2020年04月19日

普茶料理


「精進料理」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474633245.html?1587150470については触れたが、「普茶料理」も「精進料理」である。「普茶」は、

フチャ、

と訓むが、

フサ、

とも訓ます。

広く一般大衆に茶を饗すること、

とある(広辞苑)が、厳密には、

黄檗宗(おうばくしゅう)で、法会の後などに茶を一般の人に供すること、

である(デジタル大辞泉)。

禅宗で茶礼という儀式を行い、全山の人が集まってお茶を飲みながら意見の交換をするところから生まれた言葉である、

ともある(たべもの語源辞典)。「普茶」とは、

茶を普(あまね)くする、

意である。黄檗清規に、

常住設普茶、言普及一衆也、

とあり、禅林象器箋に、

點茶、普及一衆、故曰普茶、

とある(大言海)。「普茶」は、はじめ、

赴茶、

と書いたが(日本食生活史)、

寺院で僧たちが柝(ひょうしぎ)の音を聞いて茶の馳走に赴いたから、

とある(たべもの語源辞典)。

「普茶料理」は、

普茶が終わって出した料理、

をいうらしい。

法要や仏事の終了後に僧侶や檀家が一堂に会し、供えられた季節の野菜や、乾物や豆、特に大豆を調理し、幼長男女の別なく食卓を囲み煎茶や抹茶などと楽しむ食事、

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E8%8C%B6%E6%96%99%E7%90%86。ために、「普茶」は、

黄檗宗の寺で供される精進料理。また、料理店がだすそれを模した料理、

の意でもある。

ちなみに、「黄檗宗」は、日本の三禅宗のうち、

江戸時代に始まった一宗派、

で、

江戸時代初期に来日した隠元隆琦(1592~1673)を開祖とし、本山は隠元の開いた黄檗山(おうばくさん)萬福寺、

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%AA%97%E5%AE%97。三大禅宗とは、

臨済宗、
曹洞宗、
黄檗宗、

である。隠元は、

中国式の禅文化を日本に伝えるとともに、インゲンマメ、孟宗竹、スイカ、レンコンなど、さまざまな品を日本へもたらした。その時一緒に伝わった当時の「素菜」(スーツァイ、いわゆる中国式の精進料理)が普茶料理である、

とあり(仝上)、日本の精進料理は、鎌倉時代の禅宗と共にはじまったが、「普茶料理」は、

中国風、

なのである。

(萬福寺は)代々中国からの帰化僧が山主となったので中国風が興った、

とある(たべもの語源辞典)。

この山(寺)の山主は代々中国の帰化僧で、料理も中国のものが伝えられ、その料理はいまでも、黄檗の普茶(ふちゃ)料理として知られている。本来、中国の精進料理は植物性材料を用いても一見動物の形態、ものによっては味までそれに似たものをつくりだすのが特色である。鶏の焼いたり煮たりした形、コイの丸揚げらしくつくったものなどがある。日本の普茶料理にもこの技法は取り入れられ、とり団子、ウナギの蒲焼(かばや)き、マグロの刺身などの擬製料理もみられる。日本では、ナスのしぎ焼き、こんにゃくのすっぽん煮のように動物性の名称を用いた精進料理もある、

ともある(日本大百科全書)。しかし、

慶長(1596~1615)ころ、すでに長崎には、唐寺が建立されたので、ここで普茶を饗することが行われた。長崎の唐風寺院には、元和元年(1615)に興福寺、寛永五年(1628)に福済寺、翌六年に崇福寺ができ、これを長崎の三福寺と称した、

とあるので、「普茶」自体は既にあったようである。

承応三年(1654)七月に中国から名僧隠元禅師が来日、寛文元年(1661)山城宇治に黄檗山万福寺を創立した。普茶料理は黄檗宗とともに広められたので、一名黄檗料理とも言った、

とある(たべもの語源辞典)。「普茶料理」は、

卓袱(しっぽく)料理の精進なるもの、

ともある(大言海)。料理山家集(1802)には、

普茶と卓袱と類したものなるが、普茶は精進にいひ全て油をもって佳味とす。卓袱は魚類を以って調じ、仕様も常の会席などと別に変りたる事なしといへども、蛮名を仮てすれば、式と器の好とに、心を付ける事肝要なり、

とあり、油を使うことが普茶の特徴らしく、それで、

精進の卓袱料理、

といわれる(たべもの語源辞典)らしい。「卓袱料理」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471380539.htmlについては既に触れた。

『普茶料理抄』に掲載の配膳方法の説明図.jpg

(『普茶料理抄』に掲載の配膳方法の説明図 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E8%8C%B6%E6%96%99%E7%90%86より)


基本的に一つの長方形の座卓(卓袱台)を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べる、スタイルhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E8%8C%B6%E6%96%99%E7%90%86は卓袱料理と同じである。

明和(1764~72)頃の「卓袱会席趣向帳」「普茶料理抄」などには、一皿一皿に四人分の料理が盛ってあるのを取り廻して、ひとつの卓に四人が向かい合って座っている図が載っている。

料理においても中国風のものが多く、巻繊(野菜や乾物の煮物や餡かけ)・油糍(下味をつけた野菜などを唐揚げにしたものや雲片(野菜の切れ端を炒め、葛寄せにしたもの)・擬製料理(肉や魚に擬した「もどき」料理。麻腐、すなわち胡麻豆腐も白身魚の刺身に擬した「もどき」料理である)などがある。炒めや揚げといった中国風の調理技術には胡麻油が用いられ、日本では未発達であった油脂利用を広めた、

とある(仝上)。この食事法は、「卓袱台」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471364060.htmlで触れたように、「卓袱料理」とともに、それまでの日本の食事風景を変える、

ちゃぶ台、

につながり、

がんもどき、

精進揚、

が家庭料理に普及するのに影響が大きかった(たべもの語源辞典)。

普茶料理の例.jpg



今、普茶料理として八品を、

雲片(ウンペン 野菜を油でいため、葛煮にする)、
油糍(ユジ 味付け精進揚)、
澄汁(スメ 薄味の汁もの)、
醃菜(エンツァイ 香物)、
笋羹(シュンカン 生菜煮菜の盛り合わせ)、
麻腐(マフ 胡麻豆腐)、
羹杯(カンパイ ひたし物)、
味噌煮(味噌汁)、

と定められている(たべもの語源辞典)、とある。それまでの、豆腐や納豆、野菜、豆、海藻主体の精進料理とはかなり異なることがわかる。

なお、「会席料理」については「懐石料理」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471009134.htmlで触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
渡辺実『日本食生活史』(吉川弘文館)

ホームページ;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;
http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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