精進料理
「精進料理」とは、
精進物のみを用いた料理、
であり(広辞苑)、
腥(なまぐさ)料理の対、
ともある(大言海)。「精進物」とは、
生臭物の対、
つまり、
材料に魚肉を用いず、野菜・海藻の類を用いた食べ物、
である(岩波古語辞典)。「精進」とは、
懈怠の対、
であり、
六波羅蜜の一つ、
であり、
善法の実践に怠りなく励むこと、
である(仝上)。「波羅蜜」とは、
サンスクリット語のパーラミターpāramitāの音写、
仏教において仏になるために菩薩が行う修行のこと、
であり、六波羅蜜とは、
布施波羅蜜 施しという完全な徳、
持戒波羅蜜 戒律を守るという完全な徳、
忍辱波羅蜜 忍耐という完全な徳、
精進波羅蜜 努力を行うという完全な徳、
禅定波羅蜜 精神統一という完全な徳、
般若波羅蜜 仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳、
とされる(ブリタニカ国際大百科事典)。「精進」は、
(身を清めて、心を謹んで仏道修行の)努力をする、
という意で、その実践方法として、
美食を戒めて粗食をする、
ことである(たべもの語源辞典)。日本に伝わると、
イモヒ、
と訓んだ(仝上)。「いもひ」とは、
忌マヒの転、
で、
精進潔斎(しょうじんけっさい)、
さらに、物忌みの食事、
斎食、
の意である(岩波古語辞典)。つまり「精進」は、
仏事・神事などを控えて、心身のけがれを清めるための忌みの生活、
の意となる。この背景は、
日本には古来から、人畜の死や出血、出産など異常な生理状態を指して不浄、穢れとした概念があった。これが結びついて俗間では消極的な理解となり、服喪のための物忌みなどでその浄化の実践のために衣服、食事を通じて身心を清めること、俗縁を断ち切って清浄にし、仏門の生活を送ることもいうようになった、
ということがある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E9%80%B2)。で、食事においても、
仏教で殺生を禁じたことから魚、鳥、獣など動物性の食事を取ることや、酒を断ち、五葷(ごくん)と呼ばれる煩悩を刺激する臭いの強い野菜(ネギ類など)も避け、また調理に使う火も普段の家族で使うものとは別の清浄な火を使うなど、細部に渡って慎みとして徹底された、
ということがあり(仝上)、「精進」とは、
魚鳥獣肉など、生臭物を断つこと、
の意となる。物忌みでは中陰などのように期間を定め、それが過ぎることを、
精進上げ(精進明け)、
食事を含めて通常の生活に戻すことを、
精進落とし、
と言った(仝上)。で、
精進する人は、美食、肉食せぬ意より、転じて、膳部に菜蔬のみ、用いること、
を「精進」というようになった(大言海)。
素膳、
ともいう(仝上)、とある。「中陰」(ちゅういん)とは、「中有」(ちゅう)ともいい、
死者が今生と後生の中間にいるためantarā(中間の)bhava(生存状態)、
をいい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%99%B0)、この期間を、
49日とする説から,この期間中に浮遊している亡霊に,幸福な次生を得させるために,7日ごとに読経,法要を営む風が生じた(百科事典マイペディア)。
「精進」は、
ショウジン、
と訓むが、古くは、
ソウジ、
ショウジ、
ソウジン、
とも訓んだ(広辞苑)。神道では、
精進を「そうじ」と読んで物忌と同意に用いる、
ともある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E9%80%B2)。
物忌みの意味の流れとは別に、中世末の日葡辞書には、
一所懸命努力する、
の意で、
ユミャウ(勇猛)シャウジンノココロ、
と載る。本来の「精進」の意である。
鎌倉時代以降の禅宗の流入によって、精進料理が広まったが、
平安時代までの日本料理は魚鳥を用いる反面、味が薄く調理後に調味料を用いて各自調製するなど、未発達な部分も多かった。それに比べて禅宗の精進料理は、菜食であるが、味がしっかりとしており、身体を酷使して塩分を欲する武士や庶民にも満足のいく濃度の味付けがなされていた。味噌やすり鉢といった調味料や調理器具、あるいは根菜類の煮しめといった調理技法は、日本料理そのものに取り入れられることになる。また、豆腐、氷(高野)豆腐(凍豆腐)、コンニャク、浜納豆(塩辛納豆ともいう)、ひじきといった食材も、精進料理の必須材料として持ち込まれたと考えられる。調理の心得として心から喜んで調理する喜心や自己より他人のための老心や冷静に調理の大心を重視している、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E9%80%B2%E6%96%99%E7%90%86)、料理は、
甘い辛い酸っぱい苦い塩辛いの五味や生調理煮る焼く揚げる蒸すの五法を重視して、赤色の豆・米麦白色・黄色根菜類・緑野菜果物・きのこ海藻の黒色など五色を調理の基本としている、
とある(仝上)。室町前期頃の「庭訓往来」には、
斎(とき)の汁には豆腐汁・辛汁・豆腐糟・とろろ汁・竹の子汁、
があり、さらに、
大根を細かに切ったもの、黒煮ノ蕗・煮染ノ牛蒡・昆布・青海苔・若布(ワカメ)・酢漬の茗荷・ゆで茄子・胡瓜の甘漬・納豆・煎豆・豌豆・薊・薺(なずな)・芹・酒煮の松茸、
等々の料理が用いられた(日本食生活史)、とある。精進料理は材料が淡泊であるから、
その味を向上させるためには、だしにかつお節を用いてもよいとしたこともあるが、原則としては植物性のものだけとなっているために、主たる調味源としてはシイタケ、昆布を用いている。ごま油、卵は用いてよいものとされ、酒も重要な調味料とされている。酒のもつうま味、コハク酸の味を利用しようと考えるためであろう。みりんができたのは江戸後期とみられているが、これも利用されている、
とあり(日本大百科全書)、『料理物語』(1643年(寛永20))のなかには、
「だし酒は、かつおに塩ちと入れ、新酒にて一あわ二あわせんじ、こしさましてよし」「精進のだしはかんぴょう、昆布(焼きても入れる)、干したで、糯米(もちごめ)(袋に入れる)、干しかぶら、干しだいこん右の中取合せてよし」
と、精進料理のだしについての解説がある(仝上)。
精進料理の一つに、「点心」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/471747056.html)がある。寺院では、
茶子(ちゃのこ)、
ともいい、
禅僧の間食、
である。点心には、
木菓子、
と
唐菓子、
の二種があり、「木菓子」は、果実であり、
柑子・ほそじ・栗・柿、
等々を利用し、「唐菓子」には、前代からあった、
餢飳(フト 伏菟 油で揚げた餅)、
環餅(マガリモチ 糯米の粉をこねて細くひねって輪のようにし、胡麻の油で揚げたもの。輪のように曲がるので)、
煎餅(センベイ 小麦粉で固めたものを油で揚げた)、
索餅(ムギナワ さくべいともいい、麦の粉を固めて捻じり、縄のようにしたもの、冷そうめんの類)、
粢(シトギ 米又は糯米で作った餅)
焼餅、
粽、
等々があるとされる(日本食生活史)。「粽」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474481098.html)については触れた。
なお、曹洞宗では、
料理すること、食事を取ることは特に重要視されている。道元が帰国後書いたのが、『典座教訓』(てんぞきょうくん)と『赴粥飯法』(ふしゅくはんぽう)で、ここから永平寺流の精進料理が生まれたという。永平寺では料理を支度することが重要な修行のひとつ、
とされている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E9%80%B2%E6%96%99%E7%90%86)。また、「精進料理」は、日本的な精進料理の他に、
普茶料理、
があるが、項を改める。
なお、「懐石料理」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/471009134.html)については、すでに触れた。
参考文献;
渡辺実『日本食生活史』(吉川弘文館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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