
ことが起源とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%BE%E3%81%8D)。
人々は屈原の死を悲しみ、命日の5月5日には供物を投げて供養しましたが、供物は屈原のもとに届く前に悪い龍に盗まれてしまいます。そこで供物のもち米を、龍が苦手だという楝樹(れんじゅ)の葉で包み、邪気を払う五色(赤・青・黄・白・黒)の糸で縛ってから川へ投げたところ、無事に屈原のもとへ届くようになったということです、
ともある(http://www.i-nekko.jp/gyoujishoku/haru/kashiwa/)。この五色の糸は、
子供が無事に育つようにとの魔よけの意味を込め、鯉のぼりの吹流しの色となっています、
ともあ(仝上)。このため、中国などで端午の節句に食べる習慣がある。しかし、
2000年あまり前の戦国時代には出現していたと考えられる。西晋(3世紀)の周処は『周処風土記』に「仲夏端午、烹鶩角黍。」(夏の端午の節句に鶩角黍を調理する)と記しており、粽のことと考えられる、
ともある(仝上)。
「ちまき」は、
もち米やうるち米、米粉などで作った餅、もしくはもち米を、三角形(または円錐形)に作り、ササなどの「ちまきの葉」で包み、イグサなどで縛った食品。葉ごと蒸したり茹でて加熱し、その葉を剥いて食べる、
もので(仝上)、承平年間(931~938年)編纂の『倭名類聚鈔』和名抄には、
和名 知萬木、
とあり(岩波古語辞典)、平安初期には、粽が食べられていたらしい(日本食生活史)が、
五月五日の粽や柏餅は中世から、
のようである(仝上)。「餅」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474462660.html?1586286757)で触れたが、平安時代の内裏の粽は、
「粳米を粉にして大きく固め、これを煮て水をのぞいて臼でつき、笹の葉で巻き、また煮てつくった。また粳米を水で何度も洗い、、粉にして絹ふるいでふるい、水でこねって少し固めにし、すこしずつ取って平たく固め、蒸籠にならべ、よく蒸し、蒸し上げたらとりあげてよくつき、粽のかたちにまるめて笹の葉などで固くしめて巻いて作った。白米一升で粽が四・五ほど丁できた」(内裏粽)
とある(仝上)。「ちまき」に、
茅巻、
と当てるのは、
古く、茅(ちがや)の葉で巻いたところからであり(たべもの語源辞典・大言海)、
後に真菰の葉にて包む、
とある(大言海)。伊勢物語には、
人のもとより飾り粽 おこせたりける返事に、菖蒲(しょうぶ)刈り 君は沼にぞまどひける 我は野に出でてかるぞわびしき、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%BE%E3%81%8D)、昔は菖蒲の葉も用いたようである。同じ伊勢物語に、
かざりちまきをおこせたりけるかへりごとに、
とあるが、鎌倉時代の伊勢物語の注釈書「智顕抄」に、
かざりちまきと云ふは、菖蒲の根をきざみて、しゃうぶの葉の若きを割りて、其の中に入れて結び、本に色色なる意とにてまきて、時の花の、うつくしきなでしこ、あづさゐ、しもつけ、あふひ(葵)、しゃうびの花をもちて飾りたるを云ふ、
とある(大言海)。「ちまき」は、
竜の形に巻いた。蘆竹葉・菰の葉で米を包んで、灰汁で煮た。ちまきの形が蛇に似ているところから、これを食べると毒虫の難を避け、また毒虫を殺すこともできる、
といった(たべもの語源辞典)。屈原の故事が日本に伝わったもので、安倍晴明は、
これをねじ切って食べれば悪鬼を降伏させることになる、
と説いたという(仝上)。
「ちまき」は、
茅+巻、
に由来する(大言海・日本語源広辞典・語源由来辞典・たべもの語源辞典等々)とみていいようだ。漢名は、
糉、
角黍、
とある(たべもの語源辞典)。
ちなみに、江戸時代(1697年)刊行された本草書『本朝食鑑』には、
・蒸らした米をつき、餅にしてマコモの葉で包んでイグサで縛り、湯で煮たもの。クチナシの汁で餅を染める場合もある。
・うるち米の団子を笹の葉で包んだもの。御所粽(ごしょちまき)、内裏粽(だいりちまき)とも呼ぶ。
・もち米の餅をワラで包んだ餡粽(あんちまき)。
・サザンカの根を焼いて作った灰汁でもち米を湿らせ、これを原料に餅を作りワラで包んだ物。朝比奈粽(あさひなちまき)と呼ばれ、駿河国朝比奈の名物というが、これはもう作られていない。
の、4種のちまきが紹介されている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%BE%E3%81%8D)。
(江戸のちまき屋「人倫訓蒙圖彙」 たべもの語源辞典より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
渡辺実『日本食生活史』(吉川弘文館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95